仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

後期授業終了:しかし大変なのはこれからだ

2008-01-28 19:46:50 | 生きる犬韜
今日で後期の授業はすべて終了。水曜日には全学共通日本史、金曜日には日本史特講、そして今日は原典講読が幕となった。

全学共通日本史は、昨年講じた樹木の日本史を異なる角度から再構成し、樹木婚姻譚に関する考察を加えて結びをつけた。教職課程の単位となる講義だが、それゆえにあえて、一般的な通史や概説は扱っていない。史学科以外の学生のなかには、歴史学をちゃんと学ぶことなく、日本史や世界史の通り一遍の知識のみを得て教員になる人もいる。それでは、いわゆる定説を暗記してゆく授業しか行えないだろう。中学や高校で歴史を講じる可能性のある学生には、もっと柔軟な歴史への視角、考え方を身につけてほしいのだ。古代・中世・近世・近現代を往復しつつ、『もののけ姫』や『千と千尋』の分析も交えて、「日本人は自然と共生してきた」という神話の相対化、木鎮め・大木の秘密・樹霊婚姻の成立過程を通じた日本的自然観の解明を行った。樹木婚姻譚の問題は、まだまだ自分では旬のネタで、いま論文を書いている最中である。講義をしながら思いついたこともたくさんあった。学生たちに感謝しよう。

日本史特講は、中臣鎌足の表象が、各時代の政治的要請に伴って変質してゆく様子を論じた。メインは、「大織冠伝」と『周易』との関係で、聴講者には易の実体験もしてもらった(ちなみにこの単元は、史学科編『歴史科の散歩道』に文章化した)。最後の単元は幸若舞「入鹿」にみられる2つの特徴、なぜ入鹿を誅滅する武器が「鎌」になったのか、なぜその鎌をもたらす存在が「狐」なのかを考察するもので、最終的にはダキニ天を主尊とする輪王潅頂へ結びつけて終了した。かなりコアなネタだったが、学生たちは面白く聞いてくれたようである。それにしても、相模国における伝説上の人物、染谷時忠の子孫が史学科にいたとは驚いた。

原典講読は、『書紀』兼右本を学生に輪読させていったのだが、いろいろ課題や問題点を残すことになった。学生の取り組みようが玉石混淆で、オリジナルの考察を展開する猛者もあれば、前発表者の形式を踏襲して注釈書だけを参考に準備してくる者もあった(残念ながら、後者の方が多かった?)。第二外国語に相当する単位なので厳しく評価しなればならないが、普通に採点したらAはほとんど出ないだろう。しかし僅かながら、このような写本を思想史・心性史の史料として応用する方向性もみえてきて(文字の書き方、間違いの多さ、傍書の内容など)、私個人としては面白い時間となった。来年度はもう少し、学生の興味とやる気を引き出す方法を考えよう(それにしても、よく知っている学生がちゃんと準備してこないとがっかりするなあ。こういうことがあるから、学生の名前はあまり覚えない方が精神衛生的によい)。

授業は終わったのだが、実はこれからの数週間が最も忙しい時期となる。30日(水)までに卒論の採点と大妻のレポートの採点を終え、31日(木)は中野区古代史サークル「あけぼの会」での講演、1日(金)は卒論の口頭試問、2日(土)以降は入試関連の業務が様々に入る。全体の成績締め切りは12日(火)だが、ここに『狩猟と供犠の文化誌』書評、某先生還暦論集の原稿締め切りが重なる。2月半ばまでには、遅れている千代田学小冊子の作業も完了しなければならないし、2月末日には古代文学会叢書の原稿も仕上げねばならない。18日(月)には、4月に上智コミカレで行う「異界からのぞく歴史」の中間報告会もある。授業のないぶん少しは時間も作れるだろうが、まあ徹夜続きになるだろう。
ひー…という気持ちになっていたら、参加している文学部共同研究の研究費として、4万円少々を使用してもよいとの朗報が飛び込んだ。こういう本にしては珍しく、昨年の秋に一括して出版された『資源人類学』全9巻を購入。環境と文化をめぐる久々のシリーズ、自然を「資源」と名付けてしまうところにそもそも違和感を感じるが、ワクワクするようなタイトルの論文が多く収録されている。がんばって読みまっしょい。
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やまとは国のまほろば:『鹿男あをによし』

