千の天使がバスケットボールする

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自転車のように

2008-07-01 22:46:11 | Nonsense
先日、転職して職場を去った元同僚からメールがきた。
「R25」の今週号の石田衣良さんのエッセイを読みましたか。
私が、「R25」で真っ先に読み、また読ませられるのが最後のエッセイであることを覚えていたのだろう。先日の秋葉原無差別殺人事件の犯人が、まさに25歳だった。あの事件によせて、K君宛ての石田さんらしい若者を勇気付けてくれる理想的なエッセイだった。本当に、石田さんの文章はいつもうまく、しかも的をえている。けれども、私は今回はなかなか共感を覚えなかった。率直に言って、石田さんの論理は非のうちどころもなく正統であるけれど、こういう言い方は不適切で好ましくないが、「勝ち組」の説教をなんとなくうっとうしく感じてしまう。
石田さんは、元祖フリーターとして、雑誌の編集の仕事で食べていた。しかし、石田さんは大学を卒業して広告制作会社の正社員として、給料をもらいながら社員教育を受けて人脈を築き、準備を整えて自らのぞんでフリーターになったのだ。
「友達はみな正社員だった」
石田さんはそう言うが、昔は、中卒から喫茶店のウエイトレスになった人も一応正社員だった時代だ。石田さんは夢があったから、それを実現するために会社を退職した。石田さんたちの時代と異なる、3人のうちひとりが非正規雇用という時代で、「25歳の若者」というくくりで一概に語るのは、いかがなものかと。人生に不安を抱える非正社員の若者にとって「勝ち組」の理想論をかざした説教は、通用しないのではないだろうか。

ところで、私が愛読している「選択」に精神科医の遠山高史さんのエッセイが連載されていたのだが、「負け組も状況を変えられる」というタイトルにひかれて再読した。脳の伝達情報にグルタミンがあるが、この物質は標的となる細胞に対して矛盾するふたつの情報の伝達に関与する。受けての細胞は、相反する情報の間をゆれながら、いずれかの処方を決めていく。なるほど、生体は、かように複雑なバランスの上に成り立つ多面性のある平衡状態にある。しかし、現代社会は、多様な価値観を受容しがたく、○か×かをはっきりし、一方を排除しようという意識が高まっている。たとえば、メディアはドラマチックに一方で美談を演出しながら、その相反する適役探しにも余念がない。どちらかを賞賛すれば、一方を切り捨てていく。複雑で過密な社会においては、物理の法則のように互いが排斥しあい、人は、結局負け組になりたくないから、多様な価値観を捨て、勝ち組のその他大勢の単一の価値観に従がっていく、というのが遠山氏の感想である。
遠山氏は、趣味の絵のデッサン用に鼻の欠けた女神の石膏像を半値で買った。その鼻の欠けた部分を修復したら、平凡な石膏像がかけがえのないたったひとつの女神となった。生かしたのは、能動的な手作業だった。

私の率直な感想に、就職氷河期の真っ只中に世に出た友人は、それでも石田さんのエッセイのような「御伽噺」を支えにしなければやってられない、と返信がかえってきた。わかっちゃいるけれど・・・。
私たちの脳の神経細胞は、グルタミンの活動せよという信号に従っている。私は、素敵な石田さんの完璧な励ましよりも、遠山氏のこんなさりげない言葉の方がより現実的に身にしみるのさ。
「生き物の動的平衡は自転車のように前身する限り保てるものであり、その限りでいかなる状況をも一歩せんじることができる」とね。

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