料理研究の仕事をしている引頭佐知(いんどう
さち)と申します。
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このブログは、主に料理を中心とした内容+趣味
少々で展開していく積りですが、始めるにあたり、
料理に関して本当にたくさんのことを教えていただ
いた方に、ご挨拶をしたいと思います。
東京・杉並区A駅の関西料理店「竹本」さんのご主
人です。
知る人ぞ知る有名店でした。
たとえば食関係の人々との、おいしい日本料理店
の話題のとき、お店の名前がひと通り並んだあと、
「では、中央線A駅の竹本さんをご存知ですか?」
何度聞かれたことでしょう。
「とっておき」の、そういうお店でした。
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1年12ヶ月。おとうさんの手による、
巡りくる季節の、香り高い料理には、気品と華があり、
おいしい、などという簡単な言葉では表せないもので
した。
その一品、一品に、
材料をみる眼の厳しさ、
手間を惜しまない完璧な仕事ぶり、
高い美意識、
陶磁器への造詣の深さがうかがわれ、
その芸術的な素晴らしさは、枚挙の暇がありません。
当然、上質のお客にめぐまれ、愛されたお店でした。
多くのマスコミ取材を断り、
常連客を大切に料理し、騒がず、淡々と料理に向う
方でした。
休日は、読書や次男Hさんと陶磁器を中心とした
美術館通い。
コレクションの器の数も夥しいものがあり、
料理をいただいたあとの、器談議も竹本のおとう
さんならでは。
「まるで、ゼミのよう」、と称した人もいました。
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築地でも「あんなに見る目のある職人さんはい
ないね」、
「最後のちゃんとした職人さん」と業者の方にも
高く評価されていた方でした。
師匠とはとても呼べない、雲の上の方でしたが、
不肖の客のわたしの仕事によく眼を通してくだ
さり、感想を頂戴しました。
ほんのひと言でしたが、そのひと言でまた次の
仕事のときのヒントになり、すこしづつ育ってき
たような気がします。
調理法で悩んだときは、夕方4時ごろ電話でう
かがうのでした。
わたしの質問のボールは直球でミットにストン
と入るのですが、おとうさんの回答は、ワンバ
ウンドやカーブで投げ返され、
自分でもう少し考えなさい、というものでした。
どんな仕事でも、作業中に「竹本のおとうさん」
の眼をいつも意識することができたのは、本当
に幸せなことだったと、思います。
2年前、現役でお亡くなりになられました。
享年82歳。
このブログも、1番最初に読んでいただきたい、
その積りで書きこみます。
わたしのことですから、ときどきふざけますが
「ほんっとにもう、しょうがないねぇ」と許しても
らえるはずです。
では、おとうさん、始めます。
チェック、よろしくお願いいたします。
2008年5月10日。