梨を無いという語呂合わせで使うことが多い
梨の実のことを在りの実といってみたり
昔の人の言葉遊びは面白いし気が利いている
こういう言葉は浄瑠璃から来ていることが多い
歌舞伎や文楽、落語を鑑賞しないと語呂合わせから遠のいてしまう
ふ
「どちらへ」
「ちょっとお稲荷さんへ」
「おきをつけて」
「はい」
別にどこに行くのか知りたいのではない、こんにちはというご挨拶より温かみのある会話を尊んだのが昔の大人
最近はいただき物を配るのに
「お福分け」
という言葉が使われてきた
「御裾分け」は死語になるのかな
住居の塀によく鳥居の絵が書かれているのを見たことが在る
それは「小便するな」の暗号
其れにしても都会はお手洗いがあちこちにあり、立小便する輩は見かけない
綺麗に便利になった
それと比例してふふふと思わず笑う言葉が皆無になった
日本語を英語に翻訳してカタカナ語にしてしまうのではなく
駄洒落でもいい日本語をもっと駆使して人々の気持ちを豊かにしたいと思う
ありがとう
ごめんなさい
どうぞ
おそれいります
お先に
失礼します
こういう「おもいやり」の言葉、笑顔と一緒にセットで言えたら世の中明るくなる
笑顔はmaskを取らないと見えない
厚生省のホームページにもマスクは意味がないので強制はしませんという意味のこと書いてあるけどな