引頭佐知(いんどうさち)の料理ブログ

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林先生と薄井先生

2008年12月29日 | ときどき日記

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「12月、日本に参ります。薄井先生を

お訪ねしませんか」

台北在住の林(リン)先生からメールが舞

い込みました。

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林先生は、現在T湾在住、

故ご主人・戴教授のご遺稿の翻訳に専念

されていますが日本(井の頭線・久我山)に

お住まいのころは中華薬膳料理研究家と

してご活躍でした。

先生は、昭和30年代にT湾からT大留学、

農学修士という才媛。

その豊富な知識と経験から、他では学べ

ない活きた薬膳料理を教わりました。

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また料理だけではなく、

トリリンガルの先生の、知的好奇心の

アンテナにひっかかったニューズや

政治の裏話を、

ちょっぴりブラックなユーモアで伝えて

くださるのでした。

さらに自然派でエコ主義。

夏の教室はクーラーなし。

あんなものは不自然!というわけで、

網戸でした。

網戸はお手製。

足はいつも裸足。

ガスレンジに点火するときのマッチ1本も

2回使ったりの、

無駄をなくした徹底ぶりでした。

生徒は、そんな先生を楽しんでいました。

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写真は、林先生の著書。

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薄井喜美子先生は、そのとき、わたしたち

と同じクラスの生徒さんでした。

元、私立某女子高校の校長先生。

明治45年のお生まれ。現在96歳。

いつお会いしても、

おばあさんではありません。

シャープな頭の働き、上品さ、さらには慈し

みの心と笑顔など、

人として見習うべきものを数多く備えた方。

教室でお会いできるのも、みんなの楽しみ

のひとつでした。

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写真は、薄井先生の著書。

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2年振りの訪問です。

実は、突然お伺いしました。

お2人の会話です。

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浜田山の瀟洒なホームのお部屋にお邪魔し、

座が落ち着いたところで、

薄井先生の第一声。

林先生に

「T湾のニュースは、テレビや新聞で拝見しております。

なかなか、お国の政情も、たいへんでございますね」

「はい、もう、次から次へと問題が起こります。

情報を集めましてね、これは許せない!

と思いましたらデモに参加いたします」」

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「やはり!!!

テレビでT湾のデモを見ますたびに、

林先生がいらっしゃらないか、

お姿を探しておりました(笑」

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「デモのとき、わたくしは、

ちょっとつばの広い野球帽をかぶって、参加してます(笑)」

「わかりました。

今後は帽子を目印に探すことにいたします」

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「娘が、テレビのニュースでみつけまして

ママ、前に出ないで!と申します(笑)」

「(笑)危険でない程度に、

前にお出になってください。

そうでないと、テレビで見れませんもの」

「前にでて、

大きな声で言いたいこと言わなきゃ、

デモに参加する意味がございません。

声が届くよう、大きな声を張り上げてます」

林先生、片手を突き上げてます。

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他の生徒

「え、先生、そんなにいらしてるんですか?」

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「許せない!と思うと行くのよ。

これは、国民の義務であり、権利ですから」。

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薄井先生「・・・日本も、どうなりますか。

年々おかしくなります」

「久しぶりに日本のテレビを見まして心配

になりました。程度が低すぎますね。

心配というより、不安になりますね。

くだらない番組の垂れ流し。

あんなもの、将来のある子供に見せては

いけません。

危機感、なさすぎ。

T湾も日本のことなど言ってられない番組

があります。

でも、政治番組に熱心な局があります。」

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「あ、そうそう、そういえば、

この方、素晴らしいですね、

日本に着いてから数冊買いました」。

薄井先生「あ、姜さんですね」

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「時間があると、この方の本を読んでいます。

場所によって読み物は変えます。

電車の中では、読みやすい対談をバッグに

入れてます」

「対談ですか。では、ちょっと出版社をメモ

らせていただきます」

薄井先生は、素早くペンとメモノートをひざ

上に置くや否や、まるで書記のように、

手早くペンを走らせます。

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「このたびは、娘と孫も一緒に参りました」

「台北では、お孫さんにおいしいお食事を

作ってさしあげて・・・」

「いいえ、孫のことは娘がすればいいと

思ってます。

それは娘の仕事です。

わたくしの時間は、わたくしが使います。

主人の遺した仕事を含め、

死ぬまでにしておきたいことがたくさん

ございます。時間がもったいなくて」

「薄井先生は、毎日、どんな風にお過ごしですか」

「読書と、いただいたお便りに、

毎日お返事を書いて過ごしております」

「毎日ですか」

「はい、毎日。

毎日お便りを頂戴しますので。お返事を・・・」

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*薄井先生の後ろの整理ダンスの上は、

クリスマスカードです。

床には、大きな紙袋に手紙がぎっしり。

毎日、どこかで誰かが先生を思い、

ペンを走らせているんですね。

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2時間半程たのしくおしゃべりし、

再会を約束し、おいとましました。

清々しい気持ちってこういうもの、

と思いました。

お2人の先生は、本物の先生です。

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その2日後のこと。

あるお店で、

薄井先生が校長をなさってた高校の、

現役の先生を紹介されました。

偶然の出会いに驚きながら、

薄井先生のお話をしたところ、

「あ、薄井先生、

わたしはお会いしたことはありませんが、

お名前は存知上げております。

学校では、伝説の方です。

薄井先生以上の教師、校長は、

現れていない、と。

<別格の方>ということです」。

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うれしくなりました。

残念ながら、

3月2日、大雨の日、

薄井先生は、おひとつ歳を重ねられ、

97歳で天国へ召されました。

親しくしてらした方のお話によると、

毎日、お便りが届くのはもちろんのこと、

毎日、どなたかが訪れていらした、とのこと。

クリスチャンの薄井先生。

お墓は、みなさんと一緒の共同墓地に、

とお望みだった由。

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