谷風便り

つれづれなるままに
よしなし事を、書きつづります

鹿島神宮その2

2006年12月04日 13時06分31秒 | Weblog

 今朝は、寒かったですね。ウオーキングに出るのを躊躇しました。

さて、鹿島神宮その2です。
 11月13日(月)鹿島神宮にお参りしました。
 大鳥居をくぐると菊花展が開かれておりました。素晴らしい菊を見ながら進むと楼門(下写真正面)があります。楼門は、国の重要文化財に指定されており、寛永11(1634)年黄門さまの父君徳川頼房公が奉納されました。
日本三代楼門の一つだそうです。


 楼門を通ると右に拝殿があります。神社のほとんどが鳥居―楼門―拝殿と一直線になっていますが、鹿島神宮は、右側にあります。かって小生、行過ぎそうになったことがあります。


 下の写真が本殿です。拝殿の奥にあります。屋根の上には、千木があります。


 拝殿でお参りをすませ、杉の大木の間を奥に進むと鹿園があります。鹿は神の使いとされ、サッカーJリーグの鹿島アントラーズ(鹿の角)の名前もここに由来しております。
 更に進むと奥宮(下の写真)があります。奥宮は、慶長10年(1605)年徳川家康公が奉納されました。


 更に進むと要石があります。要石は地震を起こす大なまずの頭をおさえていると言い伝えられてます。
 黄門さまが要石の根本を確かめようと七日七晩掘りましたが、掘れどもその穴が朝になると元に戻ってしまい確かめる事が出来なかったといいます。

 松尾芭蕉、小林一茶もこの地を訪れ句を詠んでいます。
  この松の 実生せしや 神の秋  芭蕉
  大地震(おおなえ)に びくともせぬや 松の花  一茶

 皆さん、剣豪塚原朴伝を知っていますか。朴伝は、鹿島、香取神宮で剣の修行を積み、武者修行のため鹿島立ち(本来の遣い方と少し違います。)をしました。
 かって本で読んだ小生の記憶ですが、鹿島から成田街道をのぼり薬円台付近で農家に押し入っている盗賊を懲らしめたのが最初のエピソードだったと思います。
 講談の定番は、朴伝が食事中、若き日の宮本武蔵に切り込まれ囲炉裏端の鍋の蓋を盾にして防いだという逸話があります。しかし、両者の生きた年代が少しずれているそうです。
 鹿島神宮は、日本を代表する神社です。初詣にお出かけになってはいかがでしょうか。
 小生、鹿島神宮、香取神宮、成田山をハシゴしよと考えています。

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1 コメント

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Unknown (植山)
2006-12-06 23:25:57
 一度コメントを送りましたが、送信出来ませんでした。使い始めて5年半、拙宅パソコンもいささか草臥れて来たようです。
 鹿島神宮の初詣は憧れです。しかし道路凍結などで山間に閉じこめられる拙宅からは到底無理でしょう。諦めることにします。
 初詣のはしごで風邪など召しませんように・・・。
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