2008-01-20 12:20:35 | テレビの龍韜
今週は、とにかく授業の終了へ向けて一気に駆け抜けた感がある。特講は最終章の「鎌足の鎌」に入り、全学共通日本史は「樹霊婚姻」の核心に入ってきた。ともに、あと1回でなんとか結びにしなければならない。水曜は教授会に学生生活委員会、金曜は留学生の奨学金面接があった。学究の情熱に燃えて日本に渡ってきた彼らが、物価の高さに翻弄され、生活費と学費を稼ぐだけで消耗してゆく姿に心が痛む。

19日(土)は、世間的にはセンター入試だが、わが史学科では卒業論文の発表会があった。いつもはさして盛況ではない会だが、今年は下級生の意識が高かったのか、教室いっぱいに座りきれないくらいの学生が詰めかけ、なかなか結構なことであった。古代史ゼミからはTさんが代表で参加、トップバッターで緊張していた様子だったが、立派に報告を終えた。
ところで、出勤途中のバスのなかで面白いことがあった。ぼくの座っていた席の後ろに、父母子3人が腰かけていたのだが、小学校低学年くらいの男の子が、しきりに父親に質問している声が耳に入ってくる。どうやら元号について訊いているらしい。「昭和は何年まであったの?」「64年。64年の1月の初めに、平成に変わったんだよ」「明治は何年まで?」「大正は何年まで?」……質問は繰り返されたが、じゃあそもそも元号とは何なのか、という話になってきたとき、父親が(いい意味で)びっくりするような答えを口にした。「元号っていうのは、そもそも中国の制度を日本が輸入したんだけど、王様が時間を支配していることを表すものなんだ」。う~ん、立派だ! 話の内容からすると40そこそこの人だったけど、これは堅気の答えじゃないですよ。学校の先生かなんかですかね、同業者だったりして(……とここまで書いて思いついたことがあったので確認したら、本当に同業者である可能性が高くなってきた。恐ろしい)。

それはともかく、今週は古代史・神話をモチーフにしたテレビ・ドラマが始まった。いわずと知れた、『鹿男あをによし』である。ちょうど1年前にこのブログでも紹介したことのある、万城目学の小説の映像化だ。さして長くはない物語を引き延ばすため、脇役に過ぎなかった日本史の先生「藤原君」を綾瀬はるか演じる女性に変え、主人公・マドンナ・堀田イト(しかし最近は、何かっていうと多部未華子だね)に絡めて複雑な関係を作り出そうとしているようだが、原作の味はよく保ったまま(まあ異論はあるだろうが)スケールを大きくすることにも成功している。学校や下宿のセットなどは凝ったもので、とくに町屋風の後者は「住みたくなる」くらいの出来。ロケによる初冬の奈良の風景も素晴らしく、とくに若草山からの遠望は「国のまほろば」を髣髴とさせる。一部で話題になっている(されている)鹿のロポットも、まあテレビサイズではいい出来だろう(CGはちょっとお粗末だが、許容範囲である)。ベテラン鈴木雅之の演出もテンポよく、映像も美しい。今季、NHKの『鞍馬天狗』(野村萬斎主演!)とともに、楽しみにしておきたいドラマである。……しかし、奈良の鹿と人間との関係を研究しているよしのぼり君は、どんな気持ちでこのドラマを観ているかなあ。
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かたまりつつあるもの:東アジア的歴史叙述の核心へ

