九州の風来坊

今は自由人で風来坊、何処までも突っ走る男は何処に行くのやら

上手くいかない今日1日

2007年04月20日 20時28分44秒 | Weblog
今日から又キナンの選手と練習を開始、数元も台湾での落車のダメージから回復が送れ乗り初めという事でサイクリングロードの往復50km。
往復2時間もあれば十分なのに俺の携帯は鳴りっぱなし、という事で帰宅するのに3時間もかかった、イランに行くための準備で問題発生、卒業試験でいけなくなった島田に変わり佐々木、行きますと返事は良かったがパスポートが無かった、残念間に合いません。
そして細川、バイト中にもかかわらず家に戻り申請書を早々と書き終え登録完了、こで今度はメカニックの問題が発生、イタリアに滞在中のジャイアンメのビザが取れない、(国内に居ないと難しいらしい)
このままではメカニック無しで派遣になりそう、ただでさえ人手が足らないのにどうにかならぬものか、明日中には誰かメカを探さねば。
熊野の手伝いも現在探している。

イラン遠征の準備

2007年04月20日 08時52分25秒 | Weblog
5月にイランでレース、そこで必要となるのが通訳だ、
イラージュさんという通訳がいるからと会議の時に話があった、最初はさほど気にしていなかったのだが、話を聞いていると所々で接点が見えてくる、そこでMUURクラブの最高顧問に電話したら、昔話したろぺルシャジュータンやキャビア輸入している奴だよだって、そうかその人かそりゃ安心だ。
でも入国にはビザが必要で現在大忙しで書類を製作中、そこで問題発生。U23の準エースが学校の卒業試験の為に参加が不可能になるが補欠も又学生の為に学校を休めるかが問題なのだ、そしてメカのジャイアン(見た目がジャイアンそっくり)がイタリアから合流するがビザを取得するのが可能か?
毎日飛んでいないイラン行きの飛行機の為に少し長い滞在になりそうだ。

今日も暴飲暴食

2007年04月20日 01時00分31秒 | Weblog
裏の顔は会社の取締役、表の世界に出るのが嫌いな俺も仕事は色々とこなしているのだ、さんな水面下の交渉事がこの所多い、実際に物になるかならないかはおれもわからいが酒は飲みまくり会議は進んでいく、そこで問題になるのは俺の暴飲暴食、今日も又高級ワインに高級肉、続く時はなんでこんあに肉が続くの?たまに食べるのは美味いが高級と名がつくと沢山食べれないのが現実、でも美味い、腹の肉を気にしながら食べるが欲には勝てないのが現実、その間電話はなりっぱなしで明日は久しぶりに練習に行きましょうとKINANの選手から電話が1本、よしわかった行くぞと答えたけれど開放されるのは何時?今日も睡眠不足。胃が重い。

つかの間の自転車

2007年04月19日 11時51分41秒 | Weblog
3月25日帰国後1回40kmほど自転車に乗ったきり、今度は4月11日から女子選手の練習で4日で200kmほど走りツールド八ヶ岳に参戦、完走を果たしたが普段の椅子に座る時間が長いからか腰痛に苦しむ。
それにこの寒さで自転車など乗りたくも無い、生活は乱れ暴飲暴食で見る見る出てくる腹、ヘビー級に戻るのには時間の問題、5月にはレースが多くなるから自転車にはまず乗れそうにも無いからランニングでも始めようと思うが中々行動に移れない。
それにつけやはり自転車は簡単で即出て行ける、暴飲暴食で膨らんだ腹を抱えて今日は珍しく練習に行った、走行距離は10kmで坂になるともがいてみたくなる、これは習性。
すぐに足が熱くなり呼吸が上がれば満足、ほんの30分でもやはり気持ちいは良いね。
でも運動量と食事の摂取カロリーがバラバラ、選手じゃないから何でもこいだ。

