仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

ようやく夏休み?

2009-08-29 21:33:54 | 生きる犬韜
大学のプロジェクトが一段落し、ようやく夏休み?となった。…といっても、9月になれば授業以外の仕事は始まってしまうので、休みといえるのかどうかは分からない。しかしとりあえず、授業事務に使っていた時間は原稿執筆に充てられるだろう。

休暇に入ってまずは一息、ということで、妻と2人、お台場にガンダムの等身大立像を観にいった。9月号の「歴史学とサブカルチャー」はガンダムネタがプロローグなので、やはり一見はしておかねばならない。御覧のとおり、全体のフォルムも理想的で(胸部がやや小さく思えたが)細部にわたって作り込まれており、なかなかの出来である。それにしても、やはり18メートルというのはリアルな高さだ。近くに寄って見上げたその勇姿よりも、お台場の駅から公園に至るまでその姿がなかなかみえてこなかったことや、レインボーブリッジから眺めたその小ささの方がかえって印象深い。ファースト・ガンダムの第1話で、初めてザクを目撃したアムロはその巨大さに圧倒されるが、ザク以上の大きさのものを幾らでも見上げることのできた宇宙世紀にあって、あの演出は過剰だったのではないだろうか(それとも、多くのコロニーは郷愁を誘う前世紀のイメージで構築されているので、そうした経験はあまりなかったのか)。子供の頃、「身長57メートル、体重550トン…」という某巨大ロボットアニメのエンディングテーマがあったが、非リアルにもほどがある(「伝説の巨神」は論外)。
ガンダムを目撃したあとは、横浜に戻って『ヱヴァンゲリオン新劇場版:破』を観た(なんとサブカルな旅)。ぼくはエヴァ派ではないのであまり食指が動かなかったのだが、周囲の評判が高く、妻も「観たい」というのでゆく気になった。皆の騒いでいるアクション演出やCGの使い方にはさほど感心しなかったが、個の境界をみつめ破壊してゆくあまり、個の何たるかが分からなくなってしまっていた前作に比べ、素直に個のかけがえのなさを追求せんとする情熱の迸りには好感を持った(ぼくにとって前作でいちばん引っかかったのが、「代わりに出てきた綾波レイ」の存在だったのだ)。知人が語ってくれたように、『監督不行届』から想像される庵野秀明自身の生活の変化が、「新」の描き方に反映されているのかも知れない。ラストの渚カヲルの言葉は、これまでのテレビアニメ、映画、コミックのすべてが、シンジを幸福にするためのカヲルの哀しい繰り返しであったことを暗示する(なんとなく、『仮面ライダー龍騎』みたいだが)。セリフ回しは以前にも増してわざとらしいが、坂本真綾の演技の巧さは際立っていた。

週末には、近江八幡で開催された、毎年恒例の「日本宗教史懇話会サマーセミナー」にも参加。今年で10年続いた第2期も終了し、運営陣を入れ替えて第3期をスタートさせることとなった。ぼくも呼びかけ人に指名していただいたが、近年の宗教史の危機を思うと責任の重さに愕然とする。この会には1期第2回から16年にわたり関わり、多くの知人を得て、研究者としての自分を育てていただいた恩義がある。このところ、ぼく自身の関心がずいぶん違うところへ乖離してきてしまい、いろいろ隔たりは感じるが、なんとか恩返しはしなければならないと思っている。まずは、「東京の活性化」が課題だろう。
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焦燥ばかりが募る

2009-08-21 05:03:09 | 生きる犬韜
春学期の成績をほぼ付け終わったと思ったら、今度は大学の某プロジェクト(研究ではない)にかかりきりで、まったく研究ができないでいる。知人の研究者らから「ようやく原稿が書けているよ~」などという話を聞くと、焦燥感と倦怠感ばかりが募る。どうやら、9月にならないと時間は作れないようだ。うーむ。

