27日(火)は、38回目の誕生日だった。40歳が確実に近づいている。もう若くはない。翌日の学内共同研究「人間の尊厳を問い直す」の報告準備のため、日~火と昼夜の区別ない生活が続いていたが、この日はプレゼミ生とゼミ生が誕生日を祝ってくれた。ありがたい。とくにプレゼミ生は、まだ古代史ゼミに入ると決まったわけではないのに、申し訳のないことである。
ゼミではバースデーケーキが用意され、「3」「8」の形をした蝋燭が立てられた。38本も吹き消したら、酸欠でこちらの命の火が消えるところだったが、2本だったので楽々クリア。ハッピーバースデーの合唱もあり、身の置きどころのない気持ちになった(誰かにお祝いをしてもらうことが滅多にないもので...)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/6d/2c12dae5b8290d0210014a809938d82b.jpg)
さらに、副賞?としていただいた寄書きがふるっていた。左の写真のような扉が付いていたのだが、そこには「釈勝貴、[以]厭離瞋恚教化徒弟[事]、得現報縁第三十八」の標題が。ゼミで読んでいる『日本霊異記』の、各説話に付いたタイトルをもじったものである。『霊異記』を読んだことのある人ならこの面白さを分かってもらえるだろう。意味としては、「釈勝貴(ぼくの法名)が、瞋恚(仏教で離れるべき怒りの感情)を離れて弟子を教え導き、現報を得た話」ということになるだろう(「以」は付けるなら「得」の前、「事」は余計かな)。「怒らないで教えてね」というメッセージなわけだ...なかなかやるじゃないか。しかし、「現報」には善/悪の二つがあるからね。この標題では、怒らないで指導したら善い報いがあるのか、それとも悪い報いがあるのか明記されていない。後者ならばより厳しくしなければならないのだ。ふっふっふ、詰めが甘かったね。学生を指導して得られるぼくにとっての善報は、君たち自身の「成長」に他なりません。まずはよい卒論を書き、それを通して一生の宝になる(一生をかけて取り組める)テーマを見つけ出してください。
いずれにしろ、プレゼミ生・ゼミ生の心配り、ゼミ生の機転?に大変心を打たれた日だった。
皆さん、どうもありがとうございました。
※ ちなみに、右の写真は、寄書きに封入されていた似顔絵のひとつ。怒りを押し殺している様子らしい。ゼミ中はほとんど怒りを覚えたことはないのだが、学生にはこうみえるのだろうか。気を付けねば。
ゼミではバースデーケーキが用意され、「3」「8」の形をした蝋燭が立てられた。38本も吹き消したら、酸欠でこちらの命の火が消えるところだったが、2本だったので楽々クリア。ハッピーバースデーの合唱もあり、身の置きどころのない気持ちになった(誰かにお祝いをしてもらうことが滅多にないもので...)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/6d/2c12dae5b8290d0210014a809938d82b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/34/ab6b793477268db11b2a1d2131593952.jpg)
いずれにしろ、プレゼミ生・ゼミ生の心配り、ゼミ生の機転?に大変心を打たれた日だった。
皆さん、どうもありがとうございました。
※ ちなみに、右の写真は、寄書きに封入されていた似顔絵のひとつ。怒りを押し殺している様子らしい。ゼミ中はほとんど怒りを覚えたことはないのだが、学生にはこうみえるのだろうか。気を付けねば。