軍師黒田官兵衛の足跡 in豊前国→豊後国 6 黒田本陣跡

2013-02-18 08:23:27 | Weblog

黒田軍の本隊(如水軍)は杵築城を後にして大友軍の籠る別府へと向かった。

大友軍は別府立石山に本陣を構えたので先に到着した黒田先遣隊(井上九郎右衛門隊)は角殿山に本陣を敷いた。

9月13日両軍は一気に山を下り、間に広がる石垣原で激突した。ほぼ黒田軍の勝利が決定した報告が別府へ向かっていた本隊(如水軍)に届いた。すぐに別府に着いた本隊(如水軍)は実相寺山に本陣を敷く。

大友軍の当主義統は9月15日、奇しくも関が原の合戦と同じ日に降伏し義兄弟(父宗麟の娘婿、実妹婿)の黒田家家老母里太兵衛に付き添われて官兵衛の前に頭を垂れた。後に九州の関ヶ原(黒田家譜には九州陣)と呼ばれた「石垣原の合戦」は黒田軍の井上九郎右衛門と大友軍吉弘嘉兵衛の一騎打ちなどの名勝負を残し、黒田軍の圧勝で終わり400年続いた名家大友家はここに滅んだ。

今、実相寺山には「黒田本陣跡」の石碑が建っている。

 

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