世間的にも嫌な話ばかりが耳に入ってきて精神的によろしくない。
まず、横浜市で幾つかの区が自由社版の歴史教科書を採用した問題。『日本史の脱領域』以来批判はしてきたが、いわゆる「新しい歴史教科書」を採用しようという人々には、論理で訂正を求めても無駄だということがよく分かった。情念で動いているのだから。『脱領域』の主張を繰り返すようで芸がないが、とにかく大学人の役割としては、「新しい歴史教科書」で学んできた学生たちの歴史認識をどのように解放してゆくかを真剣に考えてゆかねばならないだろう(もちろん、それは他の歴史教科書についても、多かれ少なかれいえることなのだが…)。
それから、勤務校で前首都大学長のN氏が学院顧問に就任したとの話題。性急で浅薄な改革を行った大学で様々な問題が表面化し、実学重視・経済効率優先を謳った株式会社大学が軒並み破綻しているなか、都立大人文学の解体を進めたN氏を招いて、何を始めようとしているのか(N氏については内田樹氏の揶揄が記憶に新しい)。最近、旧態依然としたグローバリズムにしがみつく傾向も顕著なので、先々が非常に心配される。そう遠くない時期に、文学部解体・再編もありうるだろう。
そんなこんなで一日中PCに向かっていたら、昨日は激しい頭痛と吐き気を伴う眼精疲労でダウンしてしまった。悪循環である。

しかし、本当に些細だがいいこともあった。
レポートの採点のためにネットを検索していた折、25年前に観たくて仕方なかった映画の情報を発見したのだ。早川光監督の『アギ・鬼神の怒り』。『今昔物語』に取材した怪奇映画で、当時、特殊メイクで話題になった『ハウリング』『狼男アメリカン』などのテイストを、和の世界に持ち込んだ画期的な作品だ。アボリアッツ国際ファンタスティック映画祭でも高く評価されたが、今と違って当時は邦画冬の時代で、無名の新人監督の作品が日の目をみるはずもなく、二、三の小劇場で上映されたに過ぎなかった。中学生のぼくは『宇宙船』や『スターログ』などの雑誌で情報を得てはいたが、結局今まで一度も観ることができないでいた。それが偶然早川監督自身のホームページを発見し(現在は漫画原作などの領域で活躍されているようだ)、完全版のビデオが発売されていたとの情報を得た(DVDは未発売)。すでに廃盤になっていたが、幸いなことに、ネットで検索してみるとレンタル店落ちの中古品が1点のみ引っかかった。嬉しい限りである。早速購入してすでに手許にあるが、いまは手一杯でとても視聴している時間がないので、いずれちゃんと鑑賞してレポートしたい。

※ 写真は、高木信さんから頂戴した『日本文学からの批評理論』と、上橋菜穂子『獣の奏者』の文庫版。前者は、ハーバート大学での国際シンポジウムの成果を書籍化したもの。現代思想の諸理論を駆使して、「精神分析」「歴史叙述」「他者との邂逅」の観点から日本文学を語り尽くす。日本史でもこういった本を出したいですね。後者は、云わずと知れた上橋文学の最新シリーズ。アニメ版は不出来だったので、ちゃんと原作を読み直したいと思って購入したが、それもまた先のお楽しみ。
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月下美人と「やる気バス」

2009-08-17 18:58:17 | ※ モモ観察日記
お盆も終わり、春学期の成績評価に一日のすべての時間をつぎ込んでいる。100通ほどある「日本史概説I」のレポートが、なかなか最後まで辿り着かない。明日のうちには大学の別のプロジェクトの詰めの作業に入らなければいけないので、気持ちは焦るばかりだ。まったく夏期休暇といったって、溜まっている原稿を書く余裕はまったくない。このまま8月は終わってしまいそうだし、9月からはいろいろ会議も入ってくるので、研究の時間がとれないプレッシャーにナーバスになってきた。

ふと傍らをみると、時間は充分にあるのにまったく勉強をしていないヒトがいる。彼女は10月中に博論を出さねばならないはずだが、大丈夫なのか…?

「きみ、学位論文書かなくちゃいけないんじゃないの、もうほとんど時間ないよ!」
「(背を向けて)…待ってるんだよ」
彼女が何を待っているかは、これまでの経験から明らかだった。
「…やる気バスをか!」
「…うん」
「君のやる気バス、今月はもう来ないかも知れないぞ!休日ダイヤで行っちゃった後かも分からないし、どっかでガス欠になっているかも。そもそも1ヶ月に2回くらいしか来ないんだから。自分から追いかけた方がいいぞ!」
「モモのやる気バスの経営者はモモなんだよ。でももう、会社潰れちゃっているかも」
「じゃあダメじゃん!」
「誰か経営者代わってくれないかなあ」
「……」