2008-01-14 09:58:28 | 議論の豹韜
『歴史家の散歩道(続・歴史家の工房)』の校正を終えたところで、冬休みが明けた。やり残したことばかりが目立つが、少しも進展がなかったわけではない。近年課題の原稿としては、古代文学会叢書への寄稿論文が最大のもので、要旨は5年ほど前から各所で報告しているものの、なかなか脱稿できていない。むしろ、後から依頼を受けた文章を先に仕上げてしまっていて、編者や出版社、すでに投稿された方には申し訳ない気持ちでいっぱいである。しかし、それが行き詰まって書けない、あるいは興味を失ってしまって書けないというわけでは決してなく、むしろその逆で、関心はますます深く広くなり、自分のライフワークの一角を占めるものとして肥大化を続けているのである。
当初は、『書紀』や『古事記』、『風土記』に現れる祟り神の物語が、亀卜との関係でどのように構築されるのかを考えるのが主な目的だった。それが中国の事例を渉猟・分析してゆくうち、過去を理由づけ、未来を方向づける卜占が、東アジアにおける歴史叙述の誕生と展開に中核的な役割を果たしていることが分かってきたのである。その文脈は、古代日本まで確実に繋がっている。甲骨文から種々の史書に至る史官の役割、戦国楚簡における卜筮のありようなどへののめり込みは、古代日本の中臣氏や卜部氏に対する根本的な再考を促した。結果、テクストに現れる「祟」の、典拠による質的相違に注目した「『日本書紀』崇仏論争と『法苑珠林』」(『王権と信仰の古代史』)・「『日本書紀』と祟咎」(『アリーナ』)、中臣・藤原氏の歴史叙述と易との関係を明らかにした「〈積善藤家〉の歴史叙述」(『歴史家の散歩道』)などを書き上げるに至った。この作業は、自分のなかでは、言語論的転回以後の歴史学をどのように模索するか、という方法論的課題とも結びついている。3月の物語研究会ミニ・シンポジウムにも関わってくる内容である。周縁で輪郭形成を進めている思考の中心部分に、早く明確な形を与えたいものである。

11日(金)の特講終了後、プレゼミ生のI君が、以前に提案した研究会の件で相談に来た。史学科学生の有志を対象に、物語り論的なセンスを身に付けてもらおうと計画している会である。歴史哲学の分野では、10年ほど前から議論の中心を占めている物語り論も、当の歴史学分野ではほとんど真面目に考えられていない。とりくみやすい映画、小説、まんがなどから始めて、楽しみながら抽象的思考の訓練を重ねていってほしいのだ。最近、デーヴィスの『歴史叙述としての映画』も刊行されたが、将来的に、史学科のカリキュラムのなかへフィルム・スタディーズを位置づけてゆきたいという野望もある。この会が小規模ながらも着実に歩みを進め、その布石になってくれることを期待するばかりだ。I君にはそのとりまとめ役をお願いしているのだが、ぜひがんばってほしい。

12日(土)は、上智で北村直昭氏の博論口頭試問に顔を出した後、歴史学研究会古代支部会の例会へ。ふだん歴研と関わりを持つことは少ないのだが、今回は、いつも多大なる学恩を受けている大江篤さんが祟りについて論じ、親しくしている山口えりさんがコメントをするというので、2年ぶりくらいに出席した。やはり、中国史との対照が充分なされていない点、諸資料に現れる「祟」を言説形式から切り離して概念として一面化し、その変遷を論じてゆく方法には疑問を持った。しかし、以前の國學院シンポでも指摘したことだし、歴研の目論見と合致する討論になるとは思えなかったので、今回は発言を控えた。懇親会では、方法論懇話会の同志池田敏宏さんと久しぶりに会い、またふだん顔を合わせることの少ない服部一隆氏、長谷部将司氏らと話ができてよかった。山口さんともコアな部分で意見交換し、大変刺激になった。彼女は、災害を説明する論理の変遷を「積層的」と表現し、説明に苦慮していたが、中国から波状的に伝わる知・技術と日本的ローカライズを扱っている人間には、そのヴィジョンが感覚的には理解できたはずだ。以前に成立したものが最新のものへ影響を与え続けるという説明方式は、丸山真男の古層論、ブローデルの三層構造(これは議論に出なかったな)など数多いが、個人的には「層」という言葉では表現できないのではないか、それこそが実体論的な誤解を与える元凶ではないかと感じる(「層」といって、それが社会のどこに蓄積され積み上がっているというのか)。構造はやはり関係の網の目として認識すべきで、その繋がり方によって発現する表象が変わる。他の繋がり方は、潜在的可能性(可能態)として同次元に常にある。発現する頻度の相違が歴史的変化となって表れるわけだが、その発現を促す契機が何なのかを解明することが重要なのだろう。
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初体験:雪国の一日

