チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

空海の意思

2012年07月09日 14時33分36秒 | 日記
一泊2日で麻の聖地徳島へ
空海が一番札所を徳島にした意味が分かったように思う
其れは日本人のルーツ忌部族のふるさとが徳島だからだとわかった

そして一番札所と大麻比古神社が一本の道で繋がっていることでも分かる
しかもその札所一番の霊山寺は大麻町にある
空海は阿波は発心・土佐は修行・伊予は菩薩・讃岐が涅槃
と言う意味を込めて88カ所の霊場を作ったと後世の人が解説しているが
(本人にはまだ聞いていない)

阿波忌部が日本人の原点だとするとこの第一札所が阿波にあるのも頷ける
空海の生まれは阿波では無いのにと不思議に思っていた謎も解けた

阿波忌部は何をこの国にもたらしたかと言えば「平和と技術と知恵」
その忌部の対極にあったのが中臣一族、のちに藤原家となり権力をほしいままに

さすがに天皇になるわけには行かないので
娘を天皇に嫁がせ外戚として権力を広げていった
この方法はオーストリアのハプスブルグ家と同じ
かの有名なフランスの女王マリーアントアネットもハプスブルゲの令嬢
こうして領土を広げていったのだ

しかし阿波忌部は人を使って権力を伸ばすのでは無く
農業、漁業、工業、芸術、文化、祭祀の様式などなどあらゆる日本人の日常の生活の基本の全てを
阿波から和歌山千葉などに向かって広げ
日本人の精神の糧となる基盤を築いた

こう言う事実が今やっと3年前から語られるようになったのも
時代が大きく変わろうとしている今にもっとも必要な文化なのかもしれない

藤原家が権力を拡大する頃
忌部一族は文化の拡大に努めていたのだ

そこに有史以来天皇の即位の時に必要な祭祀用の麻が作られている
其れも古式にのっとって
静かに決意を持って継承をしているのが三木家

権勢をほしいままにした藤原家も忌部一族の天皇陛下即位の麁服製作には
手を下せなかった
それくらいとうとう仕事がこの麁服を作るための大麻の栽培にある

その地は汚れの無い平和なそして高貴なエネルギーに満ちあふれていた

チャコちゃん先生は本来日本人は平和を愛する民族だと信じていたので
この忌部族の事をもっと勉強して伝えていきたいと思った
そう言う思いを強く抱いた2日間でもあった
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