うーむ。ちなみに、写真は玄関の前で咲き乱れる月下美人。ものすごく「濃い」匂いを発散する。名前からすると儚げだが、その姿は妖婦というに相応しい。夜の姿とは打って変わって、昼間は大変にしおらしいのだが。
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神雄寺その後

2009-08-13 19:33:52 | 議論の豹韜
以前に触れた木津の神雄寺で、今度は水の祭祀跡らしい遺構がみつかったという。事実とすれば、「古墳時代の導水祭祀にも遡る」と書いたとおりになったわけだ。
報道ではずいぶんとその「意外性」を強調しているが、初期神仏習合寺院の立地をみれば、大部分が水の祭祀場付近に建設されていることは明らかで、一昨年、仏教史学会の入門講座で行った講演「神仏習合と自然環境」でも指摘した。しかし神尾寺の場合、万燈会の関連からいっても金鐘寺の系統に含まれるのは確かである。水の祭祀と仏教とが直接習合したというより、飛鳥寺西槻・須弥山石の広場の伝統を踏まえたものとみるべきだろう。1999年に発表した拙稿「日本的中華国家の創出と確約的宣誓儀礼の展開」(『仏教史学研究』42-1。発表から10年経って、ようやく美術史などの分野で取り上げられている様子)で書いたように、飛鳥寺西槻・須弥山石の広場と東大寺―国分寺のネットワークは、儀礼の次第・空間において同一の構造を持つ。発表した当時は突拍子もなく聞こえたかも知れないが、須弥山本尊を持つ神雄寺の出現によって、この仮説は充分に裏付けられたと考える。ちなみに、神雄寺の背景には至近に本拠を持つ橘氏がいるのではないかとの見解があるが、『続日本紀』天平宝字元年七月庚戌条には、謀叛を企てた奈良麻呂らが、後の一味神水の原型ともいうべき自己呪詛の誓約を行ったという記述がある。これこそ、飛鳥寺西槻・須弥山石の広場から東大寺―国分寺のネットワークに至るまで一貫して用いられてきた儀礼の中核なのだ(上記拙稿参照)。未だ臆説に過ぎないが、橘氏の政治文化の方面からみても、この考え方は成り立ちうるだろう。

自説の正当性ばかり並べ立てていささか口幅ったいが、7月の古代文学会シンポ、11月の上代文学会シンポの内容とも深くリンクしてくる問題なので、絶好の機会と捉えて強調してゆきたい。
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騒がしい1週間

2009-08-12 19:26:31 | 生きる犬韜
8日(土)から今日12日(水)までは、非常に騒がしい1週間だった。8日は自坊の盂蘭盆会だったが、相変わらずの睡眠不足で臨んだせいか、内陣で日没礼賛の読経を終えた後、朦朧として立ち上がれない。無理に身体を起こすと、立ち眩みで今度は後ろへ倒れそうになった。あやうく往生するところであった。夏は恐ろしい。

