宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

地球人類のエゴ

2012年08月23日 | 精神世界を語る
 
地球は、お世辞にも生きやすいところとは言えない。なんで、こんなに生きにくいのか。理由はいろいろあるけど、最大の理由はやっぱり、個々の地球人のエゴだろう。これには、強烈なものがある。幼少のころから、地球人同士がエゴをぶつけ合って生きる姿には、本当にビックリさせられた。

これでも地球人類の社会がなんとか成り立っているのだから、その意味では「奇跡の惑星」と呼ぶに値する。まあ、無数の人間たちがエゴをぶつけ合って暴発寸前とはいうものの、かろうじて利害調整が成立し、スレスレのところで踏みとどまっているということか。それにしても、無理のある世界だ。こんな奇妙な世界があるということ自体、まさしく、事実は小説よりも奇なり。

どうして、地球人はこんなにエゴが強くて、いつも混乱しているのか。いろいろ言われているけど、結局のところ、「地球人類は、まだ動物から進化して日が浅いからである」・・・というのが、筆者の意見。
 
というのも、動物たちは、いつも食うか食われるかの生存競争を繰り広げている。常に、食ったり、食われたりしている。

今は、夏の終わりの時期。セミの声も、だんだん静かになってきた。それに代わって、スズムシの季節が目の前に来ている。あちこちで、セミが地面に落ちてジタバタとモガいている姿を目にするようになった。セミの生命は短い。セミが、幼虫として地中で6~7年の歳月を過ごすことは良く知られている。晴れて成虫になり、夏の主役としてミーンミーンと声高にデビューするまでには、それだけの暗くてジメジメした日々があるというわけだ。それなのに、活躍できる時期はホンの2週間かそこらしかない。それでも、2週間の天寿を無事に過ごせれば、まだマシなほうだ。

先日も、クモの巣に引っかかったセミが、ミーンミーンと大騒ぎしていた。そこにクモが近づいてきたため、セミの騒ぎ声はいっそう大きく、耳をつんざくような響きになった。やがて、急に声が止まって静かになった。クモにトドメを刺されたようだ。せっかく、短い夏を精一杯に生きていたというのに、ああ無情。もちろん、セミの代わりなど、いくらでもいる。それでも、セミの悲痛な声(?)は耳に焼き付いて離れない。

動物たちも、魚たちも、その他の多くの生き物たちも、大なり小なり、食うか食われるかの競争を繰り広げている。見た目はジッとして動かない植物たちでさえ、水面下では激しい陣取り合戦を繰り広げ、根を下ろすのに有利な場所を奪い合っている。生存競争に敗れたものは、いつのまにか地上から消えていく。
  
結局のところ、人類の激しい闘争も、こういう生物の生存競争の延長上にある。
 
もっとも、「いや、争いが絶えないのは人類だけだ。動物や植物たちは、大調和の中で共存共栄しているのだ」という声も、よく聞かれる。
 
つまり、動物や植物たちは、ミクロの視点で見れば血みどろの食い合いを続けているのだが、マクロな視点から見れば、自然界が全体として大調和している。お互いを殺して食い合い、栄養源にして生き延びるというのは、よくできた食物連鎖のシステム。その中で、皆が共存共栄しているというのだ。ああ、地球を創造した神様の、なんと広く深い、愛と慈悲であることか。それに比べて、創造主のお心も知らず、はてしない争いを繰り広げているのは人類だけなのだという。

確かに一理あるんだけど、それを言ったら、人間の社会も同じことなんじゃないか(笑)。地球人類の社会は、どこを見ても争いばかり。でも全体としては、とにもかくにも商品を売ったり買ったり、いろんなサービスを提供しあったり、分業で社会が成り立っているのも事実。ヒトは、一人では生きられない。動物や植物の自然界と同様、見方によっては全体が共存共栄しているとも言える。

ただし、「共存して社会が成り立っている」というのは、うわべだけでしかない。地球人類の社会は、どこもかしこも、バラバラに分裂して崩壊寸前だ。それは今に始まったことではなく、大昔から、ずっと続いている。しかも、崩壊寸前で踏みとどまっているのならいいんだけど、それはいつまでも続かない。実際に、しょっちゅう崩壊して大混乱になってきた。人類の社会は、たとえ表面上は安定しているように見えたとしても、そのうち必ずバラバラに分裂して、収拾不能のカオスになる。でも、心配ない。世の中は、たとえ崩壊しても、やがて再建されるからだ。戦乱・飢餓・疫病・・・その他で何もかもブッ壊れ、メチャクチャになった土地に、別の人たちが流れ込んできて、また国家や都市が再建される。有史以来、人類はずっとそれを繰り返してきた。常に、崩壊したり、再建したり・・・の繰り返し。それが、地球人類の歴史だった。
 
