仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

誕生日:現報とは?

2008-05-28 10:38:34 | 生きる犬韜
27日(火)は、38回目の誕生日だった。40歳が確実に近づいている。もう若くはない。翌日の学内共同研究「人間の尊厳を問い直す」の報告準備のため、日~火と昼夜の区別ない生活が続いていたが、この日はプレゼミ生とゼミ生が誕生日を祝ってくれた。ありがたい。とくにプレゼミ生は、まだ古代史ゼミに入ると決まったわけではないのに、申し訳のないことである。

ゼミではバースデーケーキが用意され、「3」「8」の形をした蝋燭が立てられた。38本も吹き消したら、酸欠でこちらの命の火が消えるところだったが、2本だったので楽々クリア。ハッピーバースデーの合唱もあり、身の置きどころのない気持ちになった(誰かにお祝いをしてもらうことが滅多にないもので...)。
さらに、副賞?としていただいた寄書きがふるっていた。左の写真のような扉が付いていたのだが、そこには「釈勝貴、[以]厭離瞋恚教化徒弟[事]、得現報縁第三十八」の標題が。ゼミで読んでいる『日本霊異記』の、各説話に付いたタイトルをもじったものである。『霊異記』を読んだことのある人ならこの面白さを分かってもらえるだろう。意味としては、「釈勝貴(ぼくの法名)が、瞋恚(仏教で離れるべき怒りの感情)を離れて弟子を教え導き、現報を得た話」ということになるだろう(「以」は付けるなら「得」の前、「事」は余計かな)。「怒らないで教えてね」というメッセージなわけだ...なかなかやるじゃないか。しかし、「現報」には善/悪の二つがあるからね。この標題では、怒らないで指導したら善い報いがあるのか、それとも悪い報いがあるのか明記されていない。後者ならばより厳しくしなければならないのだ。ふっふっふ、詰めが甘かったね。学生を指導して得られるぼくにとっての善報は、君たち自身の「成長」に他なりません。まずはよい卒論を書き、それを通して一生の宝になる(一生をかけて取り組める)テーマを見つけ出してください。

いずれにしろ、プレゼミ生・ゼミ生の心配り、ゼミ生の機転?に大変心を打たれた日だった。
皆さん、どうもありがとうございました。

※ ちなみに、右の写真は、寄書きに封入されていた似顔絵のひとつ。怒りを押し殺している様子らしい。ゼミ中はほとんど怒りを覚えたことはないのだが、学生にはこうみえるのだろうか。気を付けねば。
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怒濤の週末:土曜日の東奔西走