2008-01-05 13:20:16 | 生きる犬韜
3日(木)早朝、三が日のうちに片付けたかった仕事(千代田学小冊子の編集、『歴史家の散歩道』の初校、講義回答ブログ「来るべき書物」の更新)を何一つ終えることができないまま、義父と妻の待つ秋田へ出発。
秋田新幹線こまちのなかで「来るべき書物」の内容を打ち込みつつ、ちらほら窓の外をみていると、快晴の空の下が雪景色に覆われ始めた。福島のあたりだろうか、思わず写真を撮ると、電信柱のグニャリと曲がった面白い画が撮れた。岩手に入って、東京駅で買った「たっぷり冬野菜弁当」(このシリーズ、四季を通じて「夏野菜」「秋野菜」などと名前が変わってゆくのだが、内容はほとんど同じような気がする...)を開くと、快晴だった空が曇り始め、あっという間の大雪に。ときには、窓の外が真っ白になるような天気にもなった。いつも義父からは、「いちど北條さんに冬の秋田へ来てもらいたいなあ」といわれていたのだが、1月に長野へ行ったことがあるくらいで、本格的な雪国の冬を体験するのは初めてなのである。毎年苦労されている方には申し訳ないが、少しわくわくした気持ちで秋田入りした。

田沢湖、角館、大曲といった山間部はかなりの大雪だったが、海側の秋田に近づくと、雪もまばらになってきた。雪質もやや水っぽいようで、現在の状態では関東の大雪の際とさほど変わらない光景である。義父と妻が迎えにきてくれていたので、まずは車で自宅へ。四十九日は終わったものの、一周忌まではと安置されている義母のお骨の前でお詣りし、コーヒーを飲みながらひとしきり談笑。気温としては関東の早朝と変わらないが、やはり底冷えがするので、ストーブの前から離れられない。義父は蘭を育てるのが趣味なのだが、南方の植物である蘭には冬は大敵で、この時期は温度管理に気が抜けないらしい。始終ヒーターや電熱器で(花にとって)快適な温度を保たなければならないため、長時間家を空けることがなかなかできない。義母のいた頃は任せられたが、今は仕事に行っている間も電熱器を点けっぱなしにしているため火災が心配だし、1月末にある社員旅行のときにはまた妻が秋田へ留守番に来なければいけないようだ。大変である。

夕方、思い立って近くの里見温泉へ。温泉は夏の東北旅行以来だったが、このところ疲れが溜まっていたので大変ありがたかった。ジェットバスで凝りをほぐし、露天風呂で降ってくる雪を眺めつつしばし放心状態。いちど家へ帰ってから、すぐにタクシーに乗り換え、夕食を摂るため大町の無限堂へ。稲庭うどんのお店で、町屋風の洒落た建物。安くて美味しい懐石料理に舌鼓を打った。しこたま酔った義父は、帰宅してからもしばらくウィスキーを傾けて話をしていたが、翌日はもう仕事始めのため10時過ぎには就寝。ふだんは9時には寝てしまう人なので、今日は無理をさせたのかも知れない(妻は嬉しかったのだろう、といっていたが)。ぼくも前日が完徹だったので、やり残した仕事を片付けようと思ったが集中できず、12時前には眠りについた。

