わたしの母は、食材の買い物と読書以外は、
ほぼ1日中を台所で過ごし、料理をしている人でした。
1日中料理をするというと、
やさしいおかあさんのイメージがありますが、
「おかあさん」、というよりは料理作りが
仕事のような人でした。
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母の買い物の手伝いで商店に行くと、
ときどき尋ねられたものです。
「おかあさんの、お店どこにあるん?」と。
「おかあさん、何屋さん?」
「お母さん、お菓子屋?」というのも。
わたしが「なんでね?」と聞くと、
「うるさいんよ。
品物の選び方が。
普通の主婦には思えん」
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今思うと、本当にそうでした。
たとえば、煮干しを買ってきたとき。
テーブルに、広告のチラシの裏の白い方をパー-ッと、ひろげ、
袋から煮干しをあけ、指の先で払うようにして山をくずし、
手早く、少しづつチェックしていくのです。
そして頭とはらわたを取っていきます。
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そばで聞いていると、
「ああ、だめだ!
わーー、失敗。
もう、00(店名)はやめた」
とがっかりしたり、
それでも捨てるわけにはいかないので、
悪いのをていねいにはねたり、
「あーー、今日のは、触ったときからわかった、
いいわ」
「からからに、よぅ、乾いとる」
とか、言いながら選別し、
紙に落ちた小さなごみを掃除してから、
(*ゴミは、庭のちしゃ(サラダ菜に似た味の葉)の肥料に)
1~2本つまみぐいし、
「うん、いいわ」
わたしにも
「どう?」
と、味見をさせるのでした。
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どう?といわれても、
子供のわたしには、おいしい以外の適当な
形容詞も浮かばず、
見た目で、
「うん、この間より、銀色が(皮の)きれいな気がする」
などと、適当に、こたえていました。
月に数回の、日常的な作業ですから、
いつものことと、別に気に留めていませんでしたが、
煮干しの見方は、
腹の部分が銀色に光り、目玉も透明感があってきれい、
乾燥状態がいいと、さわると軽い、
食べても生臭みがない、
ということも、少しはわかるようになって
いました。
尾道のことですし、母のことですから、
腹が脂焼けして酸化し、黄色味を帯びている
なんてことは
なかったような気がします。
母がはねていたのは、うろこが落ちている煮干し、
身割れした煮干しだったのでは、と思っています。
これは、もともと鮮度の落ちた鰯を加工し
たときにあることです。
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掃除した煮干しは、缶に入れて保存していました。
しょっちゅうではありませんが、
習字の半紙の中央に掃除した煮干しをおき、
そのまま缶にスポッっといれていたことも。
乾燥剤がわりだったのでしょう。
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そう、煮干しだけではなく、だしは、海苔の缶に入っていました。
東京・日本橋の山本山の海苔の缶。
あのロゴをみると、母の「だし」への手間のかけ方を思い出すのです。
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母と「だし」。
続きます。
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