2008-05-26 11:58:57 | 生きる犬韜
少し投稿に間が空いてしまった。とにかく、先週末から今週初めまでがとてつもなく忙しかったのだ。

24日(土)は、お昼前に出校。コミカレ講座「異界からのぞく歴史」の最終日で、イグナチオ教会から喰違、鮫ヶ橋、須賀町の寺町へ至るルートを歩くことになっていたのである。天気予報は3時頃から雨とのこと、なんとなく心配な雲行きだったが、工藤さん、土居さんと合流し、受講生の参加者5人ととりあえず出発した。
まずはイグナチオ教会から。ちょうど四川大地震関連のミサが行われている最中だったが、やはり静謐かつ荘厳な雰囲気が漂っている。西本願寺などとは違う、これは神/人の媒介者が屹立した宗教のカタチだろう。明治以降の新興宗教なんかも同じだね、という話になる。しかし、ドーム状建築というのは、外からみるよりも中へ入った方が大きく感じる。
続いて、四谷最大の境界(あくまで個人的名づけ)喰違へ。いつ来ても異様な地形である。付近にいるとそんなに大きなカーブにみえないのだが、少し離れてみると明らかに向かい側が見通せなくなる。工藤さんにも補足してもらって、しばし境界祭祀の話題。受講生の方からのコメント・質問も出て、いろいろ話しながら回るとどんどんテンションが上がる。
迎賓館前の脇を「江戸の武家屋敷」を想像して通過する頃には、ポツリポツリと雨も降り始めたが、べつだん酷くなるわけでもなく鮫ヶ橋へ到着。「せきとめ神」については、皆さん思ったとおりの反応でしてやったり? その由緒は以前にも触れたので繰り返さないが、今でも南元町公園の地下は遊水池として機能しているのだから、治水神として一定の役割は果たしているということになろう。
旧鮫ヶ橋谷町はスラムだったという言明に気を遣いながら、細くくねった路地を抜け須賀町へ。ここからは刀匠・剣豪のお墓、動物墓地など、工藤さんと土居さんの説明が続くので、ぼくは先行してお寺へ挨拶回り。しかし、こういう巡見に慣れていて、しかも気心の知れた同行者というのはありがたいものだ。あえて言葉に出さなくても、工藤さんは率先して受講生を導き、土居さんは最後尾で目を配ってくれる。補足説明もどんどん飛び出す。
お2人に支えられて順調に於岩稲荷まで到着し、14:30前に全行程を終了。なんとか最後まで天気も保ってくれた。参加の皆さんもそれなりに満足してくださったようである。よかったよかった。本来ならばここで打ち上げ、参加者の皆さんも誘ってお昼といきたいところなのだが、ぼくは15:30の新幹線に飛び乗って京都へ向かわなければならない。お世話になっている早島有毅先生の、退職記念会に出席するためである。

京都駅に着くと、小雨の駅前で「高石ともや8時間マラソンコンサート」なる催しをやっていた。高石ともやといえば受験生ブルース。ほっほう…と横目でみながら歩いていると、吉田一彦さんと佐藤文子さんのペアに出くわした。そこから3人で会場へお伺いして、早島先生はじめ、中世宗教史研究・真宗史研究のお歴々にご挨拶。スピーチも行ったが、いやあ、もう針の筵に座っているようだった。というのも、依頼のあった退職記念論集の原稿をとことん遅らせたうえに、まったく依頼内容と異なるものを書いてしまったからだ。早島先生自身が描いたという論文集の青写真は大変緻密なもので、親鸞門流とその思想の形成・展開が網羅的に再検討されるような内容であった。ぼくのところへは「日本における浄土教の成立」というテーマで依頼があったのだが、苦労して脱稿したのは「礼拝威力、自然造仏-『三宝絵』所収「長谷寺縁起」の生成と東アジア的言説空間-」。最初は真面目にこの壮大なテーマに取り組むつもりで、古墳時代から続く在来の他界観と中国的他界観、仏教思想の融合と競合について書いていたのだが、気がついたら樹木の話になっていた。ごめんなさい。それでも草木成仏論と専修念仏の極楽の展開を併せて論じ、辻褄を合わせようとしたのだが、これもうまく果たせなかった。結局、論集は『親鸞門流の世界-絵画と文献からの再検討-』という書名になり、内容的にも充実した素晴らしい本になったものの、自分の論文が載っているのが大変恥ずかしい(出来はまあまあだと思うんですが)。

次の日も大学で仕事*があったので、いろんな人に謝って早々に京都を後にした(滞在時間は3時間半)。しかし、早島先生とのご縁は、考えてみたら24年に及ぶ。ぼくが中学2年のとき、『本願寺史』の関係で、千葉乗隆さんと早島先生がウチの寺へ調査に来られたのだ。そのときのことはまったく覚えていないが、先生ははっきり覚えていらっしゃるという。日本史の研究者として同じ本に書くことになるとは、いやはや人の関わりというのは不可思議なものである。「浄土教の成立」は宿題にして、いつかちゃんとした研究をみていただこう。

※ 銅祝の祝典とパーティ。実行委員として3月末から関わってきた。本番では、同期の加賀崎さんとパーティで司会を担当。途中、挨拶にいらっしゃるはずの学長が行方不明になるなどのアクシデントがあったが、とりあえず無事に終わった。疲れ切って帰宅、月曜の概説と水曜の共同研究報告の準備に勤しんだ。
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研究会本格始動:『法苑珠林』からみえてくる

