蔵原惟繕監督『キタキツネ物語』(サンリオ、1978年)。「全学共通日本史」という講義で動物の歴史を講じているのだが、1月の締めにはキツネを扱う予定で(しかし、前のセクションが延び延びになっているのでどうも無理そう)、ふと思い出してDVDを購入、30数年ぶりに観てみた。
4年間かけて撮影した膨大なフィルムを選りすぐり、ひとつの物語を紡ぎ出したのだろうが、いま観ると、やはりその「ストーリー」性が鼻につく。どのように撮影したのか、未だにきちんと明らかにされていないことも気にかかる。畑正憲監督『子猫物語』のときには、虐待云々の話も出たものだが、このときはどうだったのだろうか。…とはいえ、流氷の向こうから朝日とともにやって来るフレップの姿は、今でも本当にロマンに満ちている。事象としては稀にあるそうだが、日活アクションを撮ってきた蔵原監督らしい着想だ。どこからともなくやってきた風来坊が、街のもめ事を解決、人々の心に強い印象を残して去ってゆく。『キタキツネ』は家族の物語だが、ほぼこの「日活構造」を踏襲して作られている。今まであまり知られていなかったキタキツネの生態を広く紹介し、「狡猾」というおとぎ話のイメージが強かったキツネ像を一新した点も評価できる(「流氷」という現象や「子別れ」の習性など、そういえば、この映画で初めて知ったのだった)。
産業界への影響力も凄まじく、多くのグッズが作られたが、確かマルちゃん「赤いきつね」もこのときの発売だろう。主題歌「赤い狩人」をはじめ、映画はキツネと赤を密接に結びつけていたので、その流行に便乗した商品だったのではないか。それが現在まで生き残っているというのも、なかなかに凄い。主題歌の話が出たが、タケカワ・ユキヒデの音楽もよかった。公開当時は映画館に観にゆけずに、日本コロムビアのサウンドトラックを聴きながら、サンリオ刊のフィルムブックを何度も読み、映画のシーンを想像していたものだ(なお「赤い狩人」は、ぼくが提案し、中学2年のときの合唱コンクールでクラスの自由曲として歌った。指揮者(私です)が悪く、結果はさんざんだったけれども)。
なお、これもシンクロニシティかもしれないが、先日、カットされたフィルムも含め再構成した新作『キタキツネ物語~明日へ~』が、来秋に公開されるとの報道があった。監督は、当時の助監督で、「赤い狩人」の原歌詞を書いたことでも知られる三村順一。併せて、メイキングの方も公開してほしいところだ。
4年間かけて撮影した膨大なフィルムを選りすぐり、ひとつの物語を紡ぎ出したのだろうが、いま観ると、やはりその「ストーリー」性が鼻につく。どのように撮影したのか、未だにきちんと明らかにされていないことも気にかかる。畑正憲監督『子猫物語』のときには、虐待云々の話も出たものだが、このときはどうだったのだろうか。…とはいえ、流氷の向こうから朝日とともにやって来るフレップの姿は、今でも本当にロマンに満ちている。事象としては稀にあるそうだが、日活アクションを撮ってきた蔵原監督らしい着想だ。どこからともなくやってきた風来坊が、街のもめ事を解決、人々の心に強い印象を残して去ってゆく。『キタキツネ』は家族の物語だが、ほぼこの「日活構造」を踏襲して作られている。今まであまり知られていなかったキタキツネの生態を広く紹介し、「狡猾」というおとぎ話のイメージが強かったキツネ像を一新した点も評価できる(「流氷」という現象や「子別れ」の習性など、そういえば、この映画で初めて知ったのだった)。
産業界への影響力も凄まじく、多くのグッズが作られたが、確かマルちゃん「赤いきつね」もこのときの発売だろう。主題歌「赤い狩人」をはじめ、映画はキツネと赤を密接に結びつけていたので、その流行に便乗した商品だったのではないか。それが現在まで生き残っているというのも、なかなかに凄い。主題歌の話が出たが、タケカワ・ユキヒデの音楽もよかった。公開当時は映画館に観にゆけずに、日本コロムビアのサウンドトラックを聴きながら、サンリオ刊のフィルムブックを何度も読み、映画のシーンを想像していたものだ(なお「赤い狩人」は、ぼくが提案し、中学2年のときの合唱コンクールでクラスの自由曲として歌った。指揮者(私です)が悪く、結果はさんざんだったけれども)。
なお、これもシンクロニシティかもしれないが、先日、カットされたフィルムも含め再構成した新作『キタキツネ物語~明日へ~』が、来秋に公開されるとの報道があった。監督は、当時の助監督で、「赤い狩人」の原歌詞を書いたことでも知られる三村順一。併せて、メイキングの方も公開してほしいところだ。