思いがけず高倉健さんの着物姿をヴィデオで見直している
考えてみると男の着物の発端は父の着物姿であり兄のそれ
父は外から帰ると必ず着物に着替えていてその手伝いを母が行っていた
幼い私はそばで父の兵児帯を持って早く膝に座りたくて足踏みしながら待っていた
着物に着替えた父はやっと自分の父親になってくれているという親しみがあり独占したかったのだと思う
腰紐など使わず兵児帯一本で着付けていたので私が持つ兵児帯は父にとって実に重要なものでもあった
要のものを持っているという優越感を感じていたように思う。(いちばん大切なものをこの私が持っている)
5つ上の兄は秀才のほまれ高く(二十歳過ぎたらただより悪いと私に言われていた、アメリカは鬼畜生と教えられたのに、戦争が終わるといきなり英語中心の教育、混乱したのだと思う。自暴自棄になっていた時期がある)父も母も期待していただけにそのショックは深かったに違いないが、それまでは父と同じような扱いを受け冬は紺絣、夏は白絣を家で着ていた
しかしそういう風景も短くすぐ戦争が激しくなって国民服というゴワゴワした軍服のようなものを着せられていた
戦争が終わっても父は相変わらず家に帰ると着物に着替えていた
その父がある時見せてくれたのが「鞍馬天狗」という映画
(後にも先にも父と映画を見たのはあと一本 父っ子の私は一緒に長時間いることが嬉しかった)
主演は嵐寛寿郎でその着物姿の美しさそれを真似て高校の運動会の主任化装競争に主任を鞍馬天狗に仕立てて優勝した
父の着物姿を毎日見ているので着付けは手早かった
着付けて一緒に走って一等賞(すごいね)
その主任は美術の先生でほっそりして顔が小さく背が高い180センチ近くあった
鞍馬天狗は黒紋付の着流しそして紫の頭巾 黒紋付の着流しがこんなに格好良いものだとは(幼少の頃から企画力抜群だねチャコちゃん先生)
このときの着流しが男の着物姿の原点になっているので高倉健の着流し姿を見たときは映画の筋より着物姿を追いついにインタビューという流れになったのだが、このことは前にもかいたので略
この度高倉健と