これまた、自然界の動物や植物たちも一緒。ある者が食い尽くされてポッカリ空いた場所に、別の者が進出してきて穴を埋める。常に、その繰り返し。そうやって、地球環境そのものは終わることなく続いてきた。でも、そこで生きる者にとっては、あまりにもキツい。

残念ながら、地球人類の意識の進化段階は、まだ動物から進化して日が浅いレベルにある。大半の地球人類は、まだまだ自然界の生存競争を引きずっており、動物の本能に近い意識で生きているというのが実情。よく怒ったり暴れたり、攻撃的なのは、そのせいだ。

これは、筆者だけの意見ではない。かの高名なる「20世紀最高の聖者」ことJ・クリシュナムルティも、「人類の凶暴さは、野生動物の意識を引きずっていることに原因がある」とたびたび指摘していた。トラやオオカミたちは、草食動物を追いかけては、鋭い爪と牙で引き裂いて真っ赤な肉塊に変えてしまう。その姿は、戦争や犯罪にしばしば見られる人類の凶暴さと、どれほどよく似ていることか。

「地球の人類は、神様のお心を忘れてエゴにおぼれ、堕落してしまいました」というのも一理あるとは思うけど、現実を観察する限りでは、そうは見えない。つまり、地球人類が、「昔に比べて堕落した」とは思えない。どちらかといえばむしろ、「以前と比べたらマシになってはきてるけど、まだまだ、このレベルまでしか来ていない」と見るのが当たっているように思う。

だが、それも永遠に続くわけではない。いまや、地球人類の意識は急速に進化している。大半の人類の、相変わらずな生き方を見る限りでは、「ホントかよ・・・?」と思えるかもしれない。でも、あえて「本当だ」と言わせてもらいたい(笑)。
 
 

最新の画像もっと見る

15 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
エゴと人間の上位存在 (ヒイロ)
2012-08-23 07:13:13
ご無沙汰しております。ヒイロです。
(ご無沙汰はお互い様か(笑)日記かなり待ってましたよ~w)

ところでエゴってなんでしょうねぇ。
辞書で調べると
一般的に我々が使ってる意味のところの

自分の利益を中心に考えて、
他人の利益は考えない思考や行動の様式。
利己主義。

って意味と
自我って意味があって
何となくニュアンスが違うんですよね。

自我が必要なのか不要なのか
という話になると自我ってなんぞやって話から始めないと
言葉の共通認識が難しいのですが
自我を行動や意識の主体と考えると
一般的に、それは必要だろ!って事になります。

もしもというか一仮説として
もう一歩生長する為には
そのような自我を超えたほうがよい
という説もまぁあるでしょう。

ただここまでくると
人間の言葉と理屈をコネ回してみても
体感でしか理解できない領域になっちゃって
中々答えは出せない上に言葉にする事も難しい(笑)

因みに自我不要論が仮に正しいとしたら
共通意識というか集団意識に身を任せる方が良いのか?
とか、もしそうならどの集団意識を選ぶのかとかとか
そんなお話になるのでしょうか。

こちらの意味のエゴ(自我)ってのは
まことに哲学コネ回したような思考になっちゃうので
興味深いけれどもちょいと難しいっすよね(汗)


もう一つのエゴってのは
自我の話に比べて一見わかりやすい
一見といわず
間違いなく分かりやすい話です。

で、そちらのエゴの話ですけども
生物共通のプログラムってありますよね。
勿論人間にもありますし
ミドリムシやプランクトンにもある
共通のプログラム
逆に言えば
それがなければ生物とは言えない
2つの欲求
もっと言えば
これさえあれば生物と言っても良いとさえいえる
その2つってのは

生存欲求と繁殖欲求
平たく言えば
死にたくないってのと
増やしたいって事
(魂というものも、その視点で考えると生物と見ることができます)

さてさてここをエゴという
何となくネガティブな言葉で否定したら
生物としてのアイディンティティーすら
崩れてしまう訳です。


まぁ今までの問題は
生きるためには
奪うしかない。
殺すしかない
という選択肢しかもたなかった故に
エゴ→即ネガティブ
というイメージだったと思う訳です。

殺す、奪う以外の選択を使えば
エゴってのも中々楽しいものかもしれません。

もう一度エゴの定義を引用しますね。

>自分の利益を中心に考えて、他人の利益は考えない思考や行動の様式。利己主義。

という事らしいです。
生存欲を含めて自分の利益を考える事が
他人から奪うという行動と直結すると
エゴってやだよねぇ
って事になります。

でもエゴの定義自体に大きな問題がありますよね。
その問題というのは
自分の利益を最大化しようと思ったとき
その手段として「他人の利益の最大化を考える」
というオプションを前提としていないという事。