調整の難しさ

2007年04月18日 09時26分53秒 | Weblog
選手を辞め人事となった調整、この二文字だけは本当に難しく完璧と思っても走り出すまでは解らないのが現実だ、良くレースの前に調子はどうと聞かれて、絶好調と言う言葉が出るという事はそうでありたいという事で、今一つと答えたときは本当に調子が悪いか、やるだけの事はやって来たが結果がどうでるか心配なときだ。
ナショナルチームを率いて色々な選手を最高の場で戦わせ結果を残してきたが、選手の普段の状態が見えないので完璧に調整させる事が出来ない、昨日も廣瀬敏(日本代表選手)から未だ調子が今ひとつで、5月の熊野に出たほうが良いかとの相談があった、日本を代表して戦う選手の肉体には大きな負担がかかる、国内の大会を走るのとは違いが大きすぎる、幾ら小さな大会で勝てても皆が狙う大きな大会を勝たねばただの自己満足だ。つい最近どうしても3km4分を切れない選手の面倒を少し見たが簡単に3分だいに突入、なぜ記録が出ないかを科学しただけでの進歩、選手は色々な面で心配になるから、それを取り除くのも俺の仕事。大きな大会に向けて調子を上げるのは至難の業で選手だった俺は重々承知。
マイクロシステムという名の調整方法で全日本選手権を走りぬきほとんど失敗した事が無い俺の経験と理論を後世に伝えるために選手との込みニュケーションが大事だという事も解る、その為に色々と教えたいが場が中々ないので今後そのような場を作るしかないと思う。大きな調整の波を作りナショナルチームのメンバーは5月のTOJと同じ時期にイランでステージレースを走ります。

良いね

2007年04月17日 23時44分58秒 | Weblog
パリルーべでCSCが乗るサーベロが優勝を飾った。
そのCSCのマネージメントをするサンダーランドはその昔一緒に走った中でその当時スイスの年間チャンピオン、(オーストラリア人)当時日本人が嫌いで練習中も一度も会話を交わしたことは無かったのだが、山岳レースで唯一俺にぼろぼろに負けてからどんな練習をしてるのとか一緒に練習にいこうとか言い出し、それいらい話すようになった。
サーベロはプロ時代の友人の会社で製作される最高のカーボン繊維を使用したマシーンでMUURの俺が乗っているモデルと兄弟フレームだ。
そんなフレームが活躍してほんとに嬉しい、ツールやクラシックを走るマシーンは市販では無理、カーボン繊維にこだわり、軽量化を目指さない、軽量なフレームはしょせん軽量でしかないのだ。

ついでに大阪

2007年04月16日 23時15分27秒 | Weblog

ここ数日睡眠時間が極端に短く今日は電車の中でも居眠り、目的は体のメンテでグローバルスポーツに行くために大阪野町に出る時間が無く町に行く機会も少ないからついでにシティバンクに行き、またまたついでにアストンマーチンを見に行った、実物の感想は良く出来た車だが何かが足りない気がする、話を聞くと余計にその存在感が薄れていく、だいたい車は下駄と同じで大切に乗るという感覚が信じられない、乗り回してなんぼ、そりゃ綺麗なほうが良いけど傷や凹みを気にしていたら自動車なんか乗れないような気がする、
でもあのスタイリングは良いね、作りは値段の割にはこんなものかという感じで低価格の日本車も捨てた物では無いなと改めて関心しながらショールームを後にした。やはり最終的には乗ってみないと心は踊らない。

