尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「緊急事態宣言」が明けてー安倍首相の取り組みをどう評価するか

2020年05月26日 23時33分21秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 5月25日夕方に政府は「新型インフルエンザ等対策特別措置法」に基づく緊急事態宣言を残されていた5都道県で解除した。これで全国全てで解除されたことになる。しかし、「新型コロナウイルス感染症」そのものは当然まだ残っている。26日の東京の新規感染者は10名だった。「第二波」を恐れる声も多い。世界ではヨーロッパの感染者は減少しつつあるものの、アメリカはまだ多い。最近はブラジルで急激に感染者と死者が増加してる。この段階での解除は早すぎたのか、それとも遅すぎたのか。
(解除を報道するテレビニュース) 
 4月7日緊急事態宣言が7都府県に発出されたとき、「正気を保って生き延びる-緊急事態宣言の下で」(2020.4.7)を書いた。そこで「いよいよ緊急事態宣言である。これが「遅すぎた」あるいは「危険なものだ」とする意見も多いが、まさに適切な時期に出されたものかどうか、もうすぐ判る。それまで「観察」を続けたいと思う。」と書いた。この間、東京では49日間の「緊急事態」が続いた。

 まず経過を簡単に振り返っておきたい。まず4月7日に7都府県に5月6日までの緊急事態宣言が出された。16日に全都道府県に拡大され、5月4日にさらに5月31日まで延長された。その後、5月14日に39県で解除され、21日に近畿地方の3府県で解除された。そして、25日に残った5都道県でも解除されたという運びになる。確かに感染者数は減少はしたものの、最後の方はなんだかなし崩しに解除された感もあった。「解除の目安」がはっきりと示されず、数字だけでは神奈川や北海道は解除できなかった。しかし、今回の解除はやむを得ないだろう。これ以上はもう学校やお店を閉められない。

 この間の「観察」をまとめてみると、僕はまず「今回の緊急事態宣言はやむを得なかった」と考えている。2月末の大型イベントや博物館・美術館等への自粛要請、及び全国一斉の学校休校要請必要なかったと考えている。実際、2月段階ではまだ欧米の大感染は起こってなかった。クルーズ船対応などが世界から批判され、五輪開催に向けて先走った対策が取られたと思う。その段階で学校やライブハウス等が閉められて、多くの派生的問題が生じた。しかし、「困っている人」をどう救うかの対応策はほとんど取られなかった。右往左往しながら、欧米帰りのウイルスによる感染拡大を招いた。

 一方、「アベによる緊急事態宣言を許すな」と呼びかける人もいた。「リアル集会」や「リアルデモ」まで行われている。安倍首相は今まで人々の自由と人権を損なうような言動が多かった。だから緊急事態宣言の名の下に、恐るべき人権侵害が起こると心配する人がいたのである。しかし、いくら何でも今回はやむを得ない。東京では毎日のように200名を超える感染者が出た。しかも検査数が少なく、もっと多くの感染者がいると思われていた。院内感染も多く起こって、ほとんど「医療崩壊」が起こりつつあった。高齢者を抱える家族(自分もそうだが)では、この間強い緊張を強いられた。結果的にそこまで心配しなくても良かったのかもしれないが、多くの人がやはり恐れを抱いたのである。

 この「感染拡大」そのものは、安倍内閣でなくても(誰が最高責任者でも)防げなかったと判断している。しかし、国民への「説得力」、「科学的思考力」が低く、みんなが感染の心配だけでなく、今後の生活に大きな不安を感じるようになった。「専門家会議」というものがあっても、「結論」が決まっている感じだった。宣言発出も解除も、前日ぐらいから新聞やテレビで伝えられていた。じゃあ、専門家会議をやる時間はムダではないか。政府の「諮問機関」というのは、いつも同じである。

 特にダメだったのが、最初の「宣言」の後で、「補償」に関する対策がすぐに出て来なかったことである。結局、自治体が先行し、政府は追認することになった。そして、9日後に全国に緊急事態宣言が拡大された。しかも、5月6日までという連休最後の日に期限が決められていた。これでは仮に解除されていたとしても、連休中ですぐに態勢が整わない。最初から「全国一斉で、5月11日(月曜日)まで」として、すぐに補償措置などを打ち出していれば、そこで解除出来たのではないだろうか。
(5月25日の首相記者会見)
 安倍首相は4月7日の記者会見で、イタリア人記者の「成功だったら、もちろん国民だけではなくて世界から絶賛だと思いますけれども、失敗だったらどういうふうに責任を取りますか」という質問に対して「最悪の事態になった場合、私たちが責任を取ればいいというものではありません」と述べた。そして、宣言の延長時の記者会見では「責任を痛感している」とも述べた。安倍首相が「責任」を痛感するのは何回目だろうか。誰か大臣が辞めるたびに、「任命責任者として責任を痛感している」と述べてきた。「責任を痛感する」=「責任は取らない」なのである。

 日本は「成功」したのだろうか。「成功」であれ、「失敗」であれ、その理由はなんだろうか。それはまた別に考えたいが、今回の緊急事態宣言下にはっきりしたのは、「安倍首相のリーダーシップには問題が多い」ということだ。「説得力」が少なく、「誠実さ」が感じ取れない。「私が責任を取る」と言って、当初から大胆な補償措置を打ち出していれば、これほど長く学校や食堂、劇場、映画館、観光施設などが閉鎖され、国民生活が追い詰められることはなかったと思う。「私が責任を取る」と言明しても、「真にやむを得ない事情」があるならば、国民だって支持したに違いない。
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