9日(日)からは伊勢・熊野へのゼミ合宿。その日のうちに片付けておかねばならないことを処理していたら、結局一睡もできずに家を出る羽目になった。7:00に東京駅集合というのだから、少なくとも5:30には出発していなくてはならない。休日だけにバスもないので、モモに港南台まで送ってもらった。
待ち合わせ場所の八重洲中央口に着くと、4年生のI君がすでに到着していた。習志野在住の彼もけっこう早くに家を出たはずだが、前ゼミ長の責任からか。流石である。それからだんだんと人が集まり始めたが、「北條先生」と声をかけられたので振り向くと、そこには一昨年の卒業生のEさんが。何でもこれから岡山の友人のところへ会いにゆくとのこと、ぼくらが同じ時間帯に出発するというので立ち寄ってくれたらしい。久しぶりに元気な姿がみられてよかった。その一方で、ゼミ旅行へ参加するはずの4年生K君が、7:00を過ぎても姿をみせない。ゼミ長のG君が連絡を取ってみると、なんと寝坊していま起きたところだという。団体チケットでの移動なのでやむをえず、彼には後から追いかけて貰うことにし、本隊は一路新幹線で名古屋へ。そこから快速みえに乗り換えて伊勢市駅へ到着。ここで、4月に京大の大学院へ進学した卒業生のT君とも合流した。
1日目の予定は、伊勢の外宮と内宮の見学であったが、式年遷宮の影響からか、とにかく異常な数の参拝客だった(もちろん、初詣のときほどではないだろうが…)。17年前の同じ時季、やはりゼミ旅行で訪れたことがあるのだが、その頃は大して人がいなかった気がする。タクシーの運転手さんによると、近年はお盆の時期に観光客が集中するのだそうだ。「?」である。
それはそうと、外宮から内宮へと見学を終えた頃、「う~ん、これはちょっとまずいかな」という気がしてきた。昨年、一昨年と、ゼミ旅行の折には参加者が分担して目的地の調査をし、その資料をもって現地入りしたのだが(昨年などは深夜の飲み会で勉強会まで開いた)、今年はそれがない。学生たちがちゃんと問題意識をもって見学しているのか、ちょっと分からなくなってきた。これは明らかに、そうした方向への配慮を欠いたぼくの責任である。途中、近くにいて質問しに来た学生とは、少し「研修旅行」的な会話をすることができたが、折に触れて「伊勢神宮はなんでこんなところにあるのかな~」などと水を向けてみたものの、あまり話は盛り上がらなかった。昼食後、時間が余ったので神宮徴庫館を見学することができ、そのなかでのみ学問的なやり取りができたのが、せめてもの救いか。しかし、このあたりのスケジュールを調整して、皇學館や神宮文庫の見学を段取った方がよかったのではないか(知人が何人もいるのに…)。外宮からの移動中に皇學館の前を通り過ぎるまで、まったくその可能性に思いが及ばなかった。学生たちに悪いことをした(しかし、ゼミ旅行がお盆に入る時期に設定されることもあってか、毎年各研究機関にいる知人とのコンタクトがうまくいかない。やはり、GWの段階までに準備を進めておかないと難しいか…)。
徴古館の見学終了後は、伊勢市駅から電車を乗り継いで宿泊先の勝浦温泉まで移動。途中、台風の影響で断続的に徐行運転があり、ホテルに辿り着いた頃には22:00を回っていた。閉まりかけていたホテル内のラーメン店で遅い夕食を摂り、急いで入浴して夜の飲み会。ここでも「伊勢神宮は…」と振ってみたが、疲れ切った学生たちを奮い立たせることはできず。しかし、今まであまり接点のなかった学生から、いろいろ話を聞けたのは幸いだった。とくに、遅刻してきて外宮で合流したK君。彼は、普段は口数が少ないタチなのだが、ゲームやアニメの話題になると極めて饒舌であることが分かった。徐行しまくっていた勝浦までの特急のなかでは、彼とずっとサブカルの話をしていた。
飲み会がはねてからは、自分の部屋に戻ってレポートの採点。コピーをバッグに詰めてきたので、移動中も折に触れて読んでいた。

翌10日(月)は、朝から観光バスに乗っての熊野三山めぐり。諸事情あってレンタカーによる移動の道が断たれたあと、G君が苦心して辿り着いた策である。少数の参加者に負担をかけることなく、楽に見学ができたという意味では本当によかった。しかし、ひとつひとつの訪問地にかけられる時間が少なかったので、余裕をもって見学をすることができず、これも学問的会話の妨げとなった。本当にみてほしいところ、考えてほしいことを伝えられなかったのも痛かった。例えば、上の写真の熊野本宮大斎の原。本宮の旧社地だが、10年ちょっと前の院生のころ、逵日出典先生のお誘いで参加した日本宗教文化史学会設立大会で、本宮の神官の方(お名前は失念)が考古資料を交えて報告されていたのが思い出深い。本宮がなぜ、何のために作られたのかを考えるのには絶好のポイントなのだ。しかし、観光バスによって指定された見学時間内では、現社地と大斎の原を両方みるのは難しい。そこで、急いで写真だけ撮ってきたわけだ。本音をいえば、この河を前にした杉林のなかで、人間にとって神とは何なのか考えてほしかったなあ。
さて、本宮の後は速玉大社、那智大社と回った。台風の雨で増水した那智の滝はもの凄い迫力で、いつもは「女性的」と評されるその雰囲気は一変していた。誰かが口にしていたが、まさに荒ぶる姿である。ちょっと疲れてきていた学生たちも、自然のエネルギーに打たれ、心身ともにリフレッシュしていたようだった。そこから登った那智大社・青岸渡寺への石段はかなりキツかった様子だが、木々と雲霧に包まれた景観は非常に幻想的で、しばし言葉を失った(年甲斐もなく、20才近くも離れた学生と競争で石段を駆け上り、疲れ切っていたせいもあったが…)。
この日の移動はすべて観光バスだったが、何度も雨に降られたりしたので一同疲労困憊し、早めにホテルへ帰着した。ぼくは、洞窟風呂で打ち寄せる波と頻りに変化する雲をみながら疲れをとり、再びレポート採点。学生たちは思い思いに楽しんだようだ。この日の夕食はやはりG君が探してくれた創作料理のお店で、美味しいマグロのカツに舌鼓を打った(ごちそうさま)。