八ヶ岳ヒルクライム参戦

2007年04月16日 09時22分14秒 | Weblog
八ヶ岳ヒルクライムに参加、75kg以上の部で走る事になった。
そんな俺は他力本願走法で25kmの中ほとんどを他の選手の力を利用して山頂まで走る、ヒルクライムはきついというイメージがあるが、ロードレースに比べれば今回は楽、途中リマサンズの人の後ろに付かせてもらいいかなり楽をさせてもらう、10kmも登ると今度はMTBの女子選手中込選手の後ろにつき10kmほど登るが俺にはペースが遅すぎて重い体重が地球上に存在する重力という名のブレーキで呼吸が上がり始める、そこでここからは自分のペースで行く、ここまで楽してきたから快調に登っていく、だいたいこの麦草峠強化合宿で幾度も登らされている、当時足がきいている状態でも1時間はかからない(当時は道が少し長かったが58分という記録が残っている)、インナーギヤはいらないと当時の日記にかいてある、でも昔の事だからうっすらとした記憶しかないのだ。
俺の目標は1時間20分、時計を見ながら走る予定だったが残念ながらキャットアイのメータが割れ飛んでいき紛失したので自前の体内コンピューターを始動した。
後半中込選手を追い抜き、ペースを上げた自分は選手で無い事に気が付くのにそんなに時間はかからなかった。勾配がきつくなった所でギヤがかかるはずなのにシフトダウン、だんだん足に力が入らなくなり膝ががくがくする、しまったそういえばギヤ変えてきてない、44Tの23Tしかつけていない事にきがついた瞬間によけいに足が重くなったような気が、地形を読み取る技も選手時代に見につけている、視覚で計ると山頂は近いはず、丁度その頃チャンピオンの部で走りおえた学が降りてくる、頂上までもうすぐですという言葉で体内コンピューターが解除、一気に我を忘れて急加速5~6kmは上がっているがやはり俺は選手ではなかった、頭と体がアンバランスで心臓から危険信号がいきなり出され一気に失速、時計を見ると目標タイムも4分ほど速いのでここからはゆっくり頂上を目指し1時間16分台で無事ゴール。
帰りは頂上付近で追い抜いたMUUR-ZEROクラブの山藤さんと下って行くが、以外と皆元気に登ってきている、自分の想像をはるかに超えたチャレンジャーを見るとヒルクライムレースにはまる人の気がわかるような気がした。
そしてMUUR-ZEROクラブの女子が初表彰台を決めた。

イラン

2007年04月13日 21時58分44秒 | Weblog
日本を背負う戦う若者集団、U23の選手がスタンバイ本格的な活動には入る
熊野で実戦練習後イランのステージに挑みその走りで強化策を練る完全実践型、代表にはこの前の強化で選ばれた5人だ。
教育係として廣瀬の兄貴が選ばれた。

教える難しさ

2007年04月13日 21時16分28秒 | Weblog
目線を下げて教える事の難しさ、長年選手を続けたからとか、選手として良い成績を残したから競技や自転車の事教えられるような甘い物では無い。
簡単な事になればなるほど、一流選手は忘れてしまう、体感が使えるようになれば染みこんだ体が対処するから余計に教えるのが難しくなるものだ、そして自論を唱え色々と間違った事をも伝えてしまう。俺自身共産国が崩壊すす寸前に友人から受け継いだ自転車競技教本を買い取った、この科学アカデミーが研究した貴重な内容を実践して幾人もの世界チャンピオンが生まれ、現在世界で実践されている基本の形を生み出した。その本を完全では無いが日本語に直し日々勉強(時間が無い)その本には世界を目指すチャンピオンスポーツのすべてが集約、だが誰でも実戦できるものでは無い事は内容を見れば解る、健康維持や趣味では無い研究結果という理論のもとに。
自転車に乗る人は誰でも速くなりたい、勝ちたいと願う物、どんな優秀な取り巻きが集まっても選手の持つ素質や、考え方で何処のレベルまでいけるかどうかも判断がつく、強くなりたければ基礎を固めよ、ハードな練習に絶えぬけ、精神をもコントロールできる強い意志を身に着けろ、夢を見るのは自由だが掴み取る為には人一倍の努力が無ければ実現は不可能。
CCCP版の新型もロシア語の為に読めずに残っている。DDRはほぼ完了。