チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

お節介

2021年07月25日 10時01分55秒 | 日記
最近お節介という言葉を聞かなくなった
水戸黄門では「お節介隠居」として手って鋭的に悪を懲らしめるのだが
そこまでやってこそお節介と言えるのかもしれないと最近思う

昭和40年代まではお節介の人は随分いた
そのお節介は気付きを呼んでいた

「ありがとうと言いなさい」
「そのお辞儀はなおざりすぎる、相手に失礼」
「してやった」なんて言葉はもっとも忌み嫌われた

今日こんなことを書いているのは、ある人にお節介をした
「それは違いますよ、こういうことですよ」
詳しいことを書くと万が一その方がこのブログをお読みになったら気分を壊すので内容は説明しない

お節介する方はかなり勇気を伴う
相手の得になることだからお節介をするという意識がある。またその意識がないとお節介とは言えない。

その注意を素直に聞いて感謝してくださる方もいるが
多くの場合は反発をする
この反発が面倒くさくてみんなお節介はやめていくのだろう

今日のお節介はつまり「定式」歴史上に定められたことの注意をしたのだけどーーー。
大人たちが口をつぐみ見て見ぬふりをしていることで、日本が崩壊していく
口を開くことがなんと難しい世の中になったのかとつくづく思う

チャ子ちゃん先生も先輩たちからお節介をうけ、また苦言を受けて大人になってきた
人としての立ち居振る舞い、歴史の定式は日本国の存続のためにも、また長く日本国でお世話になった私たちの務めでもあろう

めげないで
お節介しようっと!

コメント
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