日本のアニメーション映画監督、プロデューサーの高畑勲監督が亡くなった。1935年10月29日~2018年4月5日没、82歳。今から多くの人が追悼を語ると思うが、やはりマスコミでは「火垂るの墓」や「アルプスの少女ハイジ」が大きく取り上げられている。それはそれで当然だとは思うけど、ニュースでは「1985年、宮崎駿監督などとスタジオ・ジブリを設立しました」なんて語られる。短い時間ではその前は語られないのである。だからちょっとだけ書いておこう。

高畑監督の最初の監督作品は、東映動画の「太陽の王子ホルスの大冒険」(1968)。「動画」というと、今じゃスマホで誰でも撮れる映像のことだが、昔はアニメのことを指した。60年代末には日本映画が危機と言われていたが、今思うと素晴らしい映画が続々と作られていた。アニメでは東映で矢吹公郎の「長靴をはいた猫」と高畑「太陽の王子…」が伝説的な大傑作とされていた。僕は同時代には見てない。70年代に映画マニアになってから、追いかけて見たのである。これはアイヌの民話をもとにした物語なのである。そんな話がアニメで作られていたのだ。

その後、東映動画労組の組合運動で宮崎駿と知り合う。退社後、テレビで「アルプスの少女ハイジ」などのアニメを手掛けて評判になるが、これは高校から大学時代で全く見てない。劇場アニメで「じゃりン子チエ」と「セロ弾きのゴーシュ」を作り、宮崎駿の「風の谷のナウシカ」をプロデュースする。ヒットしたお金で、今度は宮崎製作、高畑監督で作ったのが、記録映画「柳川掘割物語」(1987)。これは福岡県柳川市で掘割を守る人々を描いた165分もあるドキュメンタリーだが、ものすごく感動的だった。もう忘れている人が多いかもしれないが、高畑、宮崎という人を考えるためには必見の映画だと思う。
1988年に「火垂るの墓」を作って世界的に高い評価を受けた。当時はまだ映画会社の系列で2本立て上映する時代で、「となりのトトロ」と東宝系で2本立てだった。この映画は確かに素晴らしい出来で、「子どもに見せる戦争映画」のスタンダードになったのも当然だ。だから逆に敬遠する人もいるだろうし、僕も再見してないが、やっぱりよく出来ている。次に「おもひでぽろぽろ」(1991)、続いて「平成狸合戦ぽんぽこ」(1994)。東京の多摩地区を舞台にしながら、エコロジカルな意識が描かれ共感した。そして、「ホーホケキョとなりの山田君」(1999)、間が開いて「かぐや姫の物語」(2013)。これが最高傑作なんだと思う。まあ多くの人が見ている映画は書かないことにしたい。

映画館でちゃんと追悼上映をやって欲しいなあ。絶対みんな行くんだから。

高畑監督の最初の監督作品は、東映動画の「太陽の王子ホルスの大冒険」(1968)。「動画」というと、今じゃスマホで誰でも撮れる映像のことだが、昔はアニメのことを指した。60年代末には日本映画が危機と言われていたが、今思うと素晴らしい映画が続々と作られていた。アニメでは東映で矢吹公郎の「長靴をはいた猫」と高畑「太陽の王子…」が伝説的な大傑作とされていた。僕は同時代には見てない。70年代に映画マニアになってから、追いかけて見たのである。これはアイヌの民話をもとにした物語なのである。そんな話がアニメで作られていたのだ。

その後、東映動画労組の組合運動で宮崎駿と知り合う。退社後、テレビで「アルプスの少女ハイジ」などのアニメを手掛けて評判になるが、これは高校から大学時代で全く見てない。劇場アニメで「じゃりン子チエ」と「セロ弾きのゴーシュ」を作り、宮崎駿の「風の谷のナウシカ」をプロデュースする。ヒットしたお金で、今度は宮崎製作、高畑監督で作ったのが、記録映画「柳川掘割物語」(1987)。これは福岡県柳川市で掘割を守る人々を描いた165分もあるドキュメンタリーだが、ものすごく感動的だった。もう忘れている人が多いかもしれないが、高畑、宮崎という人を考えるためには必見の映画だと思う。
1988年に「火垂るの墓」を作って世界的に高い評価を受けた。当時はまだ映画会社の系列で2本立て上映する時代で、「となりのトトロ」と東宝系で2本立てだった。この映画は確かに素晴らしい出来で、「子どもに見せる戦争映画」のスタンダードになったのも当然だ。だから逆に敬遠する人もいるだろうし、僕も再見してないが、やっぱりよく出来ている。次に「おもひでぽろぽろ」(1991)、続いて「平成狸合戦ぽんぽこ」(1994)。東京の多摩地区を舞台にしながら、エコロジカルな意識が描かれ共感した。そして、「ホーホケキョとなりの山田君」(1999)、間が開いて「かぐや姫の物語」(2013)。これが最高傑作なんだと思う。まあ多くの人が見ている映画は書かないことにしたい。



映画館でちゃんと追悼上映をやって欲しいなあ。絶対みんな行くんだから。