スザンヌ・リー
スザンヌ・リーさんという人が、観察の瞑想の意義について、シンプルに解説している。RIEKOさんの翻訳もアチコチでコピペされてネット上に流布している(元ネタのリンク不明)。
>多次元マインドを三次元脳に合わせて調整を行うと、私達の意識、つまり知覚は大きく拡大します。
>私達の拡大知覚が目覚めると、身体の五感の限界によってとどめられていた大量の情報が表面化して私達の気づきに現れ、現実が透明化します。
>日常でこの「全てを知っている」状態にいると、制限や分離といった残存している幻想が解体してゆきます。
>日常で私達が特別な才能を発揮するように、拡大した知覚は強化され、日常意識にオンライン化します。
>こういった拡大知覚は、私達の真なる多次元的本質が元々持っているものです。
>それが理解できず、恐怖心から判断を下す人々が出てきます。
>このように他人から判断を下されることがなければ、多くの人々が拡大知覚を隠すこともなくオープンに使うことができることでしょう。
>幸い、どんどん人々は目覚めていますので、そういった判断が下されることが少なくなってきました。
>ですから私達の中からこの新たに活性化された、この長らく隠されていた知覚能力を使う人が増えてきています。
これによると、スピリチュアルな目覚めとは、「知覚の拡大」なんだそうな。日常生活で使っている五感とは異なる、拡大された知覚。いままで、超能力とも、観自在力とも言われてきた能力だ。
それによると、この新たな知覚は、自分の身体の中の微細な感覚を、念入りに観察することで得られるらしい。
「新たな知覚を得る」というより、むしろ逆で、「もともと持っていた、古い知覚を思い出す」という感じ。
>この生来持っているサイキックな知覚を取り戻す一番の秘訣は、私達のマインドやハート、身体の内で囁きかけてくる静かで小さな声に耳を傾けること。
>私達は聞き、見、感じ、匂い、触れるものについての情報を得るために肉体の五感を使います。
>そして高次意識の拡大した振動に共鳴する情報についても、肉体が教えてくれます。
>覚えておいてください、私達は単に意識を上昇させるのではありません。意識を拡大させるのです。
>意識、思考、期待、知覚を拡大させると情報がやってきます。
・・・これは、実にシンプルに要点がまとまっている。
「念入りに観察する」ったって、なにが目的でそうするのかは、なかなか分かりにくい。
ここでいう、「私達のマインドやハート、身体の内で囁きかけてくる静かで小さな声に耳を傾ける」というのは、まさに、そのものズバリという感じだ。
「静かで小さな声に耳を傾ける」ためには、まず、まわりでワイワイガヤガヤ言っている、周囲の雑音を封じなければいけない。思考を停止するのは、そのため。意識の中では、「思考」こそが、おしゃべりの雑音なのだ。だから、まずは、それを止める。
そうすると、「静かで小さな声」が、かすかに聴こえてくるようになる・・・。それによって、眠っているサイキックな聴覚を呼び起こす。
サイキックな感覚というのは、肉体の五感のように粗雑ではなく、とても微細なもの。だから、真昼のまぶしい太陽の光に隠れて、いつもは夜空の星が見えないように、ふだんは眠って使えなくなっている・・・というのが、ルドルフ・シュタイナーもしきりに強調するところだった。
ここは、ギラギラする太陽を、いったん地平線の向こうに沈めなければいけない。つまり、日常の強力な思考とか感情とか、その他もろもろを、いったんは消し去ってしまう。夜空にまたたく美しい星を探すのは、それからだ・・・。
「観察する瞑想」というのは、ひらたく言えば、そういうことでした。
スザンヌ・リーさんという人が、観察の瞑想の意義について、シンプルに解説している。RIEKOさんの翻訳もアチコチでコピペされてネット上に流布している(元ネタのリンク不明)。
>多次元マインドを三次元脳に合わせて調整を行うと、私達の意識、つまり知覚は大きく拡大します。
>私達の拡大知覚が目覚めると、身体の五感の限界によってとどめられていた大量の情報が表面化して私達の気づきに現れ、現実が透明化します。
>日常でこの「全てを知っている」状態にいると、制限や分離といった残存している幻想が解体してゆきます。
>日常で私達が特別な才能を発揮するように、拡大した知覚は強化され、日常意識にオンライン化します。
>こういった拡大知覚は、私達の真なる多次元的本質が元々持っているものです。
>それが理解できず、恐怖心から判断を下す人々が出てきます。
>このように他人から判断を下されることがなければ、多くの人々が拡大知覚を隠すこともなくオープンに使うことができることでしょう。
>幸い、どんどん人々は目覚めていますので、そういった判断が下されることが少なくなってきました。
>ですから私達の中からこの新たに活性化された、この長らく隠されていた知覚能力を使う人が増えてきています。
これによると、スピリチュアルな目覚めとは、「知覚の拡大」なんだそうな。日常生活で使っている五感とは異なる、拡大された知覚。いままで、超能力とも、観自在力とも言われてきた能力だ。
それによると、この新たな知覚は、自分の身体の中の微細な感覚を、念入りに観察することで得られるらしい。
「新たな知覚を得る」というより、むしろ逆で、「もともと持っていた、古い知覚を思い出す」という感じ。
>この生来持っているサイキックな知覚を取り戻す一番の秘訣は、私達のマインドやハート、身体の内で囁きかけてくる静かで小さな声に耳を傾けること。
>私達は聞き、見、感じ、匂い、触れるものについての情報を得るために肉体の五感を使います。
>そして高次意識の拡大した振動に共鳴する情報についても、肉体が教えてくれます。
>覚えておいてください、私達は単に意識を上昇させるのではありません。意識を拡大させるのです。
>意識、思考、期待、知覚を拡大させると情報がやってきます。
・・・これは、実にシンプルに要点がまとまっている。
「念入りに観察する」ったって、なにが目的でそうするのかは、なかなか分かりにくい。
ここでいう、「私達のマインドやハート、身体の内で囁きかけてくる静かで小さな声に耳を傾ける」というのは、まさに、そのものズバリという感じだ。
「静かで小さな声に耳を傾ける」ためには、まず、まわりでワイワイガヤガヤ言っている、周囲の雑音を封じなければいけない。思考を停止するのは、そのため。意識の中では、「思考」こそが、おしゃべりの雑音なのだ。だから、まずは、それを止める。
そうすると、「静かで小さな声」が、かすかに聴こえてくるようになる・・・。それによって、眠っているサイキックな聴覚を呼び起こす。
サイキックな感覚というのは、肉体の五感のように粗雑ではなく、とても微細なもの。だから、真昼のまぶしい太陽の光に隠れて、いつもは夜空の星が見えないように、ふだんは眠って使えなくなっている・・・というのが、ルドルフ・シュタイナーもしきりに強調するところだった。
ここは、ギラギラする太陽を、いったん地平線の向こうに沈めなければいけない。つまり、日常の強力な思考とか感情とか、その他もろもろを、いったんは消し去ってしまう。夜空にまたたく美しい星を探すのは、それからだ・・・。
「観察する瞑想」というのは、ひらたく言えば、そういうことでした。
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