2008-05-17 14:27:53 | 議論の豹韜
そうそう、院ゼミ崩れの『法苑珠林』講読会がスタートした。テキストは中華書局の『法苑珠林校注』。現行で最良の校本である。第2・第4金曜を原則に、18:45から20:15まで。参加者もずいぶん増えたが、実はほとんどがギャラリー。報告担当者はぼくも含めて5人ほどなので、上の周期でまあまあ負担なく進められるか、というところ。初回は聴講生の早藤さんに現在の『珠林』研究の水準を紹介してもらい、続いて中国から一時帰国中のむーしぇんさんに、六道篇感応縁の序文を講読してもらった。こうして丁寧に読んでゆくと、『霊異記』が依拠していたのは『冥報記』でも『般若験記』でもなく、『珠林』感応縁であったことが明確に分かる。景戒のいう〈霊異〉も、実は『珠林』を媒介に現れる道宣の〈感通〉そのものだ。しかしそうだとすると、なぜ景戒は『珠林』の名を挙げなかったのか。なぜ道宣や道世を顕彰していないのか。そのあたりをちゃんと考えてゆかねばならないだろう。

それにしても、道宣の宗教実践に俄然興味が湧いてきた。しかし、本格的に研究できるのはもう少し先になるだろう。5月中に古代文学会叢書の原稿、6月に「人間の尊厳」共同研究の報告、10月にモノケンの原稿、12月に熊野詣の原稿。いつもより少なめだが、その分校務が多い。そろそろ倉田実さんの論集のお題も考えておく必要があるが、モノケンとの絡みもあるから、やっぱり死者を扱いたいなあ。最近、「みみらくの島」が気になっているのだが、調べて何か見つけ出せるだろうか…? 今度の研究会で訊いてみよう。
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疲労嵩む:歳をとったのだろうか

2008-05-16 19:11:41 | 生きる犬韜
もうすぐ一つ歳をとる。不惑までもうすぐである。そのせいなのかどうなのか、最近疲れがまったくとれない。時間の有効な使い方ができない。困ったものである。

4月末から学内を駆けずり回っていた懸案の問題が一段落し、とりあえず平静を取り戻したところである。しばらくするとまた騒がしくなるのだが、この間に片付けておかねばならないことがある。とにかく原稿を書かねば。
12日(月)、「異界からのぞく歴史」の講義部分が一応終了、あとは24日(土)のフィールドワークを残すのみとなった。最後の担当は土居浩さんだったが、江戸から東京への変化のなかで、墓地がいかにして霊園となるのかを概説いただいた。近代的計画性のもとに公園化を進めイメージチェンジを図ろうと、周辺に暮らす人々の想像力はそれをまた異界の闇のなかへ呑み込もうとする。青山墓地にも幽霊は現れる。やはり人間の想像力、心の力は凄まじい。帰りは土居さんと食事したかったのだが、銅祝実行委員会の会議に呼び戻されてしまった(このブログを読んでくださっている同期の方、参加申し込みどうぞよろしく)。うぅ…。
13日(火)は、プレゼミ・ゼミの後で新歓コンパ。4年生は8割方内定が出て、みな卒論にとりかかり始めたもよう。昨日はM君から、コーエーのシナリオライターに内定したとの連絡があった。まことに喜ばしい。平安京を旅するゲームを創ってほしい。2次会は恒例のカラオケ大会だったが、新3年生の初々しい歌が聴けてよかった。しかし、ぼくももう尾崎豊を歌い上げる年齢ではない。途中で疲れてしまう。
14日(水)は会議の連続。輪講「絵画資料でよむ環境文化史」は、東洋史の村上さんの回を終了。会議続きでちゃんと拝聴できなかったのが悔やまれるが、学生とのキャッチボールに工夫のある授業だった。しかし、画像石から調理の仕方が分かるというのは、何度考えても面白い。供御は古代日本でも重要だが、ヴィジュアル資料には残っていないなあ。岡山県造山古墳の、供献された食物がそのまま土製品化された埴輪は注意されるが、調理の様子は造形されていないもんなあ。
15日(木)は研究日、自宅にて特講の準備。疲れが嵩んで作業ははかどらず。
16日(金)は会議と特講。キャンパスを歩き回った末の講義だったが、自分のなかでリズムが作れなかった。内容を話しているというより、内容に話をさせられている感覚である。疲れた。

