チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

梨の礫

2022年06月16日 10時14分20秒 | 日記
梨を無いという語呂合わせで使うことが多い
梨の実のことを在りの実といってみたり
昔の人の言葉遊びは面白いし気が利いている
こういう言葉は浄瑠璃から来ていることが多い
歌舞伎や文楽、落語を鑑賞しないと語呂合わせから遠のいてしまう
「どちらへ」
「ちょっとお稲荷さんへ」
「おきをつけて」
「はい」
別にどこに行くのか知りたいのではない、こんにちはというご挨拶より温かみのある会話を尊んだのが昔の大人

最近はいただき物を配るのに
「お福分け」
という言葉が使われてきた
「御裾分け」は死語になるのかな

住居の塀によく鳥居の絵が書かれているのを見たことが在る
それは「小便するな」の暗号

其れにしても都会はお手洗いがあちこちにあり、立小便する輩は見かけない
綺麗に便利になった
それと比例してふふふと思わず笑う言葉が皆無になった

日本語を英語に翻訳してカタカナ語にしてしまうのではなく
駄洒落でもいい日本語をもっと駆使して人々の気持ちを豊かにしたいと思う

ありがとう
ごめんなさい
どうぞ
おそれいります
お先に
失礼します
こういう「おもいやり」の言葉、笑顔と一緒にセットで言えたら世の中明るくなる
笑顔はmaskを取らないと見えない

厚生省のホームページにもマスクは意味がないので強制はしませんという意味のこと書いてあるけどな







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どういうわけか?

2022年06月15日 09時39分45秒 | 日記
ここの所北海道からの友人が「お会いしたい」とそれぞれ4人
更に北の大地のアスパラを送ってくださった北海道住在の古き弟子
今日から連続で毎日北海道の友人に会える

北海道にご縁が深まった
中には30年ぶりという方もいらっしゃる
合える時に会うというのがチャ子ちゃん先生の考えなので、時間が合えばこうやって嬉しい再開の日を持てる
「暇」というのはいいなあ、時間があるもんね

始めて北海道に撮影に行ったのはまだ飛行機がプロペラ機だった
当時新人カメラマンとして期待されていた「奈良原一高」さんとモデルさん一人を連れて「支笏湖」を中心に「旅をデザインする」というページの撮影だった
原生林をバックに洋服の写真を撮りたいという試みは、学生時代に友人たちと北海道を一周したときにみた原生林のこの世ではないような雰囲気が印象に残っていたからだった(あの時は汽車の旅)

ペーペーの新人に巡ってきたこの輝かしいフアッションページに、骸骨のような死に絶えた樹木がそそり立つところにモデルをたたせるというアイデイアに先輩たちは唖然とし、しかしデスクは面白いと決断して、カメラマンも婦人科(当時はフアッション写真を撮る人をこう呼んだ)ではなく、芸術写真を撮る人がいいというので、奈良原さんに

芸術写真を撮る人だけあって、モデルのポーズの付け方が婦人科と全く異なる
バックと洋服のシルエット、それにモデルの表情を決めていくのだが、手の位置顔の向きなど一ミリ単位でうごかす、そのうちモデルは寒さに耐えきれなくなってくる、チャ子ちゃん先生走ってショールを羽織らせたり、手をこすったり一枚の写真にいったいどれくらいの時間を必要とするのだろう。と段
々むかむかしてくる

いや辛抱と言い聞かせ出来上がった写真は「見事!」正しく芸術作品だ

その時のモデルが北海道に嫁に行き久しぶりに会える
あの頃の話になるのだろうなあ、その時の感想もゆっくり聞ける
今年は北海道に行けるのかもしれないと希望を膨らましている

本日20時からチャコちゅーぶ
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1万1千歩

2022年06月14日 08時45分40秒 | 日記
やったね!
ここ何十年1万歩など歩いたことがない
その昔日曜日の朝早く明治神宮を友人と歩いていた時は、この杜をくまなく歩くと軽く一万ぽは越えた。大体一時間30分
一年この習慣が続き私達は心身共に丈夫になった
にもかかわらず、その後はすぐタクシーに手を上げたり、シルバーパスをもらったのがよくてバスに乗る、ほんのひと駅でもだ
そして現在チャコちゃん先生にとって一万ぽは夢の夢だった

ああそれが出来た!

