宇宙のこっくり亭

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現実主義者のアリストテレス ~ ギリシャ哲学 その4

2014年07月07日 | 精神世界を語る

 
  
西洋哲学の祖といえば、2人いる。プラトンとアリストテレスだ。

お釈迦さまが始めた仏教には、いろんな宗派が広がった。それぞれの宗派は、ほとんど別モノに見えるほど違いが大きい。でも、どの宗派もみんな、お釈迦さまの教えを学んだ弟子であることに変りはない。

儒教もそれと同じで、どんなに多くの学派が広がっても、やっぱり、基本的には孔子さまの教え。

それと同じように、西洋哲学も、基本的にはプラトンとアリストテレスの教えと言っていい。つまり、宗教じゃないんだけど、宗教に例えるなら、この2人が開祖。

西洋の哲学者たちは、見た目ほど、バラバラにものごとを考えていたわけではない。

基本的には、プラトンとアリストテレスの教えを学んで、そこから考えを発展させる。それが、「西洋哲学」というものだろう (ただし、宗教と違って、「論理の積み重ね」が重視される)。

といっても、この2人は、対照的な人たちだった。プラトンは理想主義者、アリストテレスは現実主義者、それぞれの代表選手といったところ。

上の有名な絵でも、プラトンは天上界を、アリストテレスは地上界を指差している。つまり、この師弟コンビはそれぞれ、そういう人たちだったのだ。

師匠のプラトンとは異なり、アリストテレスは、地上の現実を見ていた。プラトンは、この世を「影絵」あつかいしていたが、アリストテレスは、そんなことなかった。

ただし、これほど哲学者らしい哲学者は、後にも先にもいない。まさに、空前絶後のスーパー大哲学者だった。アリストテレスのおかげで、哲学だけでなく、科学も大きく発展した。

アリストテレスは、「万学の祖」と言われる。つまり、アリストテレスは、理系だろうが文系だろうが、あらゆる学問を究めていた。当時の知識人としての、すべての知識を身につけていた。

人類史上、そういう人は、アリストテレスで最後だろう。現代では、知識の量が多すぎて、絶対にムリだ。故・小室直樹博士あたりは、それを目指していたみたいだけど・・・。

とはいうものの、万学に通じたアリストテレスにも、専門分野はあった。それは、生物学。

とくに、動物を観察して、とても深く研究していた。

昔から、生物学をやっている人には、現実主義者が多い。毎日、いろんな生物を分解して調べていれば、「生命の神秘」どころじゃなくなってくるからだろう。

もちろん、中には、「生物学をやって、生命の神秘に目覚めました」という人もいる。村上和雄博士や、ブルース・リプトン博士のように、精神世界で有名になった人もいる。でも、そういう人は少数派で、生物学をやると、たいていの人には、生物が「機械」に見えてくる・・・。

その代わり、アリストテレスは「成長重視」だった。というのも、生物は、まだ何になるのか分からないタマゴの状態から、摩訶不思議にも成長して、魚とか、カエルとか、ヘビになっていく。

アリストテレスにとって、世界のすべては、そういうものに思えた。

地上のすべてのものは変化し、成長している。理想形は、その成長の先にある。

師匠のプラトンが語る、「イデアの世界」の話を、アリストテレスは認めなかった。

「天上のイデア界には、光り輝く、ニワトリの真実在がある。地上でコケコッコーと鳴いている普通のニワトリは、その影絵みたいなものなのだ」。

・・・そういう話を聞いても、アリストテレスには、「そんなバカな」と思えた。

アリストテレスにとって、ニワトリの真実在、つまり、本来あるべき姿とは、どこかの「イデア界」などにあるのではなかった。

それは、タマゴの中にある。

タマゴがかえって、ヒヨコになる。やがて、ニワトリになる。それは、完成されたニワトリという理想形が、もともとタマゴの中にあったからだ。

犬の赤ちゃんが、成長して犬になるのも同じ。木材が机やイスになるのも、ブドウがワインになるのも同じ。

いずれにしても、地上の事物はみんな、それぞれ、どこか不完全にできている。しかも、バラバラに分かれている。

なんで、そうなるの?

・・・いくら現実主義者といったって、哲学者である以上、アリストテレスの問題意識もそこにある。

要するに、「本来は完全無欠の世界であるはずなのに、なんで地球という環境は、こんなにデキが悪くて住みにくいのか?」という素朴な疑問と、根っこのところは一緒。

そういう不完全でバラバラな地上の事物には、元になる「オリジナルの理想形」がある。それは完全な、本来あるべき姿なのだ。

それは、アリストテレスも否定しなかった。そこまでは、プラトンと変らない。

ただし、それは、天上の世界にあるわけではない。それは、地上の事物それぞれの中に含まれているのである。

例えてみれば、目には見えない、透明な「型」がある。それは、本来あるべき、理想的なカタチをしている。

そこに粘土を入れて、粘土細工を作る。できた作品は、オリジナルの型と比べたら不完全ではあるけれど、一応それらしくなる。

地上に存在する事物は、作っている最中の、まだ完成していない粘土細工みたいなものなのだ。

ここでいう「粘土」にあたるものが、地上の世界では、「物質」ということになる。

こうして、優秀すぎる弟子のアリストテレスは、師匠が描いた天上の理想の世界を、地上の現実へと大きく引き戻したのであった・・・。
 
 
(続く)
 


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