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仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

ゼミ自由討論:歴史学者としてのアイデンティティ?

2007-04-28 12:50:16 | 生きる犬韜
ずいぶん投稿に間が空いてしまった。余裕がないわけではないのだが、自宅に帰るとつい怠惰になってしまう。しかし、それなりに新しい試みもした一週間だった。今週は通常の講義のほかに、24日(火)に外国人奨学生の面接、26日(木)に豊田地区センターでの講義、27日(金)に日舞のF先生との打ち合わせがあった。

外国人奨学生の面接は、10分ずつ2名という時間割。短い時間に、申請書に書かれている内容が事実かどうかを検証しなければならない。個人のプライバシーに属することなので詳しくは書けないが、大変な経済情況には同情を禁じえない。しかしとくに心を動かされたのは、彼らの意志の強さである。1人はまさに「生活に疲れた」雰囲気を漂わせていたが、学問を母国の将来に活かしたいという夢、学習意欲を強固に持っていた。もう1人は、(経済的な不安は抑えられないはずだが)日本の若者文化を自国へ紹介するという出版のプランを熱く語った。ファッションなど今どきの普通の学生だけれども、同年代の日本人の学生とは、少し違う何かを持っている気がした。
この日はそのままプレゼミ・ゼミに突入、プレゼミでは私が研究史の情報検索・整理に用いるツールを紹介したが、ゼミでは初めての試みとして、学生たちにテーマを与え自由に討論をさせてみた。お題は、「〈歴史学の危機〉について聞いたことがあるか」「〈過去の他者〉に迫ることは可能か」「〈過去に向き合う〉ことにはどういう意味があるのか」の3つ。沈黙が続くとついつい助け船を出して間を埋めてしまう、自分への戒めのつもりでもあったのだが、ふだんのゼミ報告ではあまり活発に主張をしない学生たちも、それなりに力を出して頑張っていた。司会もゼミ生に任せたが、みんなが生産的に討論できるよう、進め方についても案を出し合う。当たり前だが、こういうこともちゃんとできるんだな(できなきゃ困る)、と安心した。お題はものすごく難しかったようで、みんな眉間に皺を寄せ、自分の見解を懸命にまとめようと話す。まとめられずに苦労する者も多かったが、立て板に水で簡単に済ませてしまうより、ゆっくりでも考えに考える作業の方がためになるものだ。とにかく、答えがひとつとは限らない問題、答えがあるかすら分からない難問について、必死で考えること、あきらめずに考え続けてゆくことが学問の本質なのである(偉そうだなあ)。
時間的制約もあって、話題はけっきょく「歴史学の危機」に収斂されたが、挙がってきた回答は「個別分散化」である。そうした実証主義史学内部での自己反省、もしくは社会史批判が、いちばん耳に届き、残ってゆくのかも知れない。言語論的転回、歴史の物語り論などの認識論批判を挙げた学生は、当然ながらいなかった(まあ、院生レベルでもそうなのだろうから)。ただし、分散化が悪いことなのか、また「総合が必要」というのなら何をもって総合とするのか、という発言が出たのはよかった。また面白かったのは、多くの学生が「歴史学のアイデンティティ」を問題にしたこと(つまり、他学問との境界が曖昧になっていることこそが危機なのだ、ということ)。「アイデンティティって必要なの、何のために必要なの?」と上野千鶴子的に問いかけたくなる反面、境界を曖昧にすべく活動してきた自分を(やや)顧みたりもした(確かに、自分の影響力などほとんどないとはいえ、史学科なる学科が大学から消えてゆくことに責任は感じなければならないのだろう)。最後には、「ぼくはといえば、史学科教員としてのアイデンティティはあるが、歴史学的共同体に属するものとしてのそれはない。いかなる問題意識をもって過去に向かうかが大事なのだ」と言い添えておいた。
この試み、面白いので今後も時折はやってみよ(本当は即座にレポートを課すと効果が上がるのだろうが、とても嫌がられ、かえって討論の面白さが半減するといけないのでやめた)。

そうそう、GWに向かって抜き刷りやご本をいろいろいただいた。ずっと御礼が滞ってしまっているので、この休み中になんとかせねば(様々の負債の処理をしなくてはならない)。専任就任の挨拶状も出さなければならないし、方法論懇話会年報の編集もある。『三宝絵』の〆切も近づき、ちゃんと寄稿できるかどうか心配になってきた。四谷会談の報告やら、千代田学やら、歴博共同研究の報告やら、仏教史学会の講演やら…6月初旬に向けてやっておくべきことが山積している。それにしても、三浦佑之さんの執筆ペースは尋常ではない。森見登美彦氏もスランプから復活したらしい。がんばらねば。
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講義一巡:あらためて亀の神秘を想う

