仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

龍谷教学会議大会シンポ、『中外日報』6/8号にて紹介

2013-06-14 02:54:56 | 議論の豹韜
前回少し触れた、龍谷教学会議の大会シンポジウム「宗教者の役割:災害の苦悩と宗教」、『中外日報』がまとめて記事にしてくれた(シンポ終了後に記者I氏からご挨拶いただいたのだが、そのうち「論談」で原稿依頼するかも知れませんという話で、記事にするとは聞いていなかった)。内容をみてみると、少なくともぼくが話をした部分は、口頭では省略したところまですべて拾い上げて整理してくれている。そのうちにここにまとめを載せようかと思っていたが、もうそれも必要ないくらいだ。簡略版は同紙ホームページにて紹介(こちら)、実際の記事は本紙6/8号にあたっていただくか、上智の人は7号館9階の北條研究室入り口に切り抜きを貼ってあるので、参照されたし。

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〈集合的記憶喪失〉と転換論との関係

2013-06-09 11:10:46 | 書物の文韜
5日(水)、春から準備をしていた〈龍谷教学会議〉の大会シンポジウム、「宗教者の役割:災害の苦悩と宗教」が終了した。一緒に登壇した稲場圭信さん、金沢豊さん、司会を担当してくださった深川宣暢先生、西義人さんをはじめとする事務局の方々には、本当にお世話になった。ぼくは「語ることと当事者性」と題し、被災地域内外における物語りの機能と困難さ、暴力的言説を解体するために人文的知が持ちうる意味、今後における死・死者の受け止め方などについて報告した。しっかり前準備をしていなかったためにMacがうまくプロジェクターとリンクせず、相変わらず発表時間をオーバーするなどバタバタしたが、まあ何とか提起できることはしたつもりである。詳しくはまた機会をみつけて書くつもりだが、今回、報告の準備をしていてさまざまな発見があったので、ここではそれについてまとめておくことにしたい。

龍谷シンポでは、外部の暴力的言説に対する人文知の関わり方の一例として、以前の日文協シンポでも触れた転換論批判を再掲した。震災直後から、社会のさまざまなレベルで「これが日本の転換点になる」「これまでの日本のあり方を反省し、新たな出発をせねばならない」との声が聞かれ、果ては「そうすることが失われた生命に対する償いになる」との〈背負い言説〉まで現れた。ぼくの立場は、それら転換論は〈祟り〉の言説に異ならない、ということである。すなわちそれは、災害という非日常の事態に遭遇し、「なぜそれが起きたか分からない不気味さ」を払拭するために、何らかの理由を与えて形あるものにし(宗教的レベルでいうと、「人間の傲慢さを怒った神罰」「祭られないことを怒った神の祟り」など。世俗的レベルでいうと、「社会の頽廃や風紀の乱れ」「間違った方向への文明の展開」など)、解決可能な方策を示し(神への謝罪・祭祀、より現実的な価値観転換の提案など)、安心立命を得ようとする心理作用(半無意識的物語り構築)に過ぎない。混乱状態を日常化するための社会心理的防衛規制なので、日常が戻ると一気に熱が冷めてしまう。例えば、個人的には大変残念なことなのだが、最もビッグ・マウスな転換論者であった中沢新一氏など、政党的組織まで起ち上げたにもかかわらずその活動は沈静化しつつあるようだ(メディアに唆されてか自分で売り込んでかしらないが、富士山に飛びついている場合なのか?)。もちろん、極めて真摯で継続的・建設的な転換論があることも確かなので、今後はラベルの貼り方に注意しなければならないが、転換論者の大部分は「本気で転換など考えていない」人々だろう。前置きが長くなったが、こうした考え方を報告に備えて再検討すべく、メディア関係の資料・文献を総覧していたとき、そこでこれまで見落としていた補完材料を見出すことができたのである。
ビヴァリー・ラファエル『災害の襲うとき:カタストロフィの精神医学』(みすず書房、邦訳は絶版)は、その道においてはもはや古典的名著というべき書物だが、そのなかに、「大災害を経験した人間は、そのことによる特殊心理状態として、時間を災害前/災害後に分けようとする」旨の指摘があった。日文協での報告時には、転換論を防衛機制として社会心理学的に考えながら、不勉強のため充分な理論的裏付けを持たないまま報告に至ってしまった。しかしやはり当然のことながら、精神医学の立場からの先駆者がいたわけである。先日刊行された『天変地異と源氏物語』所収の拙論「〈荒ましき〉川音」にも少し触れたが、台風や洪水を経験した平安貴族も、何かと「未曾有」「古今無双」を口にする。自らの体験を絶対化・卓越化する言説だが、そうした欲求の背景にも、ラファエルの指摘する心理状態がうかがえよう(それとともに、「災害の威力は身を以て経験してみないと分からない」ことが表れている点も注視したい。「未曾有」「古今無双」といった言葉は、過去の災害による被害の実態を綿密に比較・検証し、発せられた言葉ではない。毎年のように洪水の頻発する平安京のこと、彼らも前の世代から口承で種々の災害情報を得ていただろうし、書物を通じて知識としては身に付けていただろう。しかしやはり、生の体験は「未曾有」であり「古今無双」なのである。このことは、世代を超えた災害情報伝承の困難さを表しているし、言葉と実態、言葉と過去との関係を考えるうえでも重要な問題を孕んでいる)。そしてここへきて、転換論と〈集合的記憶喪失〉の問題とが頭のなかで繋がってきた。一時期、歴史の物語り論や記憶論、言語論的転回の際に話題となった〈集合的忘却〉について、最近は、(主に里山観の塗り替えとの関係から)〈創られた伝統〉の横行する前提として、しっかり考えなければならないという気持ちになっている。しかし単に「忘却」というだけでは訴える力が弱く、またなぜ忘却するのかよく分からないので、ここ数ヶ月の間に書いた文章では、研究史的裏付けや定義云々のことをきちんと検証せず、「集合的記憶喪失」「集団的記憶喪失」という言葉を安易に使ってしまっていた。けれども、社会的病理としての転換論などとあわせて考えられれば、これは転換論が横行し過去がリセットされたあとに訪れる心理状態なのだ、いわば転換論の後遺症なのだという議論が可能になってくるのではないだろうか。そうすれば、災害史研究が常に流行としてしか存在しえない理由も提示できるだろうし、この災害史フィーバーの後に訪れるであろう事態(防衛機制としての転換論は、その主張するところとは反対に、将来にわたって同じ過ちを繰り返す恐れがある)に、クリティカルな警告を発しておくこともできるだろう。試みにネット上で検索をかけてみると、"collective forgetfulness"、"collective oblivion"といったタームのほかに、ベトナム戦争などとの関連で"collective amnesia"といった術語も使われているようだ。日本以外ではどのように議論が進み、体系化されているのか。日本の文脈とどうリンクさせてゆけるのか。このあたり、今後資料を集めて勉強してゆきたい。

うかうかしているうちに、サバティカルも2ヶ月を経過してしまった。予定していた研究計画がまったく進展しないうちに、シンポジウム等の報告ラッシュに突入してしまっている。何とか、所期の目的を果たすべく努力したい。
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