「金が全てだ!金を稼ぐには手段は選ばないぜ!」
って言って人に嫌われつつ大金を稼ぐ人ってのも
現実問題いるじゃないですか。

でも、実は僕の方が彼らよりもエゴが強いと思うのですよ。
それは
金も欲しいけれども
「金さえあれば」という程、謙虚にはなれない
って事です。

金も欲しいし
幸せにも生きたい。
色々楽しみたいし
楽しみは色んな人と分かち合って
それらの人を気持ちよくさせてみたい。
できれば人から感謝とかももされてみたい
とかとか色々思う訳ですよ。

お金だけでOKなんて謙虚な気持ちにはなれない訳です。

そうすると
それらの自分のエゴを満たす為には
自ずと「人から奪う」以外の戦略が必要になりますよね。

もう一度引用

>自分の利益を中心に考えて、他人の利益は考えない思考や行動の様式。利己主義。

仮にエゴイスティックに
自分の利益を中心に考えれば
他人の利益にフォーカスする事が
自分の利益を最大化させる事である。
ってロジカルに思う訳ですよ。

もっとシニカルな言い方をすれば

他人の利益なんて知ったこっちゃねぇよ
でも自分の利益だけが大事なんだよな~。
俺の利益を最大化するにはどうしたら良いんだろう?
結論。
他人に喜ばれるような状態を確保し続ける。

えっ?(;゜Д゜)!<エゴっぽい事やってたらエゴ満たせねぇじゃん!


精神世界的はお話の場合
だから皆がそれに気づきましょう
って話になるんでしょうけど
現実問題として
「地球人同士がエゴをぶつけ合って生きる」

そして、それは
「地球人類は、まだ動物から進化して日が浅いからである」
という落としどころになっちゃう
無論この落としどころも大いに有りだと思います。

でも生物学的には
人間という生き物はかなり不可解な行動をとるんですよね。
普通、動物の2つの絶対的ニーズは
自己保存と繁殖。

にもかかわらず
人間はいとも簡単に
自分の命を捨てる事ができる。

子供の為に死ねる親がいるし
日本国の為に死ぬことが出来る
アメリカの為に死ぬことが出来る。
これは生物学的に不可解な行動な訳です。

動物も戦いますが
それはあくまで自分が生き残る為です。

生物学的に考えると
子供の為に死ぬというのは不可解で
繁殖を考えても
また新しく創るという選択の方が合理的なわけです。
でも、いとも簡単に
子供の為とか
国の為とか
宗教の為とか言って
生物としての根源的エゴを捨てる行動をおこす。

良い悪いの話ではないです。
なんか理屈的に不可解な点が多いという話です。

「地球人類は、まだ動物から進化して日が浅いからである」

そう考えると人間は、動物から進化したのか退化したのか・・・
というような二元論的思考にいっちゃいそうですけど
仮にそれが進化であろうが退化であろうが
この人間の行動の説明にはなっていない訳です。
どちらにせよ人間は他の動物とは別
特例として扱いましょう。
ってだけの話。

でもそれに説明を試みた人がいます。
またまた岡田斗司夫さんですが(笑)

彼の仮説を僕なりに書いてみるとこうです。

人間の体の中には微生物が居て
人間が生きる為に働いているけれども
微生物自体は人間の為に働いているという自覚はなくて
彼らは彼らの欲求の為に生きている訳です。
微生物からしたら人間は上位存在で
人間からしたら微生物は下位存在という事になります。
「人間も地球の一部なんだよ」なんて事も
スピリチュアルの世界でよく言われる話で
それもある意味正しいと思います。

しかし彼の仮説の面白いところは
「人間の上位存在は文化である」
という話。
文化という物じたいが
一生命体ではなかろうか?
って事。

何故か?
文化が一度できると
それは存続しようとします。(自己保存欲求)
そして伝播しようとします。(繁殖欲求)

そして文化は生き残りをかけて
他の文化と争います。
(上位存在=高度な知性体という訳では無い)

そして我々は文化という生物の下位存在で
文化の生き残りと繁殖の為に動いている。
と考えると生物学的に不可解な行動も納得いくという話です。

日本文化対アメリカ文化
キリスト教文化対イスラム教文化
過去の戦争の構図です。
我々は文化生命体という生物から見ると
使い捨てのコマみたいな立ち位置ですが
別に人間は文化様の為にとか
そんな認識で生活とかはしていません
ビフィズス菌が人間の為に働いているという自覚がないようにです。