翌朝、出勤する義父を見送ってから、お昼まで「来るべき書物」の更新作業。昼食には妻の手料理のそばとおせちの残りをかきこみ、妻の親友Rさんの新居へ遊びにでかけた。今年の生まれでありながら10キロ強の巨体を誇る愛娘Sちゃんは、抱いていると手が攣る、筋肉痛になるなどともっぱらの評判であった。頼んだタクシーの運転手さんがかなりの早とちりで迷いまくり、通常30分弱で到着するところへ1時間かけてたどり着くはめに。帰りの新幹線の関係から30分しかいられなかったが、ぼくも命の「重さ」を堪能させていただいた。いつもは父親以外の男性に抱かれると大いに反発するようで、父方・母方の祖父に抱かれるのも嫌がるらしいのだが、なぜかぼくの膝ではニコニコと鎮座ましましていた。「あんまり男らしくないからだろう」といわれたが、そうかも知れない。それにしても、Rさんの新居は非常に凝った造りのきれいな家で、広さは100坪にもなるという。東京近郊では豪邸の部類に入る。あんな家に住みたいものである。

帰りは駅までRさんの旦那さんに送っていただき、ギリギリで帰途に着いた。秋田駅を出てしばらくすると、雪国の大地に夕日が沈んでゆく。余韻を楽しむ間もないほどの慌ただしさだったが、だんだん秋田が「異郷の地」ではなくなってきた。今度は自分で自由に歩き回る時間がほしいな、などと思いつつ、また「来るべき書物」の作業を続行。東京駅に着く頃には、おおむね回答案を打ち込むことができた。あとは多少の手直しをしてサイトにアップすればよい。しかし、明後日月曜にはもう仕事始め。終わらなかった作業、手を着けることさえできなかった原稿もある。あと1週間は冬休みがほしいなあ...と本気で思うこの頃である。
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備忘録:年末年始を駆ける

2008-01-01 23:59:02 | 生きる犬韜
気がつくと元旦である。昨年は、クリスマス前後に能鑑賞だクラシック・コンサートだとさまざまイベントがあり、やっつけ仕事ではあったが年賀状も書いたので、それなりに新たな年を迎えるという情趣があった。今年は喪中のため年賀状も出さず、原稿その他の仕事も山積しているので、まさに灰色の年越しであった。それでも幾つか書くべきことはあるので、備忘録としてまとめておこう。

冬休みに突入し、まず最初にやって来たイベントは、26日(水)のゼミ忘年会と疑似フィールドワーク。後者は、このブログでも以前に何度か触れたが、上智大学のある千代田区・新宿区周辺の歴史スポットを江戸古地図を使って探し出し、限られた時間内でレポートにまとめ提出するというもの。本来、フィールドワークは、きちんと方法論を身に付けて実地に研鑽すべきものだが、まずは、チームで速さと質とを競う一種のゲームとして始めてみた。みんなそれなりに一生懸命に、また楽しんでやってくれたようである。今回の調査対象は、服部半蔵の墓がある西念寺、於岩稲荷と陽運寺、そして塙保己一の和学講談所跡地であった。後者はやや高度だったが、目的地に至るルートには点々と江戸の名残を伝えるプレートが立てられているので、それを辿ってゆく面白さもあったらしい。ぜひこれは恒例にして、毎年工夫を重ねてゆきたいし、いずれはゼミ旅行にもフィールドワーク的要素を組み込みたいものだ。勝利したチームには、ゴディバのチョコレートをクリスマス・プレゼント?として贈呈した。
忘年会は食べきれない量の料理にびっくり(もったいない)。二次会は、これも恒例化しつつあるカラオケ大会で、みんな個性ある喉を披露していた。

