珍しく「げい」の友人から呼び出しがきた
ちょっと心が折れていたので気持ち良く会うことにする
彼と話をしていると本音のぶっつかり合いで気分が晴れる
男でもなく女でもない、しかし自分の性が正常ではない(今まではそういう社会だった)ので客観的にまた俯瞰して社会を見いているから、話の中に新鮮な驚きがあって楽しい、しかも絶対説教をたれない
「ねええ私ブランドだわよ私が歩くとみんな一斉に見るもの」
「ばかねえ比佐子ちゃんがマスクしてないから怖がられてんのよ、おめでたいんだからあー」
「そっか」
「きゃははは」
彼は若い時可愛かったらしく、性格もいいので多くの紳士にもてはやされ車や家なども与えられていたらしい、人からお金やモノをもらうのは「対価」として当たり前という感覚(こういう感覚が独特、いや当たり前か)
彼が経営していたバーに行くと名のある紳士たちが来ていた、その男たちの一人一人を満足させる話術にほれぼれして時々店に足を運んだ
「比佐子ちゃんは華があるから来てもいい、その代わり女友達は連れてこないでね」
「なぜ?」
「気色悪いもん」
徹底している、のちに自分のお金で小さな店を持った時は
「女も大歓迎」
「ちゃっかりしてるわ」
「経営はそういうものなの!」
一番気を付けていたことは「トイレ」もうピカピカ、トイレに入った瞬間その清潔さにうっとりする
「鏡ほしい」
「ばかね、飲んだくれた顔を見てなにが嬉しいの、しかも自分の顔を見て家を思い出されちゃあ商売あがったり、だから女はダメ」
「女の代表にしないでよ」
「うん」くすくす笑う
一時は九州の大富豪の「愛人」になっていて、ソルボンヌ大学まで出してもらった
王侯貴族のような家に住み下僕を使い青春を謳歌したらしい。文章もうまく大手出版社から3冊の本を出し、一時は大手週刊誌に連載も持っていた
そして今は
小さなアパートに住み、点字や手話の勉強して仕事をしてる(ボランテイアが大嫌い、対価は当たり前)さらに老人や身障者の日常を助けるパートナーの資格も取り、それの仕事もしている
「えらいねえ」
「勝手気ままに過ごしていろんな人を傷つけ両親の恩に報いず、人のお金を湯水のように使い大変申し訳なかったという気持ちで日々過ごしているのよ」と手を合わせる
「-----」
「お金があっても病気勝ち、お金があっても孤独、お金があっても希望がないそんな人多いのよ、そういう方の話し相手になってあげているのも罪滅ぼしね」
「あなたの経験がお人の役に立ち、お金になるのよねよかったわね、トレンドよ」
「でもあれだけ多くの人と交わったけど比佐子ちゃんとだけだなお話ししたいと思う人」
「私も何かの罪滅ぼしをしてるのかなあーー」
「あははは」
今は小さいことに感動できる自分が愛しい。細かいことに優しくなれることがうれしい。昔からそういう感性を持っている比佐子ちゃんをもっとも美しいと思っていたーーーと
ひやっ!
チャ子ちゃん先生も捨てたもんではないなあ
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