チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

8月6日

2011年08月06日 10時39分10秒 | 日記
日本にとって特別な日特に今年は
菅首相が平和宣言をするかと思ったが
その言葉は出なかった
世界に発信する良いチャンスだったがーー

唯一の被曝国家日本の首相として核兵器の断絶を言ってほしかった
米国の核抑止からの脱却を宣言
日本の平和憲法を守り平和外交するとーー

オバマ大統領が核廃絶演説をしノーベル賞をお取になったが
菅さんも力強く核廃絶のために日本は世界の核をなくすべく
先ずは核兵器と表裏一体の原発から脱却する
といったならば
ノーベル平和賞が取れたかもね

もっともオバマ大統領は
平気で臨界核実験をアメリカで繰り返していて
核廃絶は本心でないことが分かった
あのノーベル平和賞はどうなるの?

子供達が
どうして危ない核を使うのか
どうして戦争をするの分からないと率直に訴えていた声に
大人はどう応えるのだろう

廣島市長の演説は核廃絶を目指して世界に訴えていくと
力強い

日本は三つの県が核に脅かされている
米国に原爆が廣島に落とされて66年がたつ
そして今尚被曝に悩み核におびえている人たちが大勢居る
そういう人たちが居る国に
核と表裏一体の原発が推進されていることが正直分からない

廣島出身の男と結婚をし
初めて中谷家の墓参りをしたときの衝撃は今も残る
中谷家だけでなく全てのお墓には
昭和20年8月6日没
という文字が列になって墓石に刻まれていた
彼の従兄弟は小学校4年生でたまたまその日は夏休み中の登校日
校舎の影にいて爆風にあわないですんだが
真っ青の空に同級生が空高く飛んでいくのを見たという

「人が空を飛んだのを見たのはあの時だけ」
と今は冗談交じりに話す
でもその話も昨年始めてその従兄弟から聞いた
今までは話したくなかったのだという

原発ドームやその頃まだ残っていた銀行の壁に映った人影
平和記念館のこの世の者とは思われない遺品の数々

ここのところ毎年式典に訪れる日本の首相
こういうことを目にしても
米国の核抑止力から脱却して
日本の国民を守ろうと思わないのだろうか

同じ人間として其れが不思議
コメント
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