2007-04-19 12:03:48 | 生きる犬韜
おおむね初回の講義を終了。
16日(月)の「日本史概説I」は、昨年の「環境史でみる日本の古代」の続き。今年は、古墳時代から律令国家の建設期までを中心に話す予定。古代的開発の枠組み(物理的な意味でも、精神的な意味でも)が作られる時期なので、極めて重要なところである。そういえば、7~8年ほど前に延喜式研究会大会で発表した「藤原京造営に至る環境改変の正当化」、まだ論文化していない…(関係の方々、申し訳ありません)。しかし、今年は受講者が多い。1年生向けの授業なので、1年生64名に+αして75人分のプリントを用意していったのだが、100名前後はいた。リアクション・ペーパーをみたところ、昨年の「全学共通日本史」で環境史に初めて触れた他学科の学生が、かなり詰めかけてくれたらしい。果たして、彼らの期待を裏切らない講義ができるか。頑張りましょう。
夕方は、秋期の上智コミカレ「千代田学」にご出講いただく、日本舞踊のF先生に電話連絡。三味線長唄実演付きの、面白い講義となりそうだ。

17日(火)は、ゼミとプレゼミ。講義と異なり、プレゼミの受講者は少なく5名。どうも、「北條は講義は面白いがゼミは厳しいらしい」との噂が流れているという(難解なのは自称するところだけれども、厳しくはないと思うが…)。今年の2年生の傾向で、確かに、難しいゼミからは人が逃げている。東洋史の大澤ゼミは4名、山内ゼミは1名…まさに、「全速力で逃走」中である。またそれとは逆に、ゼミは16名の大所帯。ゼミ室にぎゅうぎゅうに詰め込まれて、(物理的にも精神的にも)すごい熱気である。グループ・ブログを作って、例のポジショニングや卒論指導を行うことにした。3年生は、もうそれぞれ目標を定めているので、面白いことになりそう。輪読は『日本霊異記』を、興福寺本・国会図書館本・前田本・来迎院本を使用して。

18日(水)は、大妻の講義、教授会、学生生活委員会、教授会懇親会と駆け回った。学生生活委員会では、23種類にも及ぶ奨学金の選考理由・選考結果を拝聴。こんなにもいろいろな奨学金があるのかと驚き、各種小委員会に出席して意見をとりまとめ、すべての学生の選考会議に関わって決定に責任を持つ、委員長の仕事の大変さを思う。しかし、自分はこういう事務仕事が好きなのだ、とあらためて感じたりする(問題は時間配分。もろさんみたいに2ケタ、というのはさすがに嫌だけれども)。懇親会では、国文の瀬間さんに、共同研究「人間の尊厳についての再検討」へ引きずり込まれる。「ぼくは古代の健全なところ、北條君はどろどろしたところ担当」だそうです。
大妻の講義は、昨年上智で話した祟りの問題を、最新のデータで再構成したもの。2回目は殷代の卜占文化についてだが、昨年見落としていた兪偉超 「含山凌家灘玉器和考古学中研究精神領域的問題」(『文物研究』5、1987)を援用。新石器時代の墓に副葬されている、紐で留められた亀甲は、ポシェットのようにして使われたものではないかと想定されていた。河南省舞陽県賈湖村344墓(約7000年前)にも、内部に数個~数十個の小石が詰まった亀甲8個が出土している。ところで、安徽省含山凌家灘遺跡(約4500年前)出土の玉亀は、一組の背・腹甲を綴り合わせ、不思議な図形を刻んだ玉片(写真)を挟んでいた。これについては昨年も言及したが、驚くべきことに、後の洛書や式盤と極めて類似した構図を持っているものだ。兪論文はこの点を重視し、内蔵されている小石との関係も考慮して、「甲羅を振って小石の位置を動かし、図形との関係から吉凶を占う」方法で使われたのではないかと考えている。これは説得的なアイディアで、動物霊信仰から発したとされる(犠牲獣の焼尽の残余である骨の状態に、神の受容のあり方を読み取ったのが端緒。骨に宿る動物霊を媒介に、神霊と人とが交信する方法)中国の骨卜のなかでも、亀卜の源流はやや特殊な場所に由来するようだ。やはり亀は奥が深い。
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映画『蟲師』:彼岸を失った物語

2007-04-14 01:04:00 | 劇場の虎韜
今週から授業の開始。11日(水)には大妻女子大の初回の講義があり、引き続き学科会議。学科書記、上智史学会庶務・編集を務めているので慌ただしい。学生生活委員、ボランティア・ビューロー運営委員なども兼ねることになり、時間調整が大変である(会議、事務仕事が好きなので、さほどストレスにはならないが)。13日(金)は日本史特講の初回。1時間ほどで済ませるつもりが、宮澤賢治と近代オカルティズムとの関係について、けっきょくフルに喋ってしまった。さて、これから4ヶ月、また自転車操業の始まりである。

