キリシタン大名蒲生氏郷は姉川の戦い、小谷城攻め、長篠の合戦、有岡城攻めなどで活躍し、その智勇に優れた姿は信長の信頼厚いところとなり、信長は次女冬姫を娶らせるほどであった。
本能寺の変で信長が横死後は、秀吉の天下人へ貢献した。
天正18年(1590)会津90万石の大大名となった。
それより前、天正13年(1585)キリシタン大名高山右近の勧めにより官兵衛と時を同じくして、大坂の地でキリシタン信仰の道に入りました。
晩年は利休七哲に数えられるほどの教養人でもあったが、文禄4年、秀吉、家康に惜しまれながら逝去した。
キリシタンとして亡くなったが享年40歳という若さであった。
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黒田官兵衛を愛する方々にもっと深く官兵衛を知って戴くように、頑張って行きます。
これからも宜しくお願いいたします。
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