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「12月、日本に参ります。薄井先生を
お訪ねしませんか」
台北在住の林(リン)先生からメールが舞
い込みました。
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林先生は、現在T湾在住、
故ご主人・戴教授のご遺稿の翻訳に専念
されていますが日本(井の頭線・久我山)に
お住まいのころは中華薬膳料理研究家と
してご活躍でした。
先生は、昭和30年代にT湾からT大留学、
農学修士という才媛。
その豊富な知識と経験から、他では学べ
ない活きた薬膳料理を教わりました。
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また料理だけではなく、
トリリンガルの先生の、知的好奇心の
アンテナにひっかかったニューズや
政治の裏話を、
ちょっぴりブラックなユーモアで伝えて
くださるのでした。
さらに自然派でエコ主義。
夏の教室はクーラーなし。
あんなものは不自然!というわけで、
網戸でした。
網戸はお手製。
足はいつも裸足。
ガスレンジに点火するときのマッチ1本も
2回使ったりの、
無駄をなくした徹底ぶりでした。
生徒は、そんな先生を楽しんでいました。
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写真は、林先生の著書。
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薄井喜美子先生は、そのとき、わたしたち
と同じクラスの生徒さんでした。
元、私立某女子高校の校長先生。
明治45年のお生まれ。現在96歳。
いつお会いしても、
おばあさんではありません。
シャープな頭の働き、上品さ、さらには慈し
みの心と笑顔など、
人として見習うべきものを数多く備えた方。
教室でお会いできるのも、みんなの楽しみ
のひとつでした。
写真は、薄井先生の著書。
2年振りの訪問です。
実は、突然お伺いしました。
お2人の会話です。
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浜田山の瀟洒なホームのお部屋にお邪魔し、
座が落ち着いたところで、
薄井先生の第一声。
林先生に
「T湾のニュースは、テレビや新聞で拝見しております。
なかなか、お国の政情も、たいへんでございますね」
「はい、もう、次から次へと問題が起こります。
情報を集めましてね、これは許せない!
と思いましたらデモに参加いたします」」
「やはり!!!
テレビでT湾のデモを見ますたびに、
林先生がいらっしゃらないか、
お姿を探しておりました(笑」
「デモのとき、わたくしは、
ちょっとつばの広い野球帽をかぶって、参加してます(笑)」
「わかりました。
今後は帽子を目印に探すことにいたします」
「娘が、テレビのニュースでみつけまして
ママ、前に出ないで!と申します(笑)」
「(笑)危険でない程度に、
前にお出になってください。
そうでないと、テレビで見れませんもの」
「前にでて、
大きな声で言いたいこと言わなきゃ、
デモに参加する意味がございません。
声が届くよう、大きな声を張り上げてます」
林先生、片手を突き上げてます。
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他の生徒
「え、先生、そんなにいらしてるんですか?」
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「許せない!と思うと行くのよ。
これは、国民の義務であり、権利ですから」。
薄井先生「・・・日本も、どうなりますか。
年々おかしくなります」
「久しぶりに日本のテレビを見まして心配
になりました。程度が低すぎますね。
心配というより、不安になりますね。
くだらない番組の垂れ流し。
あんなもの、将来のある子供に見せては
いけません。
危機感、なさすぎ。
T湾も日本のことなど言ってられない番組
があります。
でも、政治番組に熱心な局があります。」
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「あ、そうそう、そういえば、
この方、素晴らしいですね、
日本に着いてから数冊買いました」。
薄井先生「あ、姜さんですね」
「時間があると、この方の本を読んでいます。
場所によって読み物は変えます。
電車の中では、読みやすい対談をバッグに
入れてます」
「対談ですか。では、ちょっと出版社をメモ
らせていただきます」
薄井先生は、素早くペンとメモノートをひざ
上に置くや否や、まるで書記のように、
手早くペンを走らせます。
「このたびは、娘と孫も一緒に参りました」
「台北では、お孫さんにおいしいお食事を
作ってさしあげて・・・」
「いいえ、孫のことは娘がすればいいと
思ってます。
それは娘の仕事です。
わたくしの時間は、わたくしが使います。
主人の遺した仕事を含め、
死ぬまでにしておきたいことがたくさん
ございます。時間がもったいなくて」
「薄井先生は、毎日、どんな風にお過ごしですか」
「読書と、いただいたお便りに、
毎日お返事を書いて過ごしております」
「毎日ですか」
「はい、毎日。
毎日お便りを頂戴しますので。お返事を・・・」
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*薄井先生の後ろの整理ダンスの上は、
クリスマスカードです。
床には、大きな紙袋に手紙がぎっしり。
毎日、どこかで誰かが先生を思い、
ペンを走らせているんですね。
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2時間半程たのしくおしゃべりし、
再会を約束し、おいとましました。
清々しい気持ちってこういうもの、
と思いました。
お2人の先生は、本物の先生です。
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その2日後のこと。
あるお店で、
薄井先生が校長をなさってた高校の、
現役の先生を紹介されました。
偶然の出会いに驚きながら、
薄井先生のお話をしたところ、
「あ、薄井先生、
わたしはお会いしたことはありませんが、
お名前は存知上げております。
学校では、伝説の方です。
薄井先生以上の教師、校長は、
現れていない、と。
<別格の方>ということです」。
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うれしくなりました。
残念ながら、
3月2日、大雨の日、
薄井先生は、おひとつ歳を重ねられ、
97歳で天国へ召されました。
親しくしてらした方のお話によると、
毎日、お便りが届くのはもちろんのこと、
毎日、どなたかが訪れていらした、とのこと。
クリスチャンの薄井先生。
お墓は、みなさんと一緒の共同墓地に、
とお望みだった由。