ところで、9日(月)の夕方には少し時間ができたので、気になっていた映画『蟲師』を、妻とふたりで観にいった。原作にはさほど感銘を受けなかったが、昨年テレビ放映されたアニメーションの出来が異常によく、実写も監督大友克洋とのことで少々期待していたのである。しかし、結果は肩すかしを食った形になった。なんというか、彼岸性(他界性?)のかけらもない物語なのである。普通の日常が描かれるドラマならばもちろんそれでいいのだが、ぼくの認識では『蟲師』とは、彼岸/此岸の境界の危ういバランスのうえに初めて成り立っていた、それゆえに深い孤独と慈しみを感じさせる作品だった。
主人公のギンコには、幼少の頃の記憶がない。実は、一緒に旅していた母親を失ったところを隻眼の女蟲師ぬいに拾われ、育てられたのである。しかしそのぬいは、自分の夫と子供を呑み込んだ沼に身をさらし、常闇/銀蟲のせめぎあいのなかへ溶けてゆく。ギンコが記憶を失いながらも光脈に惹かれ、彼岸に片足をかけたような生を送っているのは、その命の流れのなかに母=ぬいが溶けているからであり、その意味で『蟲師』も、〈死者と共に生きる〉男の物語なのである。無意識にもぬいから受け継ぎ守っている蟲師の仕事がなければ、あるいは淡幽がいなければ、ギンコはとっくに光脈のなかへ身を投じていたことだろう。
けれども映画『蟲師』は、設定を徒らに組み換え難解にしたばかりか、常闇に捕らわれたぬいを蘇らせ、ギンコ(ヨキ)を求め彷徨う亡霊(のような存在)に貶めてしまった。聖母から醜女への転落。神話は解体されて現世に引き戻された。それをポストモダンと称賛する向きもあるかも知れないが、彼岸性を失ったギンコの内面は明らかに浅薄となり、光脈=根源的な命の流れというモチーフも、どこかへ消えてしまったようだ。
大友克洋は、なんのためにこの物語を作ったのだろう。自らの何を託そうとして、この映画を構築したのだろう。タイトルロールが流れるとともにぼくは当惑したが、妻はすでに終盤には観る気を失ってしまっていた(つまり単純につまらなかったのである)。印象に残ったことといえば、子供がちゃんと "汚らしく" 描かれていたことと、蒼井優演じる淡幽のみごとな "箸さばき"、書くことが蟲を封じるという(これは、甲骨や卜筮祭祷簡を生み出す意識とも通底する)モチーフくらいだろうか。
最近活気を取り戻してきた日本映画だが、やはり大作ものは期待すると裏切られることが多い。残念なことである。

※写真は自宅の窓からみえる銀杏。新芽が出始めている。
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新学期開始:前哨戦の一週間

2007-04-08 22:29:58 | 生きる犬韜
2日(月)から、いよいよ新学期もスタート。がらんどうだった研究室にも次第にモノが増えてきて、ようやく仕事のできる環境が整ってきました。しかし…入学式後の学科集会、プレイスメント・テストの試験監督、学部新入生のとき以来18年ぶりに参加したオリエンテーション・キャンプと、若者たちに付き合って精気を吸い取られた気分です(大した仕事はしていないのに、なぜか非常に疲れました)。しかし、いたたまれない気持ちにさせられる卒業式より、幾分かは気が楽ですね。

さて、7日(土)は、大学院の後輩Mさん(中国古代史)の博士論文公開審査でした。教員は全員出席が義務づけられていますが、彼女の食生活史には以前から注目していたので、主体的に、"楽しみに"参加させていただきました。審査官でもないぼくはレジュメをみ、彼女の概要報告を聞くばかりでしたが、「とろみ」というキーワードからみえてくる奥深い食文化の世界、画像石より読み解かれる、調理の具体的方法、地域性などには興味をそそられました。疑問に感じた点は、以下の3つです。
1)環境史領域との具体的な関わりにおいて、自然科学的データをどのように援用してゆくか。とくに中国では、科学院に代表される自然科学分野と、禹貢学派に連なる歴史地理学を中心とする人文科学分野では、黄土高原の環境変遷に対する見解がまるで違う。そうした断絶をどのように止揚しようと考えているのか。
2)一定の食物や調理法が普及してゆく背景には、禁忌や神聖化の問題も深く関わっているはず。すでに睡虎地秦簡『日書』などにも桃や桑の神聖化がみえるが、それらの問題は視野に入っているのか。
3)レジュメからでは分からないが、扱っている史料が限定的に過ぎるのではないか。成立時期など問題はあるが、『春秋』三伝、『国語』、『尚書』、『詩経』などの伝世史料、五行書や古小説の類にはかなり食生活に関わる情報が含まれているはず。
1)・2)についてはその場で質問をし、回答をいただきましたが、やはり完成した論考を早く読みたいですね。Mさん、どうか頑張ってください。それにしても、外部からの副査としてお出でいただいた原宗子先生(中国環境史)の、なんとパワフルなことか。厳しい批判、そして暖かいフォロー…見習うべきところが多かったですね。

