黒田二十四騎・三宅三太夫(若狭守)家義

2008-01-09 13:27:36 | Weblog
三宅若狭守は播州三宅出。武功有りしかば如水招きよせ300石にて召抱え家臣とす。敵対する赤松の一族に6万石を領する真島氏を攻めあぐねていたとき三宅若狭に如何するべきかと問うに朝茶の子を食するが如くたやすからんと申し上げその城を攻め取り給う。豊前にては1500石を賜り城井城攻めにはその使者として敵地に一人乗り込みて諸事取りしずめしことにより長政より秘蔵の刀を賜る。朝鮮陣、豊後陣にてもすぐれて働きければ如水感じ給い賞美として清光の刀を賜る。筑前入国後は3600石若松城を守らせ、船手の頭となる。有る時若狭が如水・長政に今までの武功に対して子孫のために感状を戴きたいがと申しければ、如水長政言うには十分に武功ありて、要所の若松城を守らせている、これに過ぎたる感状はなく家中の諸士も其の武功を良く知りたり、後代にても著しかるべしと言い感状は与えざりし。如水、長政はすべて禄を厚く賜りし家臣に感状をもちたるものは無かりけり、という方針であった。元和8年若松城にて没。行年72歳であった。

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