事の発端は神宮の杜に「ソーラー設置」という話を小耳に挟んだ
どこに設置するのかその予定を聞いたところ、神宮内苑だという
ここは加藤清正の下屋敷、のちに井伊直弼の下屋敷、その後皇室ご料地となったところ
そこには清正が堀ったという伝説の井戸がある。名水としてつい最近まではのむことも自由だったし、茶室の水としても使われていいた
更にはこの地下水は、湿地を作り池を作ったので、皇居の女性たちが田んぼを作り米を育てていたところでもある。然もこの水は渋谷川の源流にもなっていて、大川に流れ込み太平洋に出ていく

こういうありがたい水源を止めて、何故にソーラを設置する
肚からの怒りに駆られ、ついでに1万ぽを歩いてみようという野望も持って神宮内苑に到着
この時すでに3000歩

さて久しぶりの苑内は緑の香りいっぱい、一気に空気に味が出る
まず隔雲亭の茶室を覗く、昔着物の撮影に使わせてもらったところだから、隅々まで記憶がある。姉の主宰のお茶会もここで開いた
小高い所に建っていて、蓮池が一望できる、昭憲皇太后に明治天皇が進呈した茶室。昭和の空襲で焼けたあと再建築

楢の木などの照葉樹が多く、鬱蒼としていて守られている感じ、湿地帯に出ると今や満開の花しょうぶ、1800株あるという。この花が終わると水連が咲く、ほとんどの人がマスクを外してニコニコ顔で散策している

ここにソーラー?
冗談でしょ
ここの樹木1900本の内1000本伐採してソーラを据える計画

怒りに任せて歩き始めたが、緑に包まれ足も軽く1万歩、芝生で寝っ転がり疲れをとった


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着物が繋ぐもの 491

2022年06月13日 08時12分15秒 | 日記
源氏物語54帖をピアノで表現するジャズピアニスト「遠藤征志」さんの演奏会に行ってきた
能とのコラボという演出もあり、視覚と聴覚の楽しみを提供なさっていた
三部作で昨日は二部、三部は12月6日に渋谷のセルリアン能楽堂で行われる

二部は光源氏が青年の美しさで、最も活躍した時代だ
「舞台を見て感じたことを言ってほしい」とプロジューサーに請われていたので、チャ子ちゃん先生は東京手描き友禅作家の「上田環江」さんをお誘いした
環江さんは過去に
「源氏に愛された女たち」
というテーマで24人の姫君たちを友禅で描いている
能のコラボもいいが着物とのコラボはもっと身近にになるのではないかと思ったのだ

果たして源氏が描かれた時代は平安時代
能は室町
どうしても衣裳の隔たりが私には気になった

平安時代は「色目」を大事にした
その色目の美しさを表現できればコラボとしてはもっと腑に落ちる
これはチャ子ちゃん先生の勝手な考え方であって、万人がそう思うわけではない

能もやはり着るものの迫力がモノをいう
その布の動きを駆使した舞はさすが古典芸能の格の高さだと思った
ピアノの響きはジャズであっても、古典をしっかり学んだ方だけに、実に音色も美しく、姫君たちの気持ちの動きも音で理解できた

音を奏でる人が即光源氏であって、初々しい初恋を成就させる頃の衣裳、自信満々の青年期の衣裳、そして老いが近づいたころの光源氏の衣裳と、ピアノの音霊を身に受けながら、勝手に衣裳を夢想していたら演奏会はあっという間に終わってしまった
会が終わり
プロジューサーの福永邦昭さんにその夢想の話をしたところ、大いに気に入っていただいた
環江さんの作品を写真でお見せしたら
「着物の描く表現力」のすごさに皆さん感服

