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1939年生まれの利根川進さんは、一年浪人して京都大学に進学。有名なエピソードだが、高校時代生物を勉強したことのない利根川さんは大学の一般教養で生物が細胞でできていることに驚く。語弊のある表現だが、生物に関しては中卒レベルの20歳近い日本の若者が、米国の新しくできたカルフォルニア大学に留学、そこで博士課程を取得。運よく、30歳でソーク研究所のダルベッコ研究所でポスドクとして働く。奨学金つきのビサが切れることから、1971年にダルベッコの推薦をもらってバーゼル免疫研究所に渡る。ここでの研究活動の成果が、後の87年のノーベル生理・医学賞の栄誉をもたらす。しかも、単独受賞で、選考委員のひとりから”100年に1度の大研究”と評価されたそうだ。
「抗体の多様性生成と遺伝学的原理の解明」というのがその研究。
何のことか、全然わからないぞ。
新聞報道などの解説を読んでも、これが私を含めた一般人の殆どの感想だと思うのだが、インタビューアーの立花さんは、利根川さんの大学時代、米国からスイス時代、そしてその後、MITで脳科学の研究に転進するまで、そんな素人読者のために解説もおりこんで果敢にきりこんでいく。利根川さんの発見は、生殖細胞=受精卵から体細胞(固体)に至る過程で、遺伝子の組み換えが起こっていることをあきらかにしたことだ。これまでの、ワン・ジーン、ワン・ポロペプチド(一遺伝子一タンパク質)が分子生物学の常識だったのをひっくり返した。まさに生物界において、コペルニクス転回だったのだろう。しかも、その発見は同時の多くの新しい研究のスタートにもなったということだから、いかに大きな発見だったのかわかってくる。そして、ノーベル賞受賞後は、免疫系で抗体が抗原を認識してキャッチするレセプターの仕組みが神経系のニューロンとシナプスと神経伝達物質が流れるときに、それを認識して受容するレセプターのメカニズムによく似ていることから、脳の先祖と免疫系の先祖が共通なのではないかと、脳神経の分野にすすみ、大きな成果をあげている。
本書から伝わる利根川さんの人となりは、昨年、同じ分野のノーベル賞を受賞した山中伸弥さんとはだいぶ違う。医師であり、患者を救うために臨床医から研究者に転進した山中さんが一般人と同じ感性をもつ誠実で謙虚な人格者であれば、利根川さんは自信満々で負けん気も強く、合理的な考えをもち、YESNoがはっきりしていて強引な印象もあるが、科学に対して実に情熱の人でもある。本書の彼の言葉の片鱗から、私にはサイエンティストとしての資質においては、日本人では利根川さんに並ぶ人はいないと思われる、というか断言してしまいそうだ。そもそもサイエンティストたる才能や資質は、利根川さんから学んだのだった。その点でも、科学を学ぶ学生が今でも本書を薦められるというのもよくわかるし、日進月歩の科学分野にも関わらず、初版から20年以上の歳月もたっても絶版にならずにすぐ手に入る。
ところで、前回読んだ時にも強烈な印象を残したのは、立花さんが「精神現象は一種の幻のようなもので、重さも形も、物質としての実体がないのだから、物質レベルで説明をつける意義はあまりないと思う」という感想に対して、利根川さんは「幻って何ですか。そういう訳のわからないものを持ち出されると、ぼくは理解できなくなっちゃう」とばっさり斬りかえしている対話である。超一級のサイエンスライターのお仕事をしている立花さんですら、そんな非科学的な発想をしていたのだ。ファンタジーのお話をされると頭が混乱する私も、いつか精神活動は物質レベルで解明されると考えている。心の病もかなり治療がすすむと思うのだが、子育てや教育面で優生学的な思想も発達するのではないか、と別な面での危惧もある。今でも現役でエネルギッシュに活躍しているらしい利根川さんも、もう73歳になる。そろそろ続編を期待してもよいのでは。