黒田家の勇猛果敢な侍大将である黒田24騎のなかで最も有名な武将、重臣中の重臣が栗山四郎右衛門利安(善助)である。
幼少の砌、官兵衛を生涯の主君として自分から押しかけて臣下となった。
常に官兵衛のそば近く仕え、黒田家が戦国時代の荒波に翻弄された時も、家臣団を一致団結させ強力な黒田軍団にまとめて行った。
官兵衛が有岡城の地下牢に幽閉されたとき、厳重な警戒をかいくぐって沼を泳ぎ渡り、牢の外から声をかけ、衰弱し今にも死にそうな官兵衛を励ました。
豊前入国後、耶馬渓の地の国人領主の一人野仲鎮兼の長岩城を攻め落としその地の平田城を預かる。
朝鮮出兵中、民を大事にし慕われた。
官兵衛の信頼最も厚く、後に一番家老として黒田家の中でも重きをなした。
官兵衛死去の枕辺で官兵衛から赤合子型兜を授けられ長政の後見を頼まれる。
寛永8年(1631)81歳の波乱の生涯を終えた。