先日、日蓮宗の高僧・竹内日祥上人のご講話を拝聴した。
竹内上人は、宗教の話を一切しなかった。聞くところによると、日ごろから「経営幹部セミナー」を中心に活動しておられるそうなのだ。この日も、経営幹部および、その候補生に向けた内容であった。熱気あふれる会場は、満員の盛況だ。
それによると、人間には「高い価値観」と「低い価値観」がある。「高い価値観を持った、真のリーダーたれ!!」という教えなのだ。でも「高い価値観」って、いったい何??
世界をマクロな目で見れば、全体として一つの存在である。しかし、ミクロな目で見れば、部分的に無数の個体からなっている。竹内上人においては、「人間は、60兆の細胞からできている。細胞にはそれぞれ役割があり、微生物として完結している。その人間が60億人も集まって、地球人類が形成されている。人間にはそれぞれ役割があり、生物として完結している」・・・・・と説明される。いわば「全体と部分」の構造だ。
ここで「全体」(人類・地球・そして宇宙・・・)を志向するのが高い価値観、「部分」(自我)を志向するのが低い価値観、ということになる。
「部分性を志向する」とは、自と他を対立存在とみなし、競争して我欲の追求に生きることだ。「全体性・普遍性」という上を目指さず、「部分性・個体性」という下を目指す、エゴのカタマリのような人間である。このような自我人間が多いことこそ、現代文明の病理なのだ。これは、人間本来の自然な姿ではない。おかげで、現代人には精神を病んでいる人が多い。
コンサル星人の周囲にも、自我のカタマリと化してしまった人物がいた・・・。周囲との折り合いが悪くなり、一人でふらりと旅立ってしまった。残された人達は、大混乱だ。このような人には、竹内上人の講話テープを一日10時間くらい聞かせてやりたいものだ。
そんなある日、一人旅に出た彼は、旅先からお土産を宅配便で送ってきた。とても美味しい、お饅頭であった・・・(続く)。
2011年4月9日 追記 : ここで『全体を志向する』・『部分を志向する』等とあるのは誤りで、『全体を思考する』・『部分を思考する』というのが正しい表記でした。訂正するとともに、この記事を閲覧された多くの方々にお詫び申し上げます。
正しくは、「全体を思考する」、「部分を思考する」と表記するべきでした。
竹内上人は、筆者にしては珍しく、著書などの文字情報によらずに講演だけで接した人。耳から取り入れた情報で書いたことなので、当時は誤解してしまったようです。訂正コメントを付記しておきます。