明日は休みだが、日曜には歴研大会に出席して関根淳君の報告を拝聴するので、月曜の概説の準備をしておかなければならない。いただいた本、論文も溜まってきたのでちゃんと礼状を出さねば。そして何より原稿を書かねば。
ところで、GW中、『満城尽帯黄金甲』を観た。大変きらびやかだが内容がない心の動きがちゃんと描けていない、などと聞かされていたのだが、(過度の期待を抱かなかったからか)それなりに楽しめた。『モンゴル』とは好対照の、壮大な夫婦げんか、親子げんかの物語。やはり、チョウ・ユンファとコン・リーの熱演がネックで、画面がぎゅっと引き締まる。何万人もの死者で埋め尽くされた宮庭が、みるみるうちに清掃され整えられてゆく様子に、王朝なるシステムの冷酷さ・超然性が浮き彫りにされる。とにかく、大画面で観る価値はあった(しかし、みんなに愛された優柔不断な皇太子の不思議さより、王に向けられた前妃の深い怒りより、真実を知った侍医の娘の狂気より、そして中身のあまりない第2皇子の凛々しさより何より、ダメダメな第3皇子のダメダメな暴挙がいちばん印象に残ってしまうのだった)。
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連休の狭間2:小雨降る江戸を歩きつつ

2008-05-04 12:41:56 | 議論の豹韜
再び連休の狭間、憲法記念日である。前日から小雨の降り続くなか、朝から四ッ谷に出て、工藤健一さん、佐藤壮広さんと待ち合わせ、5/24(土)に予定されているコミカレ「異界」講座野外散策の下見に出かけた。イグナチオ教会から喰違、紀国坂へ抜け、迎賓館の前を通って鮫ヶ橋に下り、須賀町・南寺町・左門町へ入るルートだが、だいたい1時間半から2時間ほどで回って来られるコースだろう。終了後は3人揃って、共立女子大で行われる古代文学会の連続シンポジウムへ参加することにしていた。

