黒田家の紋は藤巴が有名です。如水は信長に背いた伊丹の有岡城主荒木村重を翻意させるべく単身で入城したが謀られて逆に牢に閉じ込められた。天正6年11月から翌年11月の間でしたが、その牢は三方は竹薮、後ろは深い沼地、日の光も差さず湿気多くこの世の地獄であった。やがて城は信長軍に包囲され、篭城したため牢中の如水には食事も満足に与えられず栄養失調と運動不足で肌はかさかさになり全身しらみと蚊に食われそのあとが瘡となり、膝は曲がらず毛髪は抜け落ちた。如水は死を覚悟した。或る日、その牢の高窓に竹薮から一本の藤の蔓が伸びてきた。毎日その蔓の伸びる様を見ながら心を慰め希望を持った。「この藤が花を咲かせるのが見れたなら自分はきっと助かるだろう。」やがてその藤は新芽を吹き出しあえかにも紫の花房をつけはじめた、、、。後に如水が大名に列した天正8年その当時の艱難辛苦を偲び、心を慰めてくれた藤花を瑞祥と見、黒田家の定紋とした。この写真は博多ドンタクに出演したときのものであるが後方の紋がその藤巴である。
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