尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

森崎東監督作品を振り返る

2020年07月18日 22時50分18秒 |  〃  (日本の映画監督)
 映画監督の森崎東(もりさき・あずま)が7月16日に亡くなった。1927年生まれで、92歳だった。最後の作品となった2013年の「ペコロスの母に会いに行く」は故郷の長崎を舞台にした作品で、キネマ旬報ベストテンで1位になった。作品完成後に認知症を公表していたので、もう作品は作れないものを覚悟していた。むしろよく2020年まで生き抜いたというべきだろう。もうずいぶん昔の作品ばかりになって、訃報では「喜劇の名手」とされ、「ペコロス…」や「時代屋の女房」が代表作のように出ているが、それらはむしろ例外的な作品だ。
(森崎東監督)
 森崎東は1960年代末の山田洋次監督喜劇の多くで脚本を書いている。中でも「男はつらいよ」第一作の脚本を山田洋次と共同で書いている。(というか、どう書いたかは知らないけれど、二人の名前がクレジットされている。)「男はつらいよ」第3作の「男はつらいよ フーテンの寅」では監督をしているぐらいだ。1969年の監督昇格作品は「喜劇・女は度胸」であり、寅さんに続く3本目は「喜劇・男は愛嬌」、1971年には「喜劇・女は男のふるさとよ」「喜劇・女生きてます」で力量を認められた。「喜劇」と付くんだから、喜劇の名手なんだろうと思われても当然か。
(「ペコロスの母に会いに行く」)
 森繁久弥が社長を務める「新宿芸能社」を舞台とする「女シリーズ」は、「女は男のふるさとよ」「おんな生きてます」「女売り出します」「盛り場渡り鳥」と4作作られた。ある程度評価もされたし、僕も大分経ってから見て、なかなか面白かった。でも「男はつらいよ」シリーズのような「喜劇の名作」ではなかった。むしろ下層民衆のバイタリティを描くという意味で、同時代に作られた日活ロマンポルノのような感触もある。ストリッパーが出てきても、松竹映画だからもう少しお上品だったけど。でも松竹的なホームドラマの枠には収まりきらない印象があった。映画の完成度を無視して、激情が噴出するようなイメージがある。
(「女生きてます 盛り場渡り鳥)
 そこら辺を松竹も判っていたのか、「寅さん」は一本で終わり、黒澤明「野良犬」のリメイクとか、朝ドラの映画化「藍より青く」などを監督した。1970年にも喜劇シリーズの中で、劇画の映画化「高校さすらい派」もあった。(これは僕はわりと好き。)しかし、1975年に松竹との契約を打ち切られ、その後は他社で撮ることが多くなった。でも「塀の中の懲りない面々」「釣りバカ日誌スペシャル」「美味しんぼ」「ラブ・レター」など、ごく普通にそこそこよく出来たエンタメ映画も松竹で作っている。松竹も力量は買っていたのだろう。

 東映で「喜劇 特出しヒモ天国」(1975)を作り、ATGで「黒木太郎の愛と冒険」(1977)を作った。特に後者で自分なりの暗さに向き合ったことは大きかったと思う。敗戦時に17歳だった森崎だが、8月16日に特攻隊員だった次兄・森崎湊が割腹自殺した。その後京大を卒業して松竹京都撮影所に入るが、その間共産党員であり六全協を迎えたのである。それらの思想的苦悩が森崎映画の奥に潜んでいると思う。それを初めてATG映画という場を得て描いた。

 森崎映画は3本しかベストテンに入っていないけど、最初は1985年の「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」(7位)である。異様に長い題名が忘れられない映画だが、これは「3・11」後に再見した。原田芳雄原発ジプシー(渡り労働者)を演じたことで、「反原発映画」として再発見されたのである。またデビュー作の主演者だった倍賞美津子が主演して、森崎映画を代表する女優となった。日本で働くフィリピーナも出てくるし、雑多なテーマを散りばめすぎた感があるが、それでもバイタリティあふれる作品だ。
(「…党宣言」)
 2004年の「ニワトリはハダシだ」(8位)も忘れがたい作品。やはり原田芳雄、倍賞美津子の主演だが、知的障害を持つ少年を扱う。主演は本格デビュー作の肘井美佳も良かった。そして最後の「ペコロスの母に会いに行く」になる。これは森崎が一本も作らなかった「名作」になっていて、そのためベストワンになったけれど、故郷で撮ったためか年齢のせいか、エネルギーが適度に枯れていたのかもしれない。「名作」は僕の場合褒め言葉ではない。猥雑なるエネルギーに満ちていたが、「名作」になりきらなかった作品群が懐かしい。
(「ニワトリはハダシだ」)
 一貫して「民衆」でも「人民」でも「市民」でもなく、「下層庶民」を描いたと思う。「庶民」はずる賢い面もあるが、エネルギーがある。同年生まれの神代辰巳、一年年上の今村昌平も同じように猥雑なエネルギーを持つ民衆像を描き続けたが、それぞれどう違うのか。僕には今はっきりとした解答はないけれど、考えてみたい問題だ。「時代屋の女房」には触れなかったが、夏目雅子が素晴らしい映画だ。
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