で、我々の上位存在である
文化生態系という世界にも
アセンションじゃないですが
ちょうど進化の過渡期なのではないか?
って話になります。

昔は日本人には、武士文化や庶民文化というのがあり
その上に日本文化という入れ子構造になっているという事はありますが
武士文化と庶民(農民)文化は相容れる事はなく
共通認識である日本文化はアメリカ文化と相入れる事が無かった訳ですから
文化の生き残りと繁殖の為に戦争という行為を行なっていた訳です。
(宗教戦争とかの方が文化の侵食イメージとしてはわかりやすいっすかな?)

しかし近年急激にインターネットなどの発達により
日本人の頭の中に日本文化を持ちながら
アメリカの情報とかも普通にサイトやメールとかで
シェアできるようになり
日本人でありながら
頭の中は
日本文化20%
アメリカ文化10%
オタク文化30%
2ちゃんねる文化5%
ももいろクローバーファン文化10%
働いてる会社文化10%
その他ニッチ文化15%
みたいに一人の人間の頭の中には
モザイク的に文化が共存するという状態になっています。

そうすると昔は
文化という生物の
繁殖、生き残り戦略は
他文化にくみする人間を
改宗もしくは排除するという
方法でしたが
一人一人の人間の頭の中に
複数の文化が共存してしまっているが故に
今までの戦略が急速に使えなくなってきている
文化生命体として生き残るには
他文化排除以外の方法を模索する必要がある。
そんな時期にきているのではないか
という話でした。

という事は下位存在である人間も
文化生命体の為に命を投げ出すという必要が
なくなりつつある。
というのが今現在なのではないでしょうか。

う~ん、長文すんませんm(_ _)m

返信する
賛成ですが (とり)
2012-08-23 11:59:28
僕も小学生の頃
人間のエゴが強い事が全ての元凶だ
と思い至りました(^^;;

そして最近
何となく世の中が
変わり出しているような
いないような、、、

波動上昇の
具体的な根拠
教えて欲しいです(^o^)
みんな速く安心して欲しい

メタンハイドレートやシェールガスが
ほぼ無尽蔵にある事が解れば
あとは仕組みが変われば
世界全員か
取り合いせずに暮らせますよね

でも
一部の人が独占欲にかられれば
不可能です

意識の進化が本当に切望されます
返信する
Unknown (むーさん)
2012-08-23 16:59:27
老子は屈するものは完全に残ると言っていたと思います。
それが人間にはまだ理解できないのだと思います。
詰まるところ人間の意識進化は近年になってようやく速いスピードで進み始めたのではないでしょうか
世の中がサバイバル状態なのはまだ動物的感性から抜け出せていないからというのも納得です。
返信する
Unknown (いす)
2012-08-24 00:03:59
こんばんは

最近読んだ本の中では、デービッド・アイクの「ムーンマトリックス」が面白かったです
ペトロ・ホボットの本などに「爬虫類人(レプティリアン)」の話が出てきますが、この単語を有名にしたのはアイクですね
2,3巻は政治の話なので斜め読みしてしまいましたが、4巻以降の内容に感心しました

ぶっちゃけ言うと、アイクによれば、人間にエゴがあるのは
かつて爬虫類人が遺伝子操作で爬虫類脳を人間に埋め込んだから、ということらしいです(笑)

突拍子もない話に聞こえますが、彼の主張は
バーバラ・マーシニアックのチャネリング情報やアレックス・コリアーのコンタクト情報
覚醒者グルジェフの話やアメリカの元情報将校ウィリアム・クーパーの話
それにゼカリア・シッチンの説とも共通点があるみたいです

ムーンマトリックス、おすすめです
返信する
荒い世界はもう・・・ (zorba)
2012-08-24 02:29:17
こちらのブログを掘り当てて(※?)からというもの、いつも拝読させて頂いている者ですが、はじめて投稿させて頂きます。
コンサル星人さん、また、コメントの方々の言葉は、私にとって、まるでバイブルのようなものになっている気がします(※お世辞でもなく、魂の底からそう感じて(※シンクロ)しまっているのです・・・)。

私は未だ地球という、あまりにも荒い星(※酷い/ハッキリ言ってクソ以下/魂の学び屋)の中で、アバター(※肉体)を右往左往しながら回転(※スピン)させている者ですが(笑)、それもそろそろ終了したい(※輪廻の終了)なぁ、なんてことを、いつも想っています。