さて、まずはイグナチオ教会。実はぼくも、新しくなってからは入ったことがなかったのだ。マリア聖堂の方では結婚式の真っ最中であったが、我々は迷わず礼拝堂へ。二重の扉を開けてなかへ入ると、外とはまるで雰囲気の違う荘厳な空間が広がった。シャーマニズムの研究者である佐藤さん、パワースポットに敏感な工藤さんもしばし言葉を失う。やはりイエズス会は凄かった、と最初から大いに盛り上がる(実は、工藤さんと佐藤さんの2人は、友人の研究者のなかでもとくにスピリチュアルな志向を持っている。彼らと歩くと見慣れた風景も姿を変える)。江戸城と旧尾張藩邸の風水的位置関係を考えながら、今度は喰違へ。以前にも書いたが、ここは現在でも境界としての機能を縦横に発揮する恐ろしい場所である。光と闇、解放と閉鎖、喧噪と静寂、車と人、様々なものごとが交差する。そりゃ幽霊も出るわな、と一同納得。緩やかにみえるのに見渡しがきかない不思議なカーブを体験し、今度は「狢」の紀国坂へ。車は頻繁に通るものの、一気に人気がなくなってしまう。現代でも空気の肌触りが違う。そそり立つ東宮御所の外塀に圧倒されながら、迎賓館の表門へ出て、かつての紀伊藩下屋敷がいかに広大であったのかを実感。ここで怪異が語られる意味を考える。
迎賓館の角を、いま話題の学習院初等科の門前で左折し、坂を下って鮫ヶ橋跡へ。周辺は、江戸期は葦原の繁茂する湖沼地帯、つまり低湿地で、低階層の人々が暮らしていた地域であった。坂の上下でまったく雰囲気が変わる。ここもまた境界であろう。
公園化している跡地を右折して須賀町方面へ歩いてゆくところで、写真の「鮫ヶ橋せきとめ神」を発見。実はすぐ近くに母の実家の寺(浄土真宗本願寺派林光寺)があり、この公園にも何度も足を運んだことがあったのだが、今までまったく気づかなかった。周囲の環境から治水神かと想像したが、後で林光寺の住職を務める叔父に訊いてみたところ、紀州藩邸を造る際に川を堰き止め、その堰を守るために置かれた神社だという。しかしその後人死にが出るような水害は起こらず、「堰き止め」は病の「咳止め」に転訛して周辺住民の信仰を集めたそうだ。京都の仲源寺目疾地蔵といい、なぜか病に関係するスポットはもともと治水に関わっていることが多い。
須賀町へ抜ける通りは狭く庶民的な路地で、一般住宅や昔ながらの商店街が並ぶ。かつてこの付近には、徳川の諜報部隊であった伊賀同心が集住していた。目の前に服部半蔵の墓のある西念寺、塙保己一の墓のある愛染院をみて左折、戒行寺坂を登ると、低湿地への斜面をすべて墓に造成した寺々が立ち並ぶ地域に入る。お寺の関係者の方にご挨拶しつつ、刀匠源清麿・水心子正秀の墓のある宗福寺、最後の剣客榊原健吉の墓のある西応寺、動物供養墓のある本性寺などを回り、締めは四谷怪談関係の陽運寺・田宮稲荷神社とした。これらの寺院は、ほとんどが浄土宗・曹洞宗・日蓮宗の3派。前二者が江戸の裏鬼門を守っているのだ、とは叔父の談。
半ばは昨年夏に四谷会談で巡見したルートを逆からなぞる形であったが、それでも大いに収穫があった。時間的にもぴったりである。当日は、幕末の古地図もコピーして配布し、参加者に当時の景観を想像しつつ歩いてもらうようにしたい。

さて、その後は四谷三丁目のそば弁天庵で昼食を摂り、地下鉄を乗り継いで共立女子大学へ。古代文学会の連続シンポジウム「神話を考える」に参加した。5月の報告は、小川豊生さん「日本における〈霊性〉の起源と神学のメチエ」、山口敦史さん「『蘇民将来』の〈神話〉と経典」。「霊性」の使用を中世に限定しようとする小川さんと会との間で齟齬が生じていたが、現在宗教学や人類学で使用されている「霊性」はヒストリカル・タームではないわけで、古代文学も操作概念として用いればいいだけではないかと感じた(とくにキリスト教的環境で日常的に「霊性」に接しているとそう思う)。小川さんは中世的な語としての「霊性」を何らかの実体を持つものと認識しているようだが、仏教的言説としては明らかに意味が異なる。小川さんの資料に挙がっていた『沙石集』では、華厳的な一念三千・依正不二の境地を覚知する情況、かつ根拠を「霊性」と称していて、それを実現する情のありようが「仏性」だといっている。そうした主体と客体の相即する境地へ導く観相行の物語として(『観無量寿経』の王舎城物語、山林修行のテキストだった『高僧伝』などのように)神話が用いられたとすれば、それは隋唐仏教の道宣がこだわった〈感通〉と等しいものではないか。戒律学者であった道宣が神秘体験を重視し、志怪小説を博捜して怪異譚を渉猟してゆくのは、物語を通じて仏と直接交流する境地へ至ろうとしたからと考えられる。恐らくは『霊異記』や『三宝絵』もその路線を踏襲するもの、まさに〈霊性〉研究の真骨頂だろう。報告には疑問も多かったが、大いに刺激をいただいた。やはり道宣はちゃんと研究せねば。
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連休の狭間:『モンゴル』と『流れ行く者』

