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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

高畑勲監督の逝去を悼む

2018年04月06日 23時06分00秒 |  〃  (日本の映画監督)
 日本のアニメーション映画監督、プロデューサーの高畑勲監督が亡くなった。1935年10月29日~2018年4月5日没、82歳。今から多くの人が追悼を語ると思うが、やはりマスコミでは「火垂るの墓」や「アルプスの少女ハイジ」が大きく取り上げられている。それはそれで当然だとは思うけど、ニュースでは「1985年、宮崎駿監督などとスタジオ・ジブリを設立しました」なんて語られる。短い時間ではその前は語られないのである。だからちょっとだけ書いておこう。

 高畑監督の最初の監督作品は、東映動画の「太陽の王子ホルスの大冒険」(1968)。「動画」というと、今じゃスマホで誰でも撮れる映像のことだが、昔はアニメのことを指した。60年代末には日本映画が危機と言われていたが、今思うと素晴らしい映画が続々と作られていた。アニメでは東映で矢吹公郎の「長靴をはいた猫」と高畑「太陽の王子…」が伝説的な大傑作とされていた。僕は同時代には見てない。70年代に映画マニアになってから、追いかけて見たのである。これはアイヌの民話をもとにした物語なのである。そんな話がアニメで作られていたのだ。

 その後、東映動画労組の組合運動で宮崎駿と知り合う。退社後、テレビで「アルプスの少女ハイジ」などのアニメを手掛けて評判になるが、これは高校から大学時代で全く見てない。劇場アニメで「じゃりン子チエ」と「セロ弾きのゴーシュ」を作り、宮崎駿の「風の谷のナウシカ」をプロデュースする。ヒットしたお金で、今度は宮崎製作、高畑監督で作ったのが、記録映画「柳川掘割物語」(1987)。これは福岡県柳川市で掘割を守る人々を描いた165分もあるドキュメンタリーだが、ものすごく感動的だった。もう忘れている人が多いかもしれないが、高畑、宮崎という人を考えるためには必見の映画だと思う。

 1988年に「火垂るの墓」を作って世界的に高い評価を受けた。当時はまだ映画会社の系列で2本立て上映する時代で、「となりのトトロ」と東宝系で2本立てだった。この映画は確かに素晴らしい出来で、「子どもに見せる戦争映画」のスタンダードになったのも当然だ。だから逆に敬遠する人もいるだろうし、僕も再見してないが、やっぱりよく出来ている。次に「おもひでぽろぽろ」(1991)、続いて「平成狸合戦ぽんぽこ」(1994)。東京の多摩地区を舞台にしながら、エコロジカルな意識が描かれ共感した。そして、「ホーホケキョとなりの山田君」(1999)、間が開いて「かぐや姫の物語」(2013)。これが最高傑作なんだと思う。まあ多くの人が見ている映画は書かないことにしたい。
  
 映画館でちゃんと追悼上映をやって欲しいなあ。絶対みんな行くんだから。
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クリント・イーストウッド監督の「15時17分、パリ行き」

2018年04月06日 21時19分10秒 |  〃  (新作外国映画)
 クリント・イーストウッド監督の「15時17分、パリ行き」(The 15:17 to Paris)をちょっと前に見た。どうしようかと思ったけど、一応簡単に書いておくことにする。前作の「ハドソン川の奇跡」は日本で評判になったけど、ここでは書かなかった。どこにも破綻がない素晴らしい映画だったけど、そこが僕には物足りない。今回の「15時17分、パリ行き」も驚くべき映画だが、同じ意味であまり好きじゃない。でも、この映画は見ておく価値がある。アメリカという国を知るための映画として。

 この映画は2015年8月21日に、アムステルダム発パリ行きの高速列車内で起こったテロ事件の「実録再現映画」である。イスラーム過激派の犯人が、車内で銃撃を始めようとするとき、アメリカ人の青年3人が果敢に飛びかかって犯人を抑えた。その3人の少年時代からの歩みを描きつつ、映画は運命の列車が走り出す瞬間を迎える。そこでテロ事件が起きかけて、それは未然に防げたと見るものはもう判って見ている。驚くべきは、その3人を本人が自ら演じていることだ。

 もちろん最初はちゃんと俳優をキャスティングして、3人はアドバイザーだったらしいが、撮ってるうちに本人に演じさせればいいと思ったらしい。同乗していた客たちも本人だという。さすがに犯人は別の俳優だけど、こんな「再現映像」映画が今まであっただろうか。しかし、見れば判るけど、これは際もの映画ではなく、実にリアルに現代を描き出した映画になっている。今じゃ何でも撮れるクリント・イーストウッド、87歳の驚くべき映像世界。人物の動かし方など、心憎いほどうまい。

 でも、自分のことを考えれば、本人役だからと言ってうまく出来るもんだろうか。ドキュメンタリー映画を撮るんだと言っても、カメラがあれば身構えてしまうのが普通だろう。どうしても「自分」を意識してしまう「自我のカタマリ」があるもんだろう。でも、この3人は少年時代を見ると、周囲になじまない「問題少年」と捉えられていたようだ。(ちなみに、2人が白人、1人が黒人。)あまり「自我」にとらわれるタイプじゃない感じ。ヨーロッパ旅行の再現シーンなど実に楽し気にやってる。

 3人のうち2人は軍人で、1人のアフガン勤務が終わったことを祝って、皆でヨーロッパ旅行をしようと思う。イタリアへ行き、ドイツに行く。次はパリだと思うけど、酒場で会った人にオランダはいいぞと聞き、アムステルダムに立ち寄って遊びまくる。面白いからフランスは止めてもいいんだけど、どうする? 決めたからやっぱり行こうと言ったやり取りがある。あの列車に乗らなかったかもしれないのである。でも、乗った。それは「偶然」ではなかった。それは「運命の列車」だった。

 運命をつかさどるのは「」である。全能の神の計らいで、3人がテロを防ぐために遣わされた。映画がそういう風に神がかっているわけじゃないけど、ベースはそういうことだと思う。アメリカの「善き青年たち」の心には、「信仰」と「愛国心」と「人類愛」が平然と同居している。そしてイザという時に、行動するのである。こういう若者たちを「アメリカ人の神髄」とほめたたえている。

 クリント・イーストウッドはハリウッドの中でも共和党支持者という「異端的立場」である。「グラン・トリノ」や「インビクタス」などは「人類愛」の方が表に出ているが、「アメリカン・スナイパー」や「ハドソン川の奇跡」では「愛国心」というか、「アメリカ人ここにあり」といった感じが強い。この映画はその頂点のような映画だと思う。でも、ただ一人語られない人物がいる。硫黄島2部作では、日本軍の立場からも戦争を見つめた。その意味では、この映画だけではなく、「犯人側が何故事件を起こそうとしたか」も語られるべきだ。イーストウッドはそれを作るだろうか。少なくとも現時点では、見るものが想像力で補わない限り、「英雄たち」しか目に入ってこない。
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