きものはこうして繋いでいける


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迷いの雲

2022年06月11日 07時51分57秒 | 日記
人はいつも迷いの中にいる
その原因はなにだろう
それは「自我」が強いということのようだ
「私はこうする」
「そう決めたからこの道を行く」
「それは私の物」

「人にいわれたからそうしなければいけない」というのも自我の一つ
人の意見に逆らわないのも自我が勝っていると思う
逆らわないでおこうという自我

大きく考えれば人間が自分の意志で決めることは何もない
だけど人は自分の意思で決めたように思いこんでいる

何もかもさせられている
誰に?人間を作った方に

その方は、どういう言う地球にしたいのか
どういう人間がより良いのか
その実験をしながら理想の世界に向かわせているのではないかと思う

みーんな役者
みーーんな舞台で動きセリフを言っている
その筋書きはすべて総監督の宇宙を作った方
その掌で衣装を着せられたり、食べさせられたり、飲まされたり、病の床に臥せったり、だましたり騙されたり

全ての体験を通して理想の人間に育てているのかもしれない
マスクランドの日本人の姿もそれも体験の一つなのだろう
一人一人が自分の役を演じている
だから迷うことなど何もない、ただ演じていればいい
「日本劇団」の団員として役になり切ればきっとらくちん

主役はみんな
誰もが主役
そしてみんなわき役もこなし、役者だったり監督だったりする
こう考えると
心はいつも晴天



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着物が繋ぐもの 490

2022年06月10日 07時13分07秒 | 日記
昨日から田町のSOW CO.Galleryで結城紬の「奥順の新作展」が開催されている。新社長になって新規一新
機屋の創作を並べたという、若い機屋、若い絣つくり、若い糸とりつないだ技術の発表の場だ
「商品」という顔ではなく「作品」

そう着物も作品という顔になってきたのだ
消耗品ではなく、生活衣類でもなく、ステータスを誇るものでもなく、趣味趣向の世界になった
本当に自分に必要なら求める、そして着用して自分自身の歓びとする。その為には蚕が自然に吐いた糸を、無理なく引き出す糸づくり、そして糸を痛めない絣くくり、更に糸と人との呼吸を合わせた地場機での機織り、自然からいただいているという敬虔な気持ちが一反の反物を作り上げていく

それに同調できる精神性がこれからの着物選びの主流になっていくのかもしれない。TPOとか、年齢とかそういった制限は本質から遠くなっていく
先人たちの知恵を学びつつ、自分たちの今を着物に託していく、そうすると自分自身の生活の彩の中に、着物という存在が位置してくるだろう

結城紬というのは古代、養蚕農家の屑繭から誕生したものだが、蚕の吐く繭のありがたさを存分に感じながら糸にし、その素質を生かして作り上げたものだから丈夫で長持ちした。普段着として重宝し、男の着物として活躍、糸取りも機織りにも工夫を重ね、更にデザイン性も加え、色の多様さをもって女達にも愛され始め、ついには日本で絹物として初の「ユネスコ文化遺産」に認定された

だからと言って遺産にしてはいけない、先人たちの知恵を形にして続けることが世界で最も丈夫で美しい絹織物の存在価値があるというものだ

真綿から引いた糸はどう丈夫か、数日間着続けてもピンシャンしている。疲れを知らないこの布に包まれているだけで、着る人の心を安定させてくれる

会期は12日まで


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柿の葉寿司

2022年06月09日 08時32分08秒 | 日記
初夏と秋に柿の葉寿司を送ってくださる友人がいる
初夏の柿の葉は「照葉」と呼ばれるほど緑の色が美しい
秋は色づいた柿の葉に包まれた寿司だ。これもまたいろんな色に出会える