最終日は終日移動。熊野参詣の紀伊路を電車で逆に辿りながら新大阪までゆき、新幹線で東京へ。朝起きると静岡で大地震とかで、台風のダブルパンチによる被害が心配されたが、G君の活躍もあってほとんど予定を遅れることなく帰宅することができた。車内ではレポートの採点を終え、急いで返事を書かねばならない抜刷を読み、また9月末に〆切のある論集の原稿執筆に必要な論文を幾つか読んだ。ぼくは自分のことしかしていなかったが、I君は、ゼミで読んでいる『中右記』熊野参詣記事に関わる景観を車窓から撮影してくれていた。最初に「ちゃんとみておけよ!」と案内すべきであったが、ここでも大失敗である。しかし、I君が撮った写真を早速ゼミのブログにアップしてくれたようなので、ほっと一安心。

とにかく今回のゼミ旅行は、ぼくの指導がゆきとどかなかったために、ゼミ長はじめ学生たちに多大な負担をかけてしまった。G君やI君をはじめとする参加者諸君の機転でなんとか予定を消化することができたが、ぼくは彼らに「引率されていった」ようなもので、反省すべきことばかりであった。申し訳ない。
しかし個人的には、伊勢や熊野の立地を鳥瞰的に確認して、山と水と神社の関わりをあらためて認識できたのがよかった。本宮の旧社殿が明治の大洪水で流れてしまったように(十津川の水害はこのときだったんだね)、社殿以前の祭祀場は、もっと水際の場所に位置していたのかも知れない。やはり、神は境界から立ち現れたのだろう。近年の水の祭祀の研究成果と併せ、各神社の原風景についてあらためて考察しなおさねばならない。

少々の慚愧の心を抱え、今日12日(水)は朝から大学の事務処理とお盆の檀家さん回り(9件)。昨日の今日で疲れが取れていないのか、あるいは最近の修行!不足のためか、正座で足にしびれが来るのが早かった…。くたくたである。『歴史評論』の初校も届き、まったく休む暇もない毎日が続く。
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学期末の日々

2009-08-03 04:38:00 | 生きる犬韜
先週から今週にかけては、もはや授業はなかったが、研究会や事務仕事で駆け回って過ごした。

29日(水)には、合間合間に書き上げた「歴史学とサブカルチャー」第7回を送信。今回は、お台場のガンダム立像から連想し、「おもちゃとしての戦争」について書いた。1年半続けてきたが、残すところあと1回である。最後はやはりジブリかな。
31日(金)は、まず学部時代の後輩で高校教師をやっているSさんが、上智史学科入学志望の女子生徒を連れて来訪。摂関期に関心があるという彼女は、素直で頑張り屋の印象であった。思わず怪しいネタばかり開陳してしまったが、ぜひ来年度、また顔を合わせることができたらと思う。Sさんの方は、かなり貫禄が出てきて、高校での歴史愛溢れる指導ぶりが想像できた。今度またゆっくり話をしたいものだ。その後は、自主ゼミの1年生を連れて四ッ谷の史跡を見学。ちょうどこの日は午前中まで雨がぱらついていて、前日までの猛暑が嘘のように涼しく、徒歩の散策にはちょうどよい陽気だった。清水谷公園から紀尾井坂、喰違見附、紀伊国坂、迎賓館(紀伊上屋敷)、鮫ヶ橋せきとめ神、若葉寺町、陽運寺・於岩稲荷と進み、最後は服部半蔵創建の西念寺へ(もはや定番)。お寺のご厚意で伝半蔵持物の槍をみせていただき、本堂左余間が江戸後期建立の旧華族邸から移築されたものであることも初めて伺った。本尊の阿弥陀如来については正式な調査が入っていないが、伝承では鎌倉期という。確かに、快慶の絵画的な阿弥陀の雰囲気を漂わせた、きれいな御像であった。2時間程度の散策だったが、学生たちも、それなりに楽しんでくれたようだ。田舎に行かなければフィールドワークができないわけではない。今後も、自分の足で歩いて歴史を探してもらいたい。

