第45回日本染織家展を見てきた
東京のほかに京都、大阪、名古屋で行われていて、いろんな賞が与えられている
審査員は染織家の長老、名を成し遂げた「先生」がただ
文化庁とか新聞社が応援していいるが、京都がやはり中心のよう
染織というと京都という感覚はまだまだ大きく重く残っている
昭和38年(1963年)に出来た団体で、しかも染織家たちだけが発起人となって始めた。今年59年を迎えたことになる
それにしては「地味」
照明も暗く作品がどんよりと重い
文化庁とか、新聞社後援、公的場所で発表をするという思考を取り去らない限り、着物は輝かない
賞を取るためなのか、この団体に入っていることがステータスというのか、一般の着物愛好者のことなど全く視野にないという展示を感じだ
当初は従来からある「伝統の染織の美」に、新しい感覚を取り込んだ作品を仕上げ、問屋の思惑通りの作品作りから、自主作品を作って世に謳おうという気概があったのだと思う
問屋の力が非常に強かったその時代に、染織家だけで事を起こした勇気と決断は大変なことだったと思う
「こんな勝手なことをしたらもう仕事が問屋から来なくなる」
という思いも強かったであろう
しかし
表現者は「自分の思いを作品にしたい」という強い思いの方が勝った
その思いに賛同した「大阪高島屋」が第一回の会場を提供したのだ
そして45回続いている
着物愛好者は「着たい着物」という思いがある
着たい着物に期待して会場に行っても、染織家の力作に圧倒されて「へー-」で終わりになっていく
然も照明が暗いので、ますます重い雰囲気だ
一枚一枚丁寧に見ると御自分の持っている技術を駆使し、更に表現の雄大さや、色の取り合わせの美しさに感動する
なんだか
「展示のしかたもっと工夫してくださいな、惜しい」
という感覚で会場を後にし、光り輝く緑いっぱいの上野公園で目と心を休めた