チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 336

2020年06月02日 13時06分20秒 | 日記

失敗した

撮影用に半襦袢をいくつか作っている

昭和の初期までは多くの人が家庭着にはこの半襦袢を愛用していた

お袖だけは着物の余り布や派手になった羽織や着物、長じゅばんの繰り回し、胴体はこれまた胴裏の使わなくなったものや、ネルとか晒を用いる

下は蹴出しをつける。つまりツーピースの下着だ

 

昭和初期までの女たちは自分が針を持てるので、布を好きなように繰り回しをして大事に使っていた

 

最近は「繰り回し致しません」はおろか「コート作りません」「羽織りいたしません」という和裁士が多く、チャ子ちゃん先生みたいに古い着物を解いてあらい、繰り回しをしてもらうと思ってもなかなかできる人に巡り合わない

 

つい最近までは一緒に考えてくれる和裁士が周りにいたくさんいて、あれこれ知恵を出し合い、着物や帯の再生を楽しんだ。そういう方々はほとんど鬼籍の人となり、健在の方も「もう針は持てないわ」と断られる

 

そういう方に作っておいていただいた半襦袢。この季節にちょうどいいかと思って着てみた。着方が下手なのかしっくりこない。襟がはだける、襟が浮く、腰回りの布がトイレを使う度にごろついてしまう

 

年中裾から手を入れ布を引っ張ったり、襟先をぎゅぎゅと下げてみたり、ああしんど

なぜ?

着物の編集を始めたころ地唄舞の師匠について身のこなしの撮影をした、そのとき「ナカタニさんここから手を入れて襟先引っ張って」とか「裾の後ろから手を入れて半襦袢の裾を引っ張って」と指示されては「ハイ」「はい」といって着物の裾や身八から手を入れて師匠の襟もとを整えていた

「あなたは着物の構図が分かっているから一回言えばすぐ理解できるのよね、うちの弟子たちよりいいわ」とおだてられて、「おっ緩んだようだ」と思うやすぐに「失礼します」お手を入れて整えていた

その時の訓練のたまもので襟元はすぐキレイになるのだが、面倒でイラつく。長じゅばんを着ているときはこういう作業は一切ない、しないでよい。長襦袢の偉大な力にいまさらながら恐れ入った

と変に感心しながら着物を普段着ない向きには、長襦袢の偉大さを語り続けねばなるまいと肩に力を入れるチャ子ちゃん先生

 

いろいろ体験しながら覚えていくことの多い着物の世界、だからいつまでもきものに引っ張られていくのだろう

コメント (1)
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