新幹線に乗っても、在来線でも車窓の風景が変わってしまった
びっしりとソーラパネルが張り巡らされている
過日も「確か葡萄畑だったが」と記憶にある畑が斜面一面景色が変わった
ブドウの収穫よりソーラパネルの方が割がいいのかな
自分はそれでよかったかもしれないが
葡萄の生産が落ち消費者は高い葡萄を購入しなければならない
その畑に遊びに来て落ちこぼれを拾って食べていた小動物は、里へ下りて人を怖がらせている、その結果尊い命を狙われる
私たちは「損と得」をはかりにかけて日々暮らしている
しかしそれはほとんどの場合自分が中心なので、結局その損の部分がめぐりめぐって自分にまわってくる
ちょっと落ち着て考えればわかることだ
このソーラパネルの再利用を考えた人は急死したのだそうだ(消された?)
日本は今ほんとうに滝つぼに落ちようとしている
そこを引き戻そうとする有意の人たちは、自分の損得など考えていない
私たち一人一人が日本の未来を真剣に考えいい方向に行動を移さなければこの国の未来がなくなる
こんなことを考えながらあずさに乗って岡谷の蚕糸博物館に赴いた
そこには、明治、大正、昭和の初期に家族や親せきが身に着けた衣装が展示されていた
家族への愛それが十二分に感じられる展示だった
それと同時に男たちの粋なおしゃれ、労働着そのものにセンスを感じる、万年筆や時計に、ライターに、またブランドのスカーフをコートの裏に着けて粋がっていた男も昭和にはいっぱいいたけど、そんな男は「ジャリだな」と感じる明治、大正の男たち
おとこの肝が据わっいていた時代は、女も幸せだったということもこの展示会でわかる
着物がそれを教えてくれる
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます