尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「議論しない」安倍政権

2019年07月19日 22時25分01秒 |  〃  (安倍政権論)
 安倍首相の選挙演説で「安倍やめろ」などとヤジを飛ばした男性が警察に排除されたと問題になっている。「ヤジを飛ばす」ことそのものが、公衆の安全に大きな問題を与えるとは思えない。首相といえど、選挙演説は公務ではなく、私的結社の長としての私的な行動である。ヤジに対して自民党関係者が対応するならともかく、公務員である警察が対応するのがおかしいんじゃないかということになる。
(北海道でヤジを排除する警察=HBCテレビ)
 安倍首相は国会で野党議員に対して、自分もたびたびヤジを飛ばしている。それなのに、というか、それだからこそというべきか、自分がヤジられるのは嫌いらしい。そして、それに対応してかどうか、警察も「忖度」しているのか。映画「新聞記者」の時に書いたように、かつての内閣情報調査室トップが官房副長官と内閣人事局長を兼務するという、異例な事態が起こっている。官邸が官僚人事を統括しているから、だんだん自民党=国家という考えが官僚世界に染みついているのか。長くなると皆が慣れてしまい、世の中そういうもんだろと思うようになってしまう。

 ところで、その安倍首相が野党に対して「この選挙では、未来に向かってしっかりと憲法の議論をしていく候補か、全く議論しない、議論を拒否する候補か」など言い続けている。トランプ大統領と同じく、同じことを言い続けていると慣れてきて、そういうもんかと思う人が出かねない。前国会では野党が求める予算委員会を開かず、2年前は憲法の規定に基づく臨時国会に応じなかった。憲法の規定に従わない安倍首相が、野党に対して「憲法改正の議論をしない」と非難するのである。僕も安倍首相の演説に出会ったら「お前が言うな」とでもヤジを飛ばしてしまうかもしれない。(しかし、安倍首相がどこで演説するかは公表されていない。実になんとも言いようがない。)

 野党を「議論しない」と非難するけれど、実は議論しないのは安倍政権の方だ。何しろ「選択的夫婦別姓」も「女性天皇」「女性宮家」など、課題とされる問題も何の議論もしない。勘違いされないように最初に書いておくけど、僕は(そのままで)「選択的夫婦別姓」や「女性天皇」に賛成するものではない。(その問題は長くなるからここでは書かない。)だけど、これらの問題が「課題」とされつつ、何の方向性も示されないままになっているのは問題だと思っている。そして、その事情は安倍首相の「忖度」にあると思っている。一度退陣し政治生命を失いかけた安倍氏を、不遇の時代にも見捨てなかった日本会議などの勢力が反対することは「議論しない」のである。

 安倍首相が力説する「憲法改正」とは、実は「自衛隊の存在を憲法9条に書き加える」というだけのことである。なんでかというと「自衛官の子どもがいじめられた」とか事実不明の情緒論である。今の9条の1項、2項をそのままにして、自衛隊を置くというだけを加えるから、「現状の自衛隊のあり方は変わらない」らしい。変えるけど、変わらない。膨大な国費を投じて、そんなことに情熱を傾けるとは信じがたい。当然のこととして、野党側は実は「自衛隊の役割が拡大解釈されてゆく」と批判する。僕も首相のホンネはそっちだろうと疑わざるを得ない。だって、今まで憲法の文面を勝手気ままに解釈してきた「前科」がいっぱいある以上、とても信じられないのだ。

 「議論しない首相」が「議論しないと批判する」逆転した言論が横行する。トランプのアメリカでも起こっていることだが、「逆転」ばかり見続けていると、なんだか「正転」しているように思う人が出てくる。今回の参院選は政策の具体的議論の前に、「言論が機能するか」の方が問題だ。かつて「世界経済の危機」を主張して「消費税アップの先送り」を掲げて「衆議院の解散」を行ったのが安倍政権である。しかし、その頃ではなく今こそが米中経済摩擦などで「世界経済の危機」だろう。ならば、今回こそ先送りするべきでは? 消費税をどうするかの議論以前に、マジメな政策議論が成り立たない安倍政権に慣れてしまうと、皆がもう選挙は行かなくてもいいんじゃないとなる。そういう段階に日本はある。
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