仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

春学期も半ばを過ぎ…:37歳になっていたりする

2007-05-27 15:34:09 | 生きる犬韜
久しぶりの更新。
5/13~19は、麻疹による全学休講で少しは余裕が持てるかと思いきや、委員会等々会議は普通に行われるし(当然だが)、上智史学会ホームページの起ち上げ業務もあって(試験的に公開中)、結局は休む間もない1週間だった。土曜に予定されていた環境/文化研究会は、麻疹のあおりをくってとりあえず延期。ストレスのはけ口もなくなってしまった…。

5/20~26は、これまた余裕なし。麻疹のために延期になっていたコミュニティ・カレッジ「千代田学入門」がずれこんできたので、豊田地区センターの講義と合わせ7コマの授業。ぼくの情報処理能力では限界の数値である。
22日(火)は、ゼミ生Hさんの教育実習先にお邪魔し、研究授業を見学。高校の授業というものを20年ぶりくらいに受けた。まず、Hさんの授業ぶり自体は素晴らしかった。教案も緻密でよく整理されており、語り口も堂々としてメリハリがきいていた(大学では割合とおとなしく、どちらかといえばおっとりした印象があったので、しばしギャップに呆然?としたが…)。指導教員の先生からの評価も高く、「このままずっといてもらいたいくらいです」とのことで、こちらも一安心。しかし、1回の時間内に長屋王から道鏡までの政治的変転を押さえるというのは、やはり指導要領に無理がある気がする。枝葉の話もほとんどできないのでは、生徒も関心を抱きがたいだろう。後ろの席でうとうとしている生徒の机を覗き込んだら、いま受けている授業の内容が、すでにノートへきれいにまとめられていた。恐らくは塾での予習の産物だろうが、塾の方がより豊かな情報量を提供しているはず。授業以外での補足学習を前提としなければ成立しえない学校教育とは、いったい何の意味があるのか。中学・高校の現場の先生方のご苦労を思うとともに、現行の制度に対し、いつもながら首を傾げざるをえなかった。

24日(木)は、豊田地区センターの講義と上智コミュニティ・カレッジのダブルヘッダー。まずは前者で「樹霊婚姻譚」の成立と展開について話し、そのまま上京して後者の「千代田学入門」へ。今週と来週がぼくの担当で、この日は「古代麹町台地に暮らす―防人の歌からみえてくるもの―」。千代田区の立地する麹町台地(淀橋台)の自然環境、縄文から古墳時代への歴史を簡単にみつつ、最後は武蔵国荏原郡・豊島郡の上丁も詠んだ防人の歌の分析へ。近年、オリエンタリズムよろしく「そのままの東国を反映するわけではない」とされる防人歌について、訛音や俚言の先行研究に学びながら、単なる中央文化の強制ではなく、積極的に採り入れて政治的向上を目指すベクトルを見出した。ちょうど、奈良貴族が中国文化を積極的に摂取し、天平文化を構築したように。

25日(金)には、特講終了後、ゼミの同窓生であったKさん(日本私立大学連盟勤務)が来室。しばらく会っていない同窓生たちの近況も聞いた。結婚、出産、それに離婚や死別。みんなそれぞれの人生を生きているのだな、と当たり前のことに実感を持った。そうそう、27日(日)には、ぼくも37歳になるのだ(上野樹里は前日ですと)。「年を取ったものよ…」。26日(土)に挙式した義理の従弟の結婚相手が、なんと19才(1987年生まれ!)であったことに、一層その感を強くしたのでした。
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電車のなかで:ここ最近の軽い読書

2007-05-14 23:41:38 | 書物の文韜
通勤に2時間かかるぼくにとって、電車に乗っている時間を、読書に執筆に、そして睡眠にと有効に活用することはけっこう重要である。講義の準備にほぼ徹夜の日は自然と睡眠に充てられるが、ふだんは往路が『News Week』や『週刊金曜日』の斜め読み、帰路がhTcZによる原稿執筆に使われる。しかしGW後の数日は疲労が抜けず、幾つかの新刊小説の読破に費やされた(以下はその紹介である)。ちなみにぼくは、決して電車内で学術書を読まない。読んでもすぐ止める。誤解を恐れずにいうが、眠くなるからである。

まず1冊目は、北方謙三の『楊令伝』。いよいよフル・オリジナルの領域に突入した、『水滸伝』の続編である。描かれる人物像にはもはや新鮮味はないが、『楊家将』のことも考えると、北方はよほど楊家が好きなのだなと思う。大河小説の番外的結末というものは、世間的には概して評価が低い。『三国志演義』しかり、『源氏物語』しかりである。しかしヘソそまがりなぼくは、かえって劉備や諸葛亮よりも姜維や〓(登+邑)艾が、光源氏よりも薫の方が好きなのである。『楊令伝』がそういう作品になってくれるかどうか、大いに期待したい。個人的には、広告チラシにあった「岳飛」の名が大いに気になるところである。

