クリスチャンとしての黒田如水

2009-09-12 10:44:45 | Weblog
先日姫路松平定知氏講演会前夜祭の時、播磨の顕彰会の方より「葉室麟著・風渡る」という本を紹介されたので取り寄せました。キリシタンとしての黒田如水を描いています。ご存知のように黒田如水はキリシタンとして生涯を終えましたが徳川幕府のキリシタン禁止令により黒田家譜(徳川時代に作製された黒田家の歴史書/貝原益軒編集)にはキリシタン臭は一切出されておりません。ルイス・フロイスの「日本史」初め宣教師の見聞記には如水が受洗し洗礼名はシメオンといい、1604年逝去の折教会に多額の寄付をしたとありますがほぼ史実であります。歴史書には真実の話と風聞や先人の間違った著書を丸写ししているものも多く事実を選別する確かな目を持つ様にしっかり学ばなければなりません。小生もこれまでかなりあやふやな著書よりの引用がありましたことをお詫びせねばならないことも多く今後の研究に一層の探求心をもって真贋を見極める目を養わなければならないと痛感しているところです。本書も冒頭「、、、永禄10年播磨城主櫛橋氏の娘、幸(こう)を正室に迎えた。」とあり、正室「光(てる)姫/お光(てる)の方」を幸(こう)と誤認されてます。惜しい限りです。何はともあれどの様に物語が展開していくのか秋の夜長の楽しみが増えました。
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