送っていただくお店は奈良で500年続いた店だ

柿の葉には殺菌力があり食べ物をくるんで長持ちさせる知恵はどうも古代からあったようだ
竹の皮、棒葉の葉、枇杷の葉、他にもたくさんあるだろう
冷蔵庫や氷室もない頃、人々は食べ物の保存を自然の殺菌力に頼んだのだ
大昔に読んだ王家の跡取り合戦に敗れた小説、敗れた王子の都落ちの描写で、柿の葉に包まれた干飯を食べながら涙を落とす場面があったが、奈良の広い景色を山の上から都を眺めるというイメージを持って読んだ

そこにあるものの助けを借りた食生活って本当の循環だ
こういう知恵を掘り起こして今に伝えようという方が増えてきているのは嬉しい

それがレジタルの貢献だ
YouTubeを開くと、先人たちの知恵が若い人の手によってよみがえっている

卵の白身で髪を洗い
塩で歯を磨き
糠袋を作って顔を洗い、それを乾かして廊下や柱を磨く
夏になると糸瓜を植えてへちま水を作り化粧品に
イワシや小さな魚の骨は炭火で焼いてぽりぽりおやつ替わり
鯛などの硬い骨の魚も食べ終わったあとお湯をいれておつゆ仕立て
最後に余った食べかすは小さく刻み、糠と混ぜて土の中に入れてそれがいつか肥やしになる

こういう習慣が一気になくなったのは「農薬、化学肥料」さんたちの登場
私達は化学物質に囲まれた生活になって、病が増えたしなぜか忙しくなった

柿の葉寿司を口にしながら来し方を思い出している
葉っぱは湯船に浮かべ楽しんだ

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魂が美しい「お乞食」さん

2022年06月08日 10時29分46秒 | 日記
昨日のこと
チャ子ちゃん先生は「御乞食」さんにお情けを頂戴した

地下鉄に乗っていて扉上の映像が天気予報を伝えるニュースを見ていたら、東京は夕方から雨マーク
朝は曇り、昼近くはお日様が覗き、地下鉄に乗ったとき銀座は晴れていた
新宿5丁目の駅に着き、エスカレーターで地上に上がると、雨、小雨ではあるが通行人はみんな傘をさしている
「ありゃー-、ま大島紬を着ているから家まで速足で歩こう」

人々を通り越して足早に歩いていた
そこにありったけの財産をブラさげて歩いている「女お乞食」さんを追い越しながら女の人って珍しいなあと、ちょっと振り返ったら目が合って会釈した、と思ったら、彼女の肩に、剣客風に背負っていたビニール傘を一本私に差し出し
「着物が濡れるよ是ほら持っていき」
「えっ私に?」
「そうだよ、綺麗だねえ」
「お借りするね、アッ此れ受けって!」
と懐からポチ袋を彼女の手に渡す
「いいのかえ」
「もちろんうれしいわ、じゃあお先にね」

信号を渡って振り返ると彼女が立ち止まってポチ袋を胸に抱いてじっと見ている、チャ子ちゃん先生小さく手を振って歩き始めたが視界がぼやけ、胸が詰まる
大きく深い心をいただき、それをお金で返した自分を責める、悔やむ、ではどうしたらお礼の心を相手に伝えられたのか、其れもわからない。

日々の生活に大変な思いをしている方からの温情はあまりにも清らかすぎてその深い慈愛の受け止め方が分からない、その思いをお金で伝えることではないと悔悟するが、でも私にはそれしか思いつかなかった

彼女はきっと過去に着物を着て過ごした日があったのだろう、とっさに着物を雨から守ろうした行為が、彼女の大切な財産の一部を提供してしまう行動に出てしまった。

今度で会うことが在ったら、ゆっくり話をしてみたい

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戦争は金持ちがする

2022年06月07日 07時22分55秒 | 日記
戦争をけしかけ武器を売って儲けたい人が世界の金持ち
世界の富裕層と言われている人たちの多くはそこの住人
こんな構図があからさまになった今は
そこから離れて自分自身の世界を自分で作ったらいい