2冊目は、万城目学の『鹿男あをによし』。2学期だけという名目で奈良の女子校に赴任した冴えない大学院生が、日本列島を揺るがす大事件に巻き込まれる。ジャンルとしては伝奇小説で、諸星大二郎や星野之宣に通じる要素を持っているけれども、小説としての読ませどころは、むしろ登場人物たちの軽妙なやりとりや細やかな描写にある。とくに、主人公と反発しあいながらも彼を助ける女子高生、堀田イトは非常に魅力的。『鴨川ホルモー』で鮮烈なデビューを飾った万城目は「ヘンな小説を書く」と有名で、どんな世界が展開するのかとワクワクしつつページをめくったが、案外に正統派のストーリーテリングだった。ちなみに、この人も京大の出身らしい。

最後はモリミーの『新釈 走れメロス』。中島敦の「山月記」、芥川龍之介の「藪の中」、太宰治の「走れメロス」といった名作群を、その主題や構成はそのままに?、モリミー流京都ワールドに変換した力編。ヘンといったら、若手では森見登美彦の右に出るものはいないだろう。今回も最初から爆走している。まだ冒頭の「山月記」しか読んでいないが、天才文人を自称して憚らない傲慢な京大生が、言葉への絶望の果てに東山の天狗となるこの小品ひとつをとってみても、「ああ、読んで良かった」と思わせる。馬鹿馬鹿しいことこのうえないのだが、かつて「山月記」を愛読した者にとっては随所にニヤリとさせられる部分があり、驚くべきことに言語や人生の何たるかについても考えさせられるのである(これは、ぼくが驚くべき人なのかも知れないが)。それにしても、モリミー特有の言い回し―例えば「一度だけ夏目も見たことのある彼女は、ふんわりした頬をして、落ち着いた優しそうな人であった。玲瓏たる美貌で男をねじ伏せるのではなく、優しく男を癒して、しかる後ねじ伏せる人であろうと夏目は考えた」など―は素晴らしい。人と比べるのは失礼だが、なんとなく別役実のエッセイを想わせる。

そうそう、GWに読んだ小説ではないのだが、あとひとつ紹介しておかなくてはならない本があった。服藤早苗さんの還暦記念論集、『女と子どもの王朝史』である。執筆者は服藤さんの盟友、小嶋菜温子・倉田実両氏のほか、弟子筋にあたる平安研究会の方々。女性と子供という観点から、成人男性を核に構築されてきた歴史を相対化する内容で、服藤さんの切り拓いた分野を象徴するような構成である。実は、妻の高松百香が平安研のメンバーで、本書にももちろん論文を執筆し、あとがきも担当させていただいている。振り返れば、妻と初めて出会ったのが服藤さん主宰のケガレ研究会だった。学問以外のところでもたくさんの恩義がある研究者であり、困難な道を歩まれた、その業績の偉大さには常に敬意を持っている。還暦を迎えられたこと、妻とともに心よりお祝い申し上げます。
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はしか注意報:夢と病因論

2007-05-12 01:47:22 | 議論の豹韜
今日11日(金)は晴天の霹靂だった。なんと、上智大学が「はしか」の流行を抑えるため、1週間の全学休講措置をとったのである。小学校の頃の、インフルエンザによる学級閉鎖以来の経験だろうか。すでにyahoo!などでも配信されているとおり、感染者は現在10名、感染経路も不明という。創価大学に続いての緊急状態で、ウィルスは宗教系ばかりを攻撃しているのかと疑いたくなる。すでに感染している学生には早期の快復を、未だ免疫のない学生には充分な予防を願うばかりである。皆さん、お大事に。

ところでどういう符合か(というほどのこともないが)、今日の特講ではちょうど病因論に関わる史料を扱ったのだった。『晏子春秋』内篇雑下第六の斉景公の病に対する晏子の夢解き、『春秋左氏伝』昭公七年(前535)条の晋侯の病に対する子産の夢解きである。前者では、水気の病に罹った景公が、「二つの太陽と戦って敗れる夢」をみて、自分は死ぬのではないかと恐れる。晏子は、「病は陰、太陽は陽であり、陰は陽に勝てないから、夢は公の病が間もなく癒えることを示す」と解き、占夢官に託して公に語らせる。占夢官を通したのは、解夢については素人である自分が進言したのでは、説得性・信憑性に欠けると考えたかららしい。後者では、病の晋侯がみた「寝室の門に黄熊が入ってくる夢」を、子産が神話・歴史を明かすことで読み解く。「黄熊とはいかなる疫鬼か」と尋ねる韓宣子に対し、黄熊とは羽山で尭が処刑した鯀の精神が化したもので、禹が郊祀を行って以来代々の王朝が祀ってきたにもかかわらず、天下を主宰するようになった晋はそれを継続していないと語られるのである。二話とも、占夢官の知識・技術が現実の政治をなす賢人の手に移ってきたことを示しているが、病因論的にみると、前者が陰陽五行説による解釈、後者が殷代以来の「疫鬼による病」観に基づいている点、それはそのまま夢因論とも置き換えられる点が面白い。
この二つの病因論・夢因論は、『周礼』春官/占夢の条にも語られているが、そもそも両者の関係はどのように認識されていたのだろう。陰陽五行説が構造論的解釈で、疫鬼説が表象論的解釈だとでも区別できようか。いずれにしろ、後漢に至る占夢の衰退のなかで、陰陽五行による解夢は道教経典などにのみ姿を残すようになり、一方、多分に表象論的な(印象論的、経験論的にインパクトのある)解夢が文学などの世界に溢れてくる。持論では、人間は根底的なところでは難解なものにこそ惹き付けられると思うのだが、分かりやすいイメージが人口に膾炙するのもまた確かなのである。

