千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

独裁者に欠けている共感性

2006-06-29 23:48:56 | Nonsense
金英男(キム・ヨンナム)さんは29日の記者会見で、自身や横田めぐみさんの拉致の経緯、ヘギョンさんとの関係など、関心を集める点をほぼ網羅し、予想通り北朝鮮の主張に沿った内容に終始した。南北関係筋は会見について「肉親との再会を果たした本人の言葉は見る人をそれなりに引き込む。北朝鮮はそこまで計算したはずだ」と指摘する。(2006/6/29朝日新聞)

******************************************************************************
 独裁者が統治する国の国民ほど、不幸な民はない。今夜の記者会見のニュースを観ていて、金英男さんの拉致ではなく、自然の流れで北朝鮮で生活をはじめ、勉強のために滞在して家庭をもったという会見内容に、嘘の仮面を見る。と言っても、金英男さんも仮面を被せられ踊れる被害者である。その仮面をつけたのは、誰か。

毎月1日に届く雑誌「選択」で、一番最初に開くページが精神科医の遠山高史氏の「不養生のすすめ」である。社会現象を精神科医としてメスをふるう技は、切れ味鋭く凡人の意表をつく。(文面からご年配の印象を受けていたが、1946年生まれ)
3月号では、”独裁者が失う共感能力”について、興味深いエッセイが載っていた。

東北大学の川島隆太教授による脳の活性度の実験によると、碁の相手が人間の場合とコンピューターとでは大きな違いがあったという。人間相手の場合、最も高次の脳機能とされる想像力、知性をつかさどる脳の前頭前野の部分が活動するのだが、相手がコンピューターだと脳の一部しか使わない。その原因として、コンピュータのもたらす情報は多彩に見えるが、所詮システムの枠の中での出来事なのでパターンの繰り返しだからだろう、という理由で説明される。人の脳は、相手とコミュニケーションをしながら、システムそのものを変えていく。お互いに、それを繰り返すことによって”共感”できる場にたどりついていく。前頭前野は、その機能を果たすボックスかもしれない。

学生時代、東北旅行をした時に、こけしに目や鼻を筆で描いたことがある。そのこけしを見た友人から、「樹衣子に似ている、こけしらしくない」と言われた。なるほど、彼女のこけしは、こけしらしく友人にそっくりだった。誰にもこのような経験があるだろう。人は、なにを描いても、なにを表現しても、そこに自画像という投影図を残す。それを遠山医師は、「作品は脳の中身を映す一種の鏡」と解説している。人がものづくりに励むのも、私がブログを更新するのも、脳が外部に自分を刻印として残そうとする性質があるからだ。

しかしながら、自分の作品を客観的に判断するのは難しい。人は人との関係性において、類推するしかないのである。そこにも真実や事実があるかと言えば、100%本音というのも難しい。ここで遠山氏は、自分自身を知るのは相手の中に自分と共感の響きを見つけたときと伝えている。私がGacktを好き、好きな映画や音楽、感動した本を語るとき、それはやはりそこに自分自身を映す鏡を見ているのかもしれない。

けれども、独裁者はどうなのだろうか。北朝鮮の金正日総書記は、無類の映画好きともれ伝わってくる。多くの美しい物語が、映画にはある。専用ホームシアターまでつくって鑑賞する映画を観ても、この方に感情に”共感”という文字はないのだろう。自分ひとりでは、自己を知ることはできない。にも関わらず、共感しようという努力が独裁者には欠けていく。ルーマニアのチャウチェスク政権の崩壊を考えると、いずれは北の独裁者も自分への復讐がはじまるものだ。民衆への共感への努力を怠った罰として。

金英男氏は北朝鮮に渡った後「労働党の懐に抱かれ、本当に幸せに暮らしている」と強調した。 

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
統治者の孤独 (ペトロニウス)
2006-07-01 14:29:42
マキャべりストではないですが、僕は、統治者に共感能力は不必要だと思っています。いや、もう少し精確に言うと、「世界の全ての人間を信じない」ことと「マクロ的な正さ」を感受できる才能があれば、個人として重要な共感応力は不必要だと思うのです。極論をいえば、どんな犯罪を起こしても、結果として大きな世界の仕組みをデザインできれば、それでいいのです。



が、、、唯一、それでもんだいなのは、権力が暴走したときや後継者が必要な時に、社会が根本から崩壊したりする危さがあるためです、だから、暴走を抑え、うまい権力の継承ができるシステムをデザインができれば、独裁が悪いとは思いません。アメリカの大統領制も、イギリスの国王制度を元につくったものですし。民主主義がいいとは限らないですもん。



まっ、そういう権力論はともかく、拉致という卑劣な国家犯罪の究明を相手に要求できない、日本というのも、悲しいですよね。



国家の使命は、同胞の安全の確保ですからね。。。。
返信する
同胞の安全確保 (樹衣子)
2006-07-02 00:52:05
>「世界の全ての人間を信じない」ことと「マクロ的な正さ」を感受できる才能があれば、個人として重要な共感応力は不必要



ひとつの能力主義ですね。共感性は感情的な部分ですから、もし本当に統治者としての優れた政治能力があれば、共感性を私も不必要だと思うのです。ペトロニウスさまの上記のご意見を一読した感想は、合理的な科学者の感性に近いというのであり、そこにもっともだと共鳴する自分を、やはり科学教とまではいかないが、合理的にわりきりたい情熱はあるのかな、と。(笑)でも、わりきれないのがこの北の独裁者です。



おおかたの人々にとって独裁者という言葉の定義には、本来の政治的な解釈に”悪”の意味あいがもたされています。そこが古代ローマ時代はいざ知らず、累々たる国民の愚かな死や不幸がこの言葉にはりつく現代人の不運です。民主主義が本当によいかは、私も疑問です。ただシステムがどんなに優れていても、所詮運用するのは人間です。逆に、どんなに愚かな人間が運用しても、間違いなく正しく働くシステムを構築できたらよいでしょうね。



>国家の使命は、同胞の安全の確保



佐藤優氏の「国家の罠」を読んでから、国家の使命をよく理解できるようになりました。経済的制裁の必要性も考えますが、飢えている人々、特にこどもたちの姿(以前、写真報道で見ました)を想像すると、ここでもわりきれないです。それから同胞の安全確保ですが、いつテポドンが飛んできてもおかしくない状況です。結局、拉致被害者の事件は、他人事ではないと個人として”共感”しております。。。



>どんな犯罪を起こしても、結果として大きな世界の仕組みをデザインできれば、それでいいのです。



音楽家にすぐれた人格を求めないのに近いですね。
返信する

コメントを投稿