仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

シンポジウムへ照準2:ようやく先がみえてきた

2008-12-01 22:03:28 | 生きる犬韜
現在、なかなかに繁忙なロードを走っている最中である。
先週も、26日(水)にコミカレの公開講座、27日(木)に豊田地区センターの例会とオリキャンの会議、28・29日(土・日)に勤務校の編入・推薦・外国人入試、29日(日)に環境/文化研究会(仮)の例会と盛りだくさんの内容だった。休みがないのでシンポの準備ができずに困ったが、まあ、隙間の時間を使ってなんとか展望がみえるところまでこぎ着けたのでヨシとしよう。明日授業を終えれば、3日(水)はザビエル祭で全学休講となるので、そこでほとんど完成の状態へ持ってゆきたいところだ。4・5日(木・金)は10:00~18:00まで終日会議、次の6日(土)がシンポの当日なので、水曜が休みでなければ間に合わなかったろう。ギリギリセーフである。

コミカレの公開講座は、昨年に引き続き、日舞藤間流の藤間紋先生に来ていただいた。相変わらずの見事な舞には見惚れるばかり、今回は鼓・三味線など楽器に関する説明も詳しくあったので興味深く伺った。三味線や鼓も湿気には弱く、遠赤外線を使って最適な状態を維持するという。浄土真宗でも法要に雅楽を用いるが、父や兄が主に使う笙も、やはり湿気に関してはものすごくデリケートだ。湿気を飛ばすため、夏でも火鉢を抱いて暑そうにしている。...それにしても、今回は昨年と比べ、学生の参加が非常に少なかった。昨年は全学共通の授業で声をかけたら、それなりに集まってくれたのだが。今年は、授業中に春日若宮おん祭りで奉納される神楽や舞楽をみせたので、もっと興味を持ってくれる学生が多いかと思っていたのだけれども、期待はずれになってしまった。アルバイトでスポットライトを扱ってくれた学生たちが、「まったく興味なかったんですが、最高でした!」と目を輝かせて言ってくれたのがせめてもの救いだ。

オリエンテーション・キャンプの会議は、来年度の新ヘルパーたちを迎えて第1回の打ち合わせ。なんとかマンネリを脱し、また無駄をなくすべく、今年度の反省を活かして微調整を加えることとなった。1年生のヘルパーたちは、ハキハキしていてなかなかよい。2年生は昨年からの付き合いだが、やっぱり1年でずいぶん成長した気がする。I君とは北方ファンとしての趣味が合うのだが、兵法レベルで知的な歴史ドラマや映画を撮ってみたいとの夢があるらしい。しかし、それが実現できるかどうかというところでは、ちょっと冷めている。無責任に「やってみればいいじゃん!」とはいえないが、何だか寂しい気もする。ぼくだって、「いつか自主映画に復帰してやる!」と密かに思っているのだから、I君も夢を持ち続けてほしいなあ。

推薦や編入の入試は、大変だがけっこう面白かった。個人情報なども含むので詳細はここに書けないが、なかなか優秀な受験生もいて面接自体が楽しめた。来年は期待しておきたい。
会議が終わって勤務校を飛び出し、一路環境/文化研究会の行われている東洋大学へ。残念ながら久米舞子さんの報告は聞き逃したが、monodoiさんの自然葬に関する報告にはなんとか間に合った。以前から伺っていたし、氏がブログで語ってもいらっしゃるのだが、沖縄摩文仁の断崖下に未だに埋まったままの大戦時のご遺骨を捜索する作業、やはり重みのある話だった。自然葬を正当化する言説には「日本人は環境に優しい」言説と同じ胡散臭さを感じるが、参加していた仲間たちと、日本人の死生観・葬送観・自然観について広く意見交換できたのもよかった。やはりこのメンバーとの会話は脳細胞の活性化に繋がる。久米さんの話も飲み会の席で伺い、10年前に書いた論文(「松尾大社における大山咋神奉祀の原初形態-松尾・賀茂・日吉三社の祭祀的連環をめぐって-」『歴史における史料の発見』平田耿二教授還暦記念論文集編集委員会、1997年。「松尾祭」『平安時代儀式年中行事事典』東京堂出版、2003年)とも関係する話だったので、昔の知識を掘り起こしながらさまざま議論をした。もういちどよく勉強せねば。nomurahidetoさんともずいぶん久しぶりで、シンポにも関係する六朝の道教・仏教との関係、志怪小説におけるその反映などについてご教示いただいた。久米さんにmonodoiさん、猪股さん、nomuraさん、武田さん、内藤さん、ありがとうございました。

左の写真は、ジャーナリスト上野清士さんの『ラス・カサスへの道』。カトリックの大学に勤めていながら恥ずかしいのだが、正直、この人物のことをまったく知らなかった。コロンブスの同時代人で、従軍司祭として南米に赴きながら、スペイン軍の暴虐を糾弾し、ときにその批判は王にまで及んだという。身を挺してインディオを守る論戦を繰り広げ、『インディアス史』『インディアス文明誌』を著した。上野氏の筆致は思い入れが強く、ときに感傷的で饒舌になり過ぎる感があるが、ラス・カサスの生涯を自らのものとして引き受ける真剣さに溢れている。あまりにも弱すぎる自分を見つめ直すのに最適の一冊。
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