東京国立博物館の「大神社展」、「第2章 祀りのはじまり」というコーナーは、ジックリ見れば、神道の歴史がわかるようになっている。
なんといっても、沖ノ島の出土品が見れたのが収穫だった。沖ノ島は、九州・福岡から60km離れた玄界灘の真っ只中にある、ほぼ無人島に近い島で、宗像大社(むなかたたいしゃ)が、ここに宮を置いている。一般人は、祭りの日にしか立ち入りできない。祭りのときでさえ、入れる人は少なくて、しかも女人禁制。だから、「絶海の孤島にある、古い祠」(ドラゴンクエストにはアリガチだった…)というイメージが強い。
そんな沖ノ島には、日本の神道の原型があるとされている。というのも、そのくらい古い。「おそらく、日本で一番古い神社」として、神道学者も認めている。中国の王朝・魏からもらった「三角縁神獣鏡」もある。「邪馬台国は九州にあった」という人は、これを重視している。日本としては、記録もなにも残っていない、文明の黎明期。
古い時代の銅鏡とか、ちょっと新しい時代の精巧な工芸品とか、いろいろ見て楽しめた。
沖ノ島では、4世紀の後半から10世紀ころまで、神道の聖地として大規模な祭祀が行われていた。祭祀の規模からすれば、とても「地元の人たちがホソボソと」という雰囲気ではなく、中央の大和朝廷が主宰していたと考えられている。
やがて、宗像神社の「沖津宮」(おきつみや)っていう、神社の出張所みたいなところが作られたけど、当初はそれさえもなかったらしい。島全体が、御神体とされていた。島の中には、磐座(いわくら)があった。それは、神がやどるとされた大きな岩石。
それから、奈良の三輪山にある、山ノ神神社の出土品もあった。三輪山も、沖ノ島と並んで「日本で一番古い神社」のひとつとされている。「邪馬台国は畿内にあった」という人は、これをとても重視している。
三輪山の大神神社(おおみわじんじゃ)にも、本殿がない。山全体が、御神体とされている。これまた、「島全体が御神体」という、沖ノ島と通じるものがある。しかも、山の中には磐座(いわくら)がある。これも、古代の信仰ではオナジミの、神がやどるとされた大きな岩石。
この、沖ノ島と三輪山のケースから見て、「古代の神道には、もともと、神殿がなかった」と言われている。日本の神々は、島とか山とか、特に大きな岩とか、自然のものに宿るのだ。だから、人間が建物を作るまでもない。同じ古代の信仰でも、古代のエジプト・ギリシャ・ペルシャ・・・と聞いて、真っ先に思い浮かべるのは、巨大で壮麗な神殿だ。それとは、大きく発想が異なる。
でも、沖ノ島や三輪山と並ぶ、日本の信仰の原点が他にもあった。
それは沖縄に残る、斎場御嶽(せーふぁうたき)。いまや、注目のパワースポットだ。ここでは、琉球王朝の女性神官の就任式が営まれた。沖縄の神職は女性ばかりで、沖ノ島とは逆に、男子禁制になっている。
中世の琉球王朝だけに、「古代の遺跡」ってわけじゃないんだけど、本土の古い神社と共通するところが多い。斎場御嶽の中心になっているのは、「三庫理」(さんぐーい)と呼ばれる、岩にできた三角形のスキマ。神を祀る儀式は、この岩陰で行われていた。
「大神社展」では、沖ノ島や三輪山だけでなく、この沖縄の斎場御嶽の祭祀遺跡から出た出土品も、たくさん展示されていた。予備知識がない人には、これと「日本の神道の始まり」になんの関係があるのか、横の説明書きを見たくらいじゃ分からないかもしれない。
「日本の古代文化」となると、なんでも「ウリナラが発祥の地ニダ」と主張する勢力があるのは、ご存知のとおり。でも、それは日本に限ったことではない。あの中国でさえ、世論調査で「某国が嫌いな理由」として、「中国の文化を、なんでもウリナラが発祥地ニダと主張するから」というのがトップになっていたくらいなのだから、気にしたところで始まらないのも事実だ(笑)。
でも、日本の古代文化を語る上で、本当に注目すべきなのは、ウリナラよりも沖縄だろう。空手も三味線も、沖縄が発祥の地なのだ。稲作も、「南方から伝わってきた」という説が主流になってきている。東アジアの中でも、北京や韓国といった北方の地域は、どうも日本との相性が良くない。それに比べて、台湾やベトナムと、日本の親和性はずっと高い。やはり、日本の文化はもともと南方の文化なんだということが、これを見ても分かるというものだ。
それはともかく、重要なのは、沖縄にも、日本の神道の原型のようなものがあった。そこには、神殿がなかった。「神は岩のスキマに降臨する」とされ、野外で儀式が行われていた・・・ということ。
しかも、それは、「日本で最も古い神道の姿を残す」とされる、沖ノ島や三輪山と、不思議なほど符合する。
日本の神々は、自然の中に宿る。だから、儀式は野外で行う。神殿は必要ない。それが、神道の大きな特色。
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