本当にやりたいこと
やっていて楽しいこと
みんなで喜び合えること
それを探して生きたらいい

そうすると世の中がクリーンになりみんなが生きやすくなる

一昨日
都庁の脇で路上に住む人たちに、下着や洋服を配っていた人たちがいた
新しいものではなく洗濯した清潔な衣服や下着タオルなどが山と積んであり
路上住人はそれぞれ自分に似合うものを選んで持っていく

配っている人と路上住人の風情はどちらがどちらとわからない(笑)
ニコニコ笑いながら談笑をしあってる
路上にいるから穢くて痩せこけて、暗い顔をしているというのではなく
「何もしないで生きている」
ということを堪能しているようだ

しばらく歩くと新宿の駅前では
「ウクライナの人を救おう」
と募金を呼び掛けていた、声をからし髪はぼさぼさ、痩せていて、何もしない歩行者をにらみつけている。かといって募金した人に対してもにこりともせず、傲慢な態度でじろり

この人達はウクライナに送ったお金がどう使われているかを理解しているのだろうか?ウクライナを応援することで、戦争に加担していることが分かっているのだろうか?自然災害の募金とは違うことが分かっているのだろうか?

お金のない人たちはお金に執着せずお互い助け合うことを学び
お金のありすぎる人はさらに人の命をもてあそんででもお金を欲しがる

神様はこの地球の始末をどうなするのだろうか
と思いながら1万ぽ歩く




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梅エキスつくろうよ

2022年06月06日 07時17分33秒 | 日記
今日から「芒種」にはいる
芒を持った穀物が成長する時期、麦や稲、トウモロコシの実の先端にある毛を芒(のぎ)という
6月は麦の収穫期でもあり、また稲の成長期
しかし最近は人間の都合の品種改良が多々行われて、必ずしもこの暦通りにはいかない
自然界では雨を降らせ、太陽を輝かせ、高温多湿かと思いきや乾燥の日々を作ってくれる。農業や花作りのお人達が忙しい
梅の実が実る梅雨も今や梅は早や店頭に鎮座している

梅と言えば我が家では青梅をもいで「梅エキス」作りに専念するのもこの時期
陶器の摺りこぎで青梅を摺り、それを陶器の鍋で煮詰めるとチョコレート色になって、その液体が万能の常備薬
食べすぎた、便秘になった、風邪ひいた、と小豆粒位をなめるだけ
2キロでお猪口一杯分だけど一年は十分持つ

梅は青いママを食べると毒になるが、こうやって煮詰めたり、梅干にしたり、梅酒にすると私たちの体を守るありがたい素材だ
花で楽しみ、実で体を救ってもらい、幹材は染料に、推古天皇のころは梅が国花と思えるほど愛されていた、菊の花が国の花のようになったのが後醍醐天皇のあたりだちわれている

それはともかく
私達の先祖は自然からの教えを従順に守り、自然の持つ力を自分たちの日常に取り入れ、生かしてきた、これこそが健康食品だ。薬に頼った生活が主流になってしまったのは平成に入ってからのような気がする。そうすると病人がわっと増えた

芒と言えばトウモロコシも収穫まじか、トウモロコシのひげは腎臓病に効く、ひげを煎じて飲むだけ、チャ子ちゃん先生は子供のころ腎臓が弱く、母の自然志向のおかげでこのトウモロコシのひげで腎臓は丈夫になった

野にいる動物たちは病になると、自然界にある薬草を噛んで自ら自分の体を治していく、黄肌という木があるがその樹皮をはいで傷の手当てをする動物のおかげで、人間はその木から黄色の染料をいただくことになった

自然が私達に手を差し伸べている、その手を握ろう





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