2008-05-01 12:06:22 | 劇場の虎韜
4/30(水)、連休の狭間である。月曜には日本史概説と公開学習センターの「異界」話(この日は工藤さんによる刀の話。やはり、刀は異界を開くもの、またその過剰な力から身を守るツールなのだということをあらためて認識)、火曜は終日論文執筆。そして今日は午前中から会議で、その後は13:30~18:00過ぎまで続けて授業(ひぃ~)。帰りに銀座で『モンゴル』を観ようと思っていたのだが、授業が長引いたので間に合わず、諦めて帰途につき電車に乗った。しかし、もう夕方が空く日もあまりないので、思い切って川崎で下車、一度も行ったことがないチネチッタでレイトショーのチケットを手に入れた(地図など確認しなかったが、まったく迷わずに映画館までたどり着けた)。

さて、『モンゴル』。浅野忠信主演、アカデミー外国語映画賞ノミネートで話題になった映画である。血湧き肉躍る冒険活劇、壮大な歴史エンターテイメント、というタイプの映画ではなかったが、そこが某日本映画と一線を画する美点だろう。とにかくこれは、苛酷なモンゴル高原の時代・社会に翻弄されながらもお互いを信じて生き抜いた男と女、そして家族の物語といってよい。主人公テムジンは、幼い頃に族長であった父を殺され、また仲間の裏切りにあって逃亡生活を余儀なくされる。何十年もの間、捕まっては逃げ、捕まっては逃げを繰り返し、常に命の危険にさらされている。テムジンの妻ボルテは、そんな夫と共に生きることを選び、他の部族に掠われて子供を妊娠させられても彼への愛と信頼を失わず、あるときには進んで他人の愛人になってまで夫を救い出す。テムジンも、そんな妻に一片の疑惑や怒りも抱くことなく、常に感謝し慈しみ、血の繋がっていない子供も「俺の息子だ、娘だ」と心から喜んで受け容れる(単に末子相続だからというだけではないだろう)。誤解を恐れずにいうならば、ここには〈貞操〉などというマッチョな規制とは無縁な、お互いを深く信じる心の強さがある。どんな悲壮な情況に追いやられても卑屈になることなく、常に誇り高く生き抜くテムジン。ラストのセリフに象徴されるように、テムジンを導き活かす彼以上に強靱で清冽な精神を持つボルテ。ロシア人の監督セルゲイ・ボドロフは、この二人の壮大なホームドラマを、リアリズムではなく、極めて神話的な筆致で描き切った。印象としては、史劇というよりファンタジー映画に近い(ヨーロッパ的視点からは「神話にしかみえない」のかも知れないが)。天の神の象徴として現れるオオカミの姿が、胸を打つほど美しかった。

おまけ。『守り人』シリーズの最新刊が出たので紹介しておこう。バルサとタンダの子供時代を描いた短編集である。いつもながら、仮想社会の風俗慣習、人々の生きるさまを具体的に描き出す、上橋菜穂子の筆致と想像力には驚くばかりだ(人類学研究の賜物だろう)。歴史学や人類学の研究書を読むのと同じくらいの意味がある。史学科の学生には、前近代の具体像を描き出す力を養うためにも、ぜひ取り組んでほしいシリーズである(児童文学だからすぐ読めますよ)。特講で扱っている死と死者の歴史の観点からすると、「浮き籾」のなかに描かれる祖先神への祭祀のシーンは必見(明日講義で紹介しようかな)。ところで、ぼくは複数のひとから「タンダに似ている」といわれたことがある。あれほど優しく感受性豊かではないが、異界にどうしようもなく引かれているところは似ているのかな。
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