8月に入って、1日(土)は午前中に上代文学会シンポの打ち合わせ、午後に『日本書紀』を読む会の例会。まずは東大駒場へ出かけ、瀬間正之さん、品田悦一さん、曽根正人さん、飯泉健司さんと合流。昼食を摂りながらそれぞれの報告の内容、全体の段取り、シンポまでのスケジュールについて相談した。その後は、仏教史研究の最新情報について意見交換。瀬間さんから、度重なる木簡の出現で、百済仏教の具体相が明らかになりつつあることを伺った。王興寺以外にも様々な展開がある。文献学的にも新たな発見が認められるので、今後注目しておかねばならないだろう。
午後は成城大学に会場を移し、大山誠一さんをはじめとするメンバーと合流。今回は20人余りとなる盛況だった。報告は野見山由佳さんによる『法隆寺縁起并流記資財帳』の史料批判、原口耕一郎氏による『日本書紀』出典研究の動向紹介、大山さんによる『書紀』成立過程のラフスケッチ。原口さんの報告の中心は、最近、思想史研究の世界で注目を集める池田昌広氏の紹介が中心。ぼくも注目しているのだが、どうも『華林遍略』の議論には危うさを感じる。実体の分からない同書の『書紀』援用の可能性について、その枠組みをほぼ受け継いでいる『太平御覧』を手がかりに主張するのだが、だとしたら『御覧』のオリジナリティとは何なのか。厖大な異本・抄本が生産される漢籍の世界のなかで、200巻以上のボリュームの相違がある同書の均質を前提に、一字一句の異同を論じる出典論へ応用するのは難しいのではないか。こちらとしては、むしろ、『華林遍略』の成立過程そのものに関心がある。陶弘景といい『経律異相』といい、やはり梁武帝の周辺は面白そうだ。

2日(日)は、大学の先輩であるTさんの結婚式に参列。Tさんは、ぼくが入学したとき博士課程にいらっしゃって、古代史研究のイロハを教えてくれた師匠に等しい人である。花嫁は一回りも年下の美人、しかも大病を患った後の幸せということで、喜びも一入だろう。めでたい。
披露宴終了後は、久しぶりにお会いした木村茂光先生、戸川点さんと軽く一杯。近況や、現在の関心などについて歓談した。昨日もそうだったが、遙か先達の方々の戦いぶりを目の当たりにすると、自分の不甲斐なさが際立ち、やる気も出てくる。それはそうと、韓国の扶余周辺は、ロッテが資本を投下し歴史テーマパークのようになっているという。復原しようにも史料は残っていないので、参考にしたのはなんと平城宮とか。きっと歴史ドラマの撮影にも使うのだろう。

3日(月)は朝から、オープン・キャンパスで受験生の個人相談。ときおり高校1年生や2年生も、母親と一緒に訪ねてくる。自分は同じ頃、大学への進学について真面目に考えていただろうか。熱心なことだと思う。大学全体でもけっこうな人出であったようだ。相談事は、試験の傾向と対策、入学してから自分の興味に沿った勉強ができるかどうかが中心。それなりに日本史志願者もいて、平安時代に関心があるという子もいた。
午後は春学期の残務処理を終え、家で仕事をするための大量の書類を鞄に詰めて、帰国中の水口幹記君と会うため新宿へ。東口の駅至近にあるwazaに入り、ノンアルコールカクテルとチーズフォンデュを堪能しながら近況を報告しあった。来年度以降の嬉しい話と衝撃的な話の2つを聞かされ混乱したが、その後面影屋珈琲店に場所を移し、現在の研究関心などについても意見交換した。うーむ。人生いろいろである。

さて、どうにかこうにか一応は夏期休暇となった。レポートの採点もあるし、20日以降は度々出勤も必要だが、原稿執筆に励まねばなるまい。すぐにも提出せねばならない論文が1本、8月〆切の論文が1本・書評が1本、〆切を過ぎた書評が2本ある。この先、11月に論文1本、来年3月に論文3本が控えているので、遅らせることはできない。何とかがんばろう。

※ 写真はここ1週間の電車のお供。やはり、様々な思考のヒントをくれる優れた物語である。
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