仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

つれづれなる読書

2012-04-10 14:07:32 | ※ つれづれなる書物
やはり、ブログを更新せずにfacebookにばかり書き込んでいるのは、公開性の点からしても問題がある。ブログが滞るのは、まとまった記事を書くには相応の時間が必要だからだが、その制約を破棄すればさほど障害は感じない。リアルタイムな思考の痕跡は、確かにtwitterやfacebookの方が残しやすいが、芸能人のそれが証明しているように、ブログでもできないことはない。今後は、いわゆる「書きっぱなし」のネタもアップしてゆくことにしよう。

というわけで、再度登場となるのが、中村邦生さんの『転落譚』。つい先週までは、電車のなかでもAirを開いてほとんど論文執筆を続けていたので、ようやくちゃんと読む時間を確保できるようになった(といっても電車のなかだが)。何らかの書物の、どこかのページからこぼれ落ちた主人公は、記憶のなかで連鎖する物語の断片を手がかりに、作品から作品へと渡り歩いてゆく。同じようにこぼれ落ちた登場人物たちが、亡霊のようにすれ違い、呟きや主張を交わし合う。そのなかで主人公の思考は、記憶、におい、手触り、さまざまなものへと広がってゆく。そう、これは小説の形を借りた評論なのである。こうした叙述も可能なのだな、とあらためて気づかされるとともに、ぼくもやはり歴史叙述の新しい試みを継続せねば、と(方法論懇話会時代に盛んに考えた)決意を新たにした。まだ読み始めなのだが、興奮したのは「索引」がテーマとなるくだりだ。主人公が物語の登場人物なら、その「物語」が索引である場合もありうるわけである。索引の擬人化とは、いかなる形で表現されるのか。いきなり、『攻殻機動隊』的な世界も立ち上がる。さまざまに想像力を刺激してくれる叙述で、今後のぼくの実践にも影響を与えてゆくだろう。また、面白いくだりがあったら報告することにしよう。

もうひとつ、発売されたばかりの坂東真砂子『朱鳥の陵』も挙げておこう。こちらもまだ読み始めたところなのだが、解夢者の女性が主人公(どうやら稗田阿礼)で、夢合わせを通じ持統天皇の心的世界へリンクしてゆく構成が面白い。これまで、シャーマニックな民俗信仰の世界を採り上げてきた、作者ならではの発想である。『古事記』的世界の形成を扱った物語でお気に入りの作品は、市川森一の書いたラジオドラマくらいだったのだが、これはそれなりに引き込まれて読んでいる。夢については、数年前に春学期を通じて講義したことがあるのだが、現在準備している歴史語り=神話語りの展開とも密接に関連しており、関心のありかが重複しているからかも知れない(単行本はもうちょっとかかりそうだが、夢の部分は4月末〆切の雑誌に載る)。他の作品と比べるのは失礼だろうが、上橋菜穂子の守り人シリーズに近い印象もある。折口信夫の『死者の書』とリンクするシーンにも出会い、心が弾む。こちらも興味を持って読み進めてゆきたい。

…と書いていたら、けっきょくある程度の分量になってしまった。ブログって、やっぱりそういうものなのかな。
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