確かに、意識進化は、果てしなく遠い道のりのように感じます・・・。
それでも、穏やかな波(※1/F揺らぎ)の中に溶け込むような、意識体が中空を彷徨うように、”ただプカプカ浮かんでいるような世界”を切望しています。

これからも拝読させて頂きたいと存じます。
ではでは。
返信する
Unknown (ひろ)
2012-08-24 22:06:20
確かに仰るとおり、栄えては壊して来て来ているのが今までの歴史なのかもしれません。

でももう飽きました。

そろそろ終わりにしましょうよ…
返信する
Unknown (EDEN)
2012-08-24 22:36:04
それにしても本当に酷い世界だ。

想像を超えている。

自分の意識を高く上げれば上げるほど、
どうしようも無い感が強まる。

期待を込めて今年中に世界の滅亡と再建の始まり開始に一票!
返信する
ましになっていると思います (bigjoe)
2012-08-28 23:53:47
私が子供の頃に比べ、私の子供(小学生)の周囲に攻撃的な人間がかなり少なく、平和であると思います。学級崩壊なんて言っていますが、私の頃は先生が怖くて、支配されていましたから。

で、小さな世界ではありますが、私の職場でも、50代の人たち(偏見が入って申し訳ないのですが)は、常に同世代及び立場を危うくする若い世代を攻撃し、協調よりも支配、自分が抜きん出ることに必死で、競争心が強く感じます。

40代も似ていますが、50代ほどではなく、しかし、同世代の出世には大いに腹が立つようです。若い世代にも支配的な言動と、従うことを強要する傾向にあると思います。

30代は、出世よりも、その場を凌ぐための協調を求め、横のつながりがあるように感じます。上に対してやや反抗的で支配を嫌う傾向にあると思います。若い世代に対しても支配よりも協調を求めるので、ややなめられているようにかんじます。

20代に関しては競争心が感じられず、横のつながりはありそうですが、基本個人主義の感じがします。
おとなしく、攻撃性は非常に少なく、私としてはもっとやる気を出して欲しいと思いますが、従順でよく働いてくれます。

非常に勝手な偏見が入っていますが、確実に若い世代ほど攻撃性が低くなっていると感じます。

裕福になった結果もあると思いますが、確実に人間の攻撃性は少なくなっていると思います。

私が子供の頃のアニメは勧善懲悪の白黒はっきりしたものが多かったのですが、今のアニメは設定が複雑で、片方が完全に悪いというのがなく、人間の複雑性を考えさせられるものが多いように感じます。

これも人間が協調への進化が順調である証拠ではないでしょうか。
返信する
Unknown (カリメロ)
2012-09-02 03:35:29
ハッキリ言いましょう。

違いますよ。

いや、ある一面からすると当たっているかも知れないけれど。

そうではなくて。。。

天の神様から自由意思を与えられてまだ間がない、間がなかったというのが正しい答えです。

自由意思を与えられたばかりの人間は最初は正しく使えないのです。

これが正しい答えです。

これはこの地球に限った事ではないです。

ただその自由意思が自ら住む星をも破壊させる寸前にきた星を大周期の終わりのきた遊星というのです。

今回は宇宙の中でこの地球の番がやって来たとも言えます。

ただ正しい世の終わりを迎えられず、6度もの失敗を繰り返したのは、この太陽系ではこの地球だけです。

それほど難しい星だったという事です。


返信する
Unknown (カリメロ)
2012-09-02 03:55:42
それと。。。
非常に違和感を覚えるのは、この地球には半ば強制的に使命を果たしてきなさいと連れてこられたとか、送り込まれたいうコメントには疑問の嵐ですね。

宇宙は自由意思を絶対に侵さない。

自分の意に反してイヤイヤ送り込むような事は絶対にしませんよ!!

人間が判るまで何千年も何万年も待つというのが神様の本当の愛です。

生まれてくる時は自分の意志で必ず使命を果たすと誓ってきているはずです。

生まれてみて、ここまで酷いとは。。。
生まれて来るんじゃなかった。
と私も一度だけ思った事はあります。

しかし生まれてきたのは自分の意志のはずです。

自由意志を侵す事は宇宙最高神でさえ、それは絶対になさらないのです。

覚悟のほどは?と聞かれて絶対役目を果たすと誓ってきているワンダラーしかこの地球にはいないはずです。

他の天体からこの地球に転生する事を、冒険か引っ越しと勘違いしていませんか??

軽すぎて心底腹が立つわ。怒

他の星から転生するという事はこの広大な宇宙の中でも、非常に稀で稀有な事なんですよ。


我慢ならんお前ら宇宙をナメるな!!!

たわけ者!!

返信する

コメントを投稿