仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

弥生間近:やっぱり余裕があるのは幻想だった

2009-02-28 01:39:24 | 生きる犬韜
大学院入試等々が終了し、21~22日の土・日は京都に出張、仏教史学会の例会と委員会に出席。昨年度は、北本市での講演やオリキャンの下見が重なって大会にも忘年会にも出られなかったので、1年に一度はちゃんと顔を出しておかないと役目が果たせない。例会での発表者は、長い付き合いの舩田淳一君。解脱坊貞慶の笠置寺復興についての報告だったが、十三重塔や般若台の設置が、経典に描かれた宗教的スポットを現出させるべく行われているという点が面白かった。道宣らに典型的な自土仏国土化の実践で、中国では阿育王塔の存在などが証拠となるのだが、貞慶の場合は神祇の和合によって肯定されるという。その場にいたもろさんが、「般若台では『成唯識論』などの注釈が筆記されていたが、これは弥勒自身と邂逅して宗教的な知を授けてもらう場であったのではないか」との質問をしていたが、やはり貞慶の〈行〉とどう有機的に関わるのかが注意される。
委員会では、数年前に某書の書評を頼まれていたのを想い出した。これは早急に書かねば。4年目に突入する仏教史入門講座が、そろそろ見直しの時期に来ているようだが、あまり建設的な意見が出ない。ぼくも2年目に話をさせてもらったのだが、何とか有機的に機能させ、研究者を輩出する窓口として定着させたいものだ。編集中の『仏教史研究ハンドブック』といい、仏教史学会は次代の研究者を育てなければならないという危機感と義務感があって立派だが、会議自体は、みんな何か疲れ切った雰囲気である。

23日(月)は、昨夏に調査・記録した雲南省納西族の自然祭祀〈祭署〉について、シンポジウムを開くことを前提とした研究会の打ち合わせ。共立女子大に岡部隆志さんと遠藤耕太郎さんを訪ねた。当初は本年10月に予定されていたシンポジウムだが、やはりそれでは無理があるというので来年に変更。〈祭署〉に関する経典だけでも厖大なものがあるので、楽しみだが気の遠くなる思いもある。
25日(水)は、上智の文学部共同研究「人間の尊厳を問い直す」の例会。前にも書いたが、佐藤壮広さんを招いて「イチミ(生き身)とグソー(後生)の倫理―沖縄の平和祈念と人間の尊厳―」という報告を伺った。日常が死者の世界と直結している沖縄の宗教文化を通して、死者のポジションをも含み込んだ平和倫理の構築を訴える内容である。前後の時間を使って、目下頭の大半を占めている死者忌避の問題から、シャーマニズムの観点でみなおす天皇制の位置づけ、現在の大学教育が抱えるアポリアについてまで深く語り合うことができた。なお発表終了後には、その場で話題の「非常勤ブルース」を披露していただいた。「先生いつも どこにいるんですか?/聞かれるたびに おれは答えるよ/おれはいつも お前らの目の前だ」という歌詞からは、講義とは一期一会のかけがえのない機会であり、教員も学生もそのことを大切に全力で向かい合わねばならないというメッセージが伝わってくる。大いに反省させられた。

26日(木)は豊田の地区センターで生涯学習の日本史講義。日本古代における黄泉国の成立について、中国古代や少数民族の死者忌避の問題を併せて講じた。また、もろさんから貰った神雄寺の現地説明会資料をコピーして配布、その特色について紹介した。
これらの合間合間に、来年度のシラバス作成、『国立歴史民俗博物館研究報告』寄稿分の校正、『物語研究』寄稿分の英文要旨作成、京都造形芸術大学教科書『地域学』の手直し、熊野の原稿の準備などを進めてきたが、なかなかうまく進捗しなかった。そうこうしているうちにもう2月も残すところ1日。3月に入れば初年次教育学内研究会のパネリスト報告、環境/文化研究会の月例会報告の準備を始めなければならないし、確定申告の計算もしなければならない(……)。3月〆切の原稿をちゃんと仕上げられるのか、かなり心配になってきた。
「繁忙期が終わって少し余裕ができたかな」とゆったりした気持ちになっていたが、やっぱりそれは幻想だった。

※ 写真左は西本願寺と興証寺の間の築地に挟まれた小路、右は22日に行った大原三千院の草木供養塔。
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