さて、冒頭で触れた「はしか」による全学休講。創価大学では、感染経路をめぐる流言飛語、全学休講に伴う風評被害が問題化したらしい。病の源に対する不安・恐怖と、それに説明を与える物語り。科学万能主義の時代にどのような病因論が語られたのか、古代との比較においても大いに関心のあるところだ(スピリチュアリズムが流行していることでもあるし)。今回の事態は、やがて現実化するかも知れない新種インフルエンザ流行への、予行演習としても意味も持ちうる。学生たちのメンタリティーが緊張状態のなかでどのように動くのかも、きちんとみておかなければならないだろう。
ちなみに上の写真は、GWに里帰りしたゼミ生のT君が境港で買ってきてくれた「妖怪人形焼き」(というより鬼太郎人形焼きだけど)
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逃避?:日本古代史ゼミ・ホームページスタート

2007-05-04 12:41:03 | 生きる犬韜
世間はGWだが、ぼくはどこへもゆかず、PCの前に座り続ける毎日である。今日は天気がいいので洗濯をしたが、やはり出かける予定はない。とにかく負債の返済が第一。このまま夏休みが終わるまでにすべての約束を片付けられれば、秋には何か自由な研究(研究テーマを主体的に選ぶなんて、院生の頃以来していないのだ)ができるかな…と思っていたら、しかし一昨日、「聖徳太子論争の経過を10月末までにまとめてくれ」などという依頼が来て、晴天の霹靂状態。「O先生から話が通っていると思いますが、執筆をご快諾いただきありがとうございます」との手紙が入っていたが、何も聞いていないし、もちろん引き受けた覚えはない。9月末までの〆切は5つ、プラス1となれば月刊ペースで、実質的には夏期休暇2ヶ月弱のうちに4~5本を仕上げねばならない。とても無理だろう。依頼はなるべくありがたく受けるようにしているが、今回は断るしかないか。

…といいつつ、昨日は現実逃避?、一日がかりで日本古代史ゼミのホームページを起ち上げた。題して、「天海雲波月船星林」。漢字ばかりのタイトルだが、柿本人麻呂の、「天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に漕ぎ隠る見ゆ」という宇宙的な歌から拝借した。実質的には、現在運営しているゼミの作業関係のブログ、ぼくの断片的なブログやページを統合するサイトである。他の(同窓会的な)コンテンツはほとんど工事中なので、今後時間を作って更新してゆこうと思っている。今回はレイヤーを使ったアニメーションにも挑戦してみたが、ちょっと下品にみえるので結局やめた。デザイン的にはとてもシンプルにまとまって、とりあえずは満足。

休み中、幾つか観ておきたい映画もあったのだが、今回は断念。そのかわり、テレビはちらほらと。NHKで憲法関係の良質なドキュメンタリーを盛んにやっているが、これはすべて録画しているので後でまとめて観よう。今朝は、ケーブルのディスカバリーチャンネルで殷王朝関係のドキュメンタリーを視聴。甲骨文字の発見から最近の完全な「戦車」の発掘まで手際よくまとめていたが、犠牲・殉死などに対する「残虐な王朝」「ダークサイド」などの言葉に辟易、オリエンタリズムな臭いを強く感じた。「こんな残虐な王朝が先祖なんて…」と語る中国人考古学者の感性もどうか。
ところで、NHK-BS2で土曜朝に放送しているアニメ、「精霊の守り人」は圧巻。古代日本・朝鮮・アイヌなどを合わせたような、架空の王朝を舞台にしたファンタジー。文化人類学者・上橋菜穂子によるストーリーに文句はないし、何より記号化されていない画作り、アニメートはプロダクションIGの本領発揮だろう。時間とお金をかけた、本当に丁寧な仕事に頭が下がる。
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