続いて27日(木)、豊田地区センターの講義に忘年会。講義の内容は、夢をモチーフにした『蜻蛉日記』の講読。前回に引き続き、平安期から中世にかけての夢違いの方法を紹介し、中巻に載る石山寺参籠の霊夢(僧に銚子の水を右膝へ注がれる)、長精進の結果の夢(尼になる夢、腹中で肝を食べる蛇とその治癒法の夢)を分析。観音と水との関係や、中国の夢書との比較を中心にした話になったが、ちょっと地味な展開だったかも知れない。恐らく『蜻蛉日記』は次回で終わるだろうから、再開の要望の多い『藤氏家伝』にまた取り組んでみようか。
忘年会は大船の「三間堂」にて。自分の親と同年代か、もしくはそれ以上の方々から「先生」と呼ばれるのはやはり恐れ多い。戦前・戦中の体験談なども伺い、勉強させていただく。

29日(土)は、ゼミ4年生のEさんが出演する、上智大学管弦楽団のコンサートを聴きに上野へ。ちょっと家を出るのが遅れてしまったため、3階席での視聴となったが、ホルンを担当するEさんの姿はよくみえた。音は上へあがってくるので、楽器ごとの音も比較的によく聞き分けることができた。管/弦の完成度にやや差異があったようにも感じたが、上品な時間を堪能。
コンサート終了後は新宿へ移動し、大学学部時代の同期の集まる飲み会へ。参加した時間が遅かったのであまり深い話はできなかったが、みんな2007年度はさまざまに転機があったようだ。例年、今年の反省と来年の抱負を漢字一字で表現したり、今年面白かったドラマ、映画などを紹介するというお題があるのだが、私は先に易で出た「困」を現在の情況として挙げた。来年は「滅」、精神的な意味での涅槃寂静に至れればよいが、肉体的な意味で滅尽せぬよう気を付けねばなるまい。

30日(日)、早朝に妻が秋田へ里帰り。独りになってしまった義父と年末年始を過ごすためである(私も1/3には雪の秋田へ乗り込み、一泊してくることになっている)。この日は、一日かけて大山誠一さんからの依頼原稿を脱稿。23日までといわれていたのが、なんだかんだでこの日までかかってしまったのだ。「『日本書紀』と祟咎」というタイトルで、中国殷王朝から日本古代に至る祟りの言説史を背景に、崇仏論争の述作について考察する内容である。『王権と信仰の古代史』に書いた内容を要約して、との依頼だったが、ここのところ頭の隅で燻っている中国の祖霊信仰への関心を反映した内容となった。

31日(月)は、一日自坊の除夜会の準備。合間にゼミ演習の講評ブログや講義の質問回答用ブログの更新、千代田学の編集などを行った。これらを早く片付けて、古代文学会の『可能態としての宗教的言説』の論文を書き上げねばならないが、史学科編『歴史家の散歩道』の初校も届いておりなかなかとりかかれない。早島有毅さんの還暦論集の初校も放置したままになっており、こちらは1月末までといわれているが、2月中旬以降へ後回しになりそうだ。その前に、『儀礼文化』誌より依頼のあった、供犠論研究会編『狩猟と供犠の文化誌』の書評を何とかせねばならない。卒論やレポートの採点、あけぼの会の最終講義もあるし、1月はまた休みなしの毎日となりそうだ...などと考えていたら、あっという間に2008年となった。除夜会、修正会の勤行を終え、鐘撞きも2時前には終わって(今年は419発までいった。まさに煩悩熾盛)、家族で年越しそばをすすり打ち上げ。ちょっと休んでから一仕事しようと思い、こたつに入ってテレビをみていたら、いつの間にか眠ってしまった。

里帰りしてきていた次兄(武蔵野大学現代社会学部教員。ちなみに義姉も大学教員)の話を聞くにつけ、大学の未来には明るさが何もないことを実感する。どこぞの大学人のように人文学を背負う気は毛頭ないけれども、今年も自分の置かれている情況のなかで何ができるか、大学教育・学問研究の双方において精一杯努力してゆきたい。本年もよろしくお願い申し上げます。

※ 写真は12/8(土)、オリエンテーションキャンプの下見にいった富士箱根ランドで撮影。今年は、いろいろな意味で雲間から光が差すことを期待。
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