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歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

国会議事堂を「観」にゆく(6):水辺の権力

2015-07-28 06:38:48 | 国会議事堂を「観」にゆく
このところ、本調子でない身体を押してなるべく毎日議事堂へ通ってみて、ようやくこの権力のあり方に対する自分なりの批判の道、相対化の言葉がみえてきた気がする。環境史をやっているせいもあり、何度も赤坂の谷を上り下りし、麹町台地の縁辺を歩きながら、この地形のたどった変転のありさまがだんだんと実感されてきた。今日も喰違見附から赤坂へ下りたが、お濠から弁慶橋をなめて赤坂見附を遠望する景観が、あたかも内湾の先端のように感じられた。

古来、日本の王権は、水辺に胚胎してきたといってもよい特徴を持っている。以前に論文に書いたことがあるが、飛鳥も、藤原京も、恭仁京も、長岡京も、平安京も、水の都であったといっていい(藤原京の「失敗」を受けて急遽長安城的に整備した平城京、大仏造立の薪炭材を得るため南山城の奥地に造営した紫香楽宮の場合は、やや異なる)。海浜都市ともいえる鎌倉、中世京都、そして江戸も類似の立地条件、景観を持っている。江戸を引き継いだ東京ももともと同様の性格の都市で、一国の首都がこれほど海浜に近い場所にあるのは珍しい、ともいわれている(それゆえ災害に見舞われやすいのだが)。ちょっと前に触れた気がするが、議事堂前を降りお濠に接したあたりが麹町台地の縁辺部で、日比谷公園以東は海へ続く沖積低地、もしくは埋め立て地ということになる。事実、日比谷公園の前身練兵場跡には幾つかの官庁が建てられる予定であったが、あまりにも地盤が悪すぎて工事が進捗せず、放棄され公園化されたという経緯がある。江戸城を皇居にしたことで都市の構造を踏襲したわけだが、霞ヶ関や永田町の権力は、そもそもやはり水辺に形成されたものだったのである。
しかし近代にあって、この権力は、水辺、海辺をできるだけ遠ざけるように展開してきた。埋め立てに継ぐ埋め立てによってウォーター・フロントは次第に遠ざかり、抱え込まれた低湿地も乾燥化が目指されてきた。現在、中国江南や東南アジアの諸都市に赴くと、豊かな水との共存のありようを実感できるが、東京にもかつてはそうした雰囲気が濃厚に漂っていたのだ。これも数年前に文章として書いたが、雨などが降ると坂下の低湿地は水に溢れ、家財道具が流れ出し腰まで水に浸かった人々の右往左往する様子が、どこでもみられたのである。しかし、それゆえに低湿地は非衛生的となり、疫病や貧困の温床として権力の忌避するところとなっていった。列島の近代的権力にとって、いわば水辺は葬り去らねばならない前近代の象徴であり、いいかえれば、水辺を払拭することで東京は近代都市になったといえるのかもしれない。
前近代としての水辺に焦点を当てると、やはり人々の畏怖/憧憬の両義性を一身に集めたものとして、〈海〉の存在を看過することはできない。かつて南方へ移り住んだ中原の漢人たちは、江南の海辺に立って東シナ海の広大さに圧倒され、巨大な龍蛇、怪魚、海獣たちの跋扈する世界を詩文に著した。ヨーロッパにおいても、それらを克服し娯楽化する過程が近代化であったことは、アラン・コルバンなどが論じている。そうした観点から、麹町台地の斜面に不安定に立地する国会議事堂、首相官邸などをみるとき、かかる海=前近代から遁走することで己を保っているような、再び襲いかかってくるかもしれない前近代に赤坂の崖っぷちまで追い詰められているような、奇妙な権力のありようを「観」ることができる。近代的特徴でもある議事堂の石造りの巨体は(その立地が古代的であることとも相俟って)、その恐怖に対する精一杯の虚勢であるかのように感じられる。近現代の列島における国家権力がおしなべて自然災害に弱いのは、麹町台地の官庁群がそうであるように、自然の力を前近代のカテゴリーに追いやって排除する臆病な頑なさに閉じこもり、逆に内包し自己のエネルギーとするしなやかな強靱さに欠けているからだろう。やはり、歪であるという印象を拭えない。史資料を博捜して、より精度の高い解体の言説へ錬磨してゆかねば。

いつものとおり、議事堂正門前の交差点の石垣に腰掛け、思索を巡らせていると、巡邏の若い警官が話しかけてきた。好機と捉え抗議運動に関する感想を訊いてみると、北関東のイントネーションだろうか、服務規程ぎりぎりのところで?多少話をしてくれた。
「いまの抗議運動は、皆さん普通の方というか、危なくはないですよ。9割くらいの方は、ルールを守ってくださいます。スピーチを聴いているかですか? うーん、ぼくら、この恰好をしている限りは、自分の意志はないので」
連日の警備が大変なことを暗に強調しつつ、「ごめんなさい、変な感じになっちゃって。それでは、お気を付けて」と去ってゆく後ろ姿は、極めて普通の青年だった。そう、前近代/近代、海/陸が区別されるように、権力とは境界を設定するものなのだ。君とぼくの間にも…(そこにどう連続性を回復させてゆくかが、解体の鍵になるのだろうか)。
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