尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

上島竜兵、白川義員、小塩節他ー2022年5月の訃報①

2022年06月06日 22時23分28秒 | 追悼
 2022年5月の訃報特集。作家早乙女勝元さんを別に書いた。葬儀のニュースでは、長女の早乙女愛が生前の語録を紹介した。「平和は歩いてこない。その火を消すな。どんどんどんどん薪をくべろ」というものである。味わい深い言葉だなと思う。

 お笑いグループ「ダチョウ倶楽部」メンバー、上島竜兵が11日に死去した。僕はあまり知らなくて、93年の新語・流行語大賞に「聞いてないよォ」が選ばれたということも、そんなことがあったかなあと思う。出川哲朗の「充電バイク旅」によく出ていて、追悼特集の番組も見た。出川哲朗と並ぶ代表的なリアクション芸人だと言うが、僕はよく判らない。またちょうど給湯器を変えた時に、頼んだ会社キンライサー(給湯器販売会社)のCMをやってたのが印象的。ところで、「自殺」だとされるが、そのことがニュースで出ていないのに、新聞の訃報に「いのちの電話」の番号が載っている。そこで初めて「ああ」と読者が思う。こういうのはどうなんだろうと思ったりする。どのような報じ方が良いのか、すぐには判らないんだけど。
(上島竜兵)
 写真家の白川義員(しらかわ・よしかず)が4月5日に死去していたことが5月に発表された。87歳。ニッポン放送、フジテレビを経てフリーの写真家になって、世界の大自然、原始的風景などを撮影した。初期には「アルプス」「ヒマラヤ」「聖書の世界」などがある。90年代初期には飛行機をチャーターして各国の基地を周り「南極大陸」を撮影した。その後「世界百名山」選定と撮影のプロジェクトを開始し、「世界百名瀑」も選定、撮影した。内外で多くの賞を受賞している。1971年に始まったマッド・アマノとの「パロディ裁判」でも有名。(白川が勝訴。)
(白川義員)(ダウラギリⅠ峰8167m)
 ドイツ文学者の小塩節(おしお・たかし)が5月12日に死去、91歳。中央大学名誉教授、フェリス女学院理事長。NHKのドイツ語講師を務め、また西ドイツ公使になってケルン日本文化会館会長となったりした。『木々を渡る風』(1989)で日本エッセイストクラブ賞受賞。ドイツ語、ドイツ文化に関する多数の著書があり、ゲーテやモーツァルトについての本も書いた。カール・バルトを中心にキリスト教に関する翻訳も多い。活躍していたときは知名度が高かったのだが、訃報が小さかった。
(小塩節)
 JR東海名誉会長の葛西敬之(かさい・のりゆき)が25日死去、81歳。故松田昌士(元JR東日本社長)、井出正敬(元JR西日本社長)とともに「国鉄改革三人組」と呼ばれ、国鉄の「分割民営化」を推進した。その後は、東証上場やリニア中央新幹線計画に尽力した。保守派の論客としても知られ、安倍元首相らのブレーンとして知られた。トヨタなどと全寮制中高一貫校「海陽学園」を設立し理事長を務めた。僕にはどこにも共感する接点がないが、リニア中央新幹線は歴史の中で評価されるものなのか疑問だ。
(葛西敬之)
柳家小はん、4月25日死去、80歳。落語家。3代目桂三木助に入門し、没後は柳家小さん門下に移って75年に真打昇進。
志村正雄、4月29日死去、92歳。アメリカ文学者。東京外語大名誉教授。ジョン・バース、トマス・ピンチョンの翻訳で知られた。
中山俊宏、1日死去、55歳。国際政治学者、慶応大学教授。ワシントン・ポスト極東総局記者や国連日本政府代表部専門調査員を経て、慶応大学教授。アメリカ研究者として、メディアでも積極的に発言していた。
渡辺裕之、3日死去、66歳。俳優。「ファイト一発」と叫ぶ「リポビタンD」のCMで知られる。
安藤実親(さねちか)、6日死去、90歳。作曲家。「銭形平次」のテーマ曲を作った人である。他に水前寺清子「いっぽんどっこの唄」などがある。
飯田宗孝、7日死去、64歳。バレエ・ダンサー。東京バレエ団団長。「ザ・カブキ」などベジャール作品で主要な役を務めた。
田中健五、7日死去、93歳。元文藝春秋会長。「文藝春秋」編集長時代に「田中角栄研究」を掲載した。その後「週刊文春」編集長時代に、和田誠を表紙に起用した。その後社長になるが、月刊誌「マルコポーロ」のホロコースト否定論文掲載問題で辞任した。
熊崎勝彦、13日死去、80歳。東京地検元特捜部長。退官後にプロ野球のコミッショナー。特捜副部長時代に金丸信副総裁の脱税事件を手掛けた。
池田武邦、15日死去、98歳。建築家。霞が関ビル、京王プラザホテル、新宿三井ビルを設計。ハウステンボスの構想、経営にも関与。
河村亮、14日死去、54歳。日本テレビアナウンサー。プロ野球巨人戦や箱根駅伝の中継で知られた。
浜田卓二郎、16日死去、80歳。元衆議院議員。大蔵官僚から1980年に衆院選当選(旧埼玉1区、自民党)、4期務めた。93年に落選後、離党して新進党に参加したが、96年衆院選で落選。98年に参院選に出馬して当選した。4期務めただけなのに知名度が高かったのは、本人が政策通でテレビに出たりしたこともあるが、それとともに夫人の浜田麻記子の存在が大きい。結婚後に花嫁学校を開校したり、エッセイを書いてテレビ出演も多かった。突然衆院選に出たり、都知事選に出てお騒がせ夫婦として有名だった。浜田麻記子も夫の死後13日目の29日に急死した。80歳。
遠藤滋、20日死去、74歳。仮死状態で生まれ脳性マヒと診断された後、重度障害者として初めて都立養護学校の教師となった。40代で寝たきりになってからは、介助者を組織して自宅で生活した。大学同期の伊勢真一監督の記録映画「えんとこ」に描かれた。
沢孝子、21日死去、82歳。浪曲師。82年に芸術祭優秀賞。日本浪曲協会会長を務めた。
横井美保子、27日死去、94歳。グアム島の日本軍残留兵故・横井庄一さんの妻。06年の夫死後に自宅を記念館とした。
松井守男、30日死去、79歳。フランスで活躍し、レジオン・ドヌール勲章を受章。近年は長崎県五島列島にアトリエを構えた。
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