終了後、主査の大澤先生から慰労会に誘っていただいたのですが、豊田先生に先約があったのでそちらへ。こちらもよく手伝いをしてくれるという(いまどき珍しい)3年生の慰労会で、先生お薦めのPIZZA SALVATORE CUOMO Yotsuyaへ。おいしいピザを堪能しながら、コミュニティ・カレッジや輪講「歴史学をめぐる諸問題」について、様々な案を出し合いました。その際、先生から、「目が大きくて色白の秋田美人には白系ロシア人の血が混じっている」との発言が。日本海をめぐる文化交流の豊かさ、広大さに関するハナシだったのですが、妻の写真をおみせしたところ、「これこそ!」とのお墨付き。帰宅してから、最近ダイエットをさぼり気味の妻にこの話をすると、ここ数ヶ月の体重増加を〈民族の血〉のせいにしようとしていました。
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新たなる研究会:〈四谷会談〉スタート!

2007-04-02 09:02:54 | ※ 四谷会談
3/31(土)、徹夜で準備した朝日カルチャーの講座を無事終了、翌日4/1(日)は、2~3月と調整を行ってきた新たな研究会の打ち合わせです。満開の桜並木をみながら、果たして参加の皆さんによく趣旨をご理解いただけるか、不安と期待に包まれつつ研究室へやってきました。

この研究会の発足の動機は、実は非常に個人的です。いわば、積もり積もってきた負債を返却するためのもの、ということになるでしょうか。負債のありようは主に二つ。ひとつは外形的な問題で、研究仲間とのあいだで発足を要請されていた種々の研究会に、これまでどうしても着手できなかったこと。具体的には以下の3つで、
1)首都大OUより発想された「夢見の古代誌」。夢をみる/解く知・技術の成り立ちと展開を、東アジアから日本への繋がりのなかに把握しようという研究会。
2)「真怪」研究会。近世怪談と近代オカルティズム、現代スピリチュアリティ論を結ぶための議論の場。
3)『冥報記』+仏教文化研究会。『霊異記』研究を前提に、中国の仏教説話集『冥報記』を輪読する場として発足。
となります。一見バラバラに映りますが、実は相互に密接な関連を持っています。夢見・占夢・解夢は道教経典、仏教経典、中国古小説などを主なメディアとして展開してゆきますし(3)、それらを対象に設定するためには、我々の属する近代学問が神的問題、霊的問題をどのように捉えてきたか検証する必要があるわけです(2)。1)~3)をまとめて運営することができれば、今まで思いもよらなかったリンクを発見する/創出することができるかも知れません。
もうひとつの負債は内面的な問題で、これまでの個人的研究、もしくは仲間たちとの研究会活動のなかで取り組み、挫折してきたテーマをどうにか追究してゆきたい、追究してゆく場がほしいということ。そのテーマこそ、「〈向こう側〉をどのように受けとめるか」というコアな問いにほかなりません。例えば歴史学者として、「当時の人間がどのように考えていたか」という解釈のレベルに解消してしまうのではなく、自分自身がいまどのように考えるか、考えているかが重要となるのです(もちろんそこには、「分からない」という選択肢があって当然と思いますが)。今回集まっていただいた皆さんは、この問いが、問題意識の根底に屹立している研究者ばかり。ディープな議論が期待できそうです。

提案と1)~3)に関する説明、それぞれに関わっていただいていた皆さんによる補足のあと、合同で行ってゆく合意が形成されました。とりあえずは隔月で順番に報告を繰り返し、1)は首都大OUでの議論の補足・再検討、2)は(よく近代啓蒙主義と誤解される)井上円了の著作の輪読、3)は『冥報記』を含む志怪・説話集の輪読を課題に据えます。大学に縛られない新しい学問の形・研究者の立場、本に代わる研究発表の場についても模索してゆくことが提案され、さっそくメンバー全員が投稿可能なブログもスタートしました。そして会の名称は、上智に集まって議論しあうということで〈四谷会談〉! さてさてどうなりますか、今後が楽しみです。
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