中津市寺町にある円応寺にある黒田24騎の一人野村太郎兵衛祐勝のお墓です。
下毛郡誌に「野村太郎兵衛名は祐勝、黒田如水の臣にして二十五騎の随一なり、其の墓寺町円応寺にあり、高さ五尺の石廟にて中に五輪の塔を据う、廟額に長光院の文字鮮かに読まる、尚廟の両側には南無阿弥陀仏の文字を二行に刻しあり,世に之を河童の墓と称へ今に香花を手向らる。」とあります。
黒田24騎随一と謳われた野村太郎兵衛祐勝は播州姫路妻鹿に生まれ幾たびの戦に功名を挙げましたが朝鮮の役で病を得て異郷の地豊前中津にて逝去。その胸中や如何ならん。その時の黒田官兵衛(如水)や同僚の黒田藩士の無念さは如何ばかりであったろうか?
黒田藩や黒田武士ゆかりの方又は研究をされている方々にもぜひここ野村太郎兵衛祐勝の墓に詣でてくださいますように。