仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

ありふれた一週間の日記

2009-04-26 05:08:12 | 生きる犬韜
22日(水)には、輪講「歴史学をめぐる諸問題」が本格的にスタート。先週は、ぼくが基礎概念と日本史の事例をガイダンス的に話したが、これからは西洋史・東洋史・日本史の順で、特別にお願いした非常勤の先生方の講義となる。トップバッターは、上智の1年後輩の北村直昭君。長野清泉女学院高校に勤める俊才で、ベルギー、ローマに留学し、西洋中世の書物・読書の歴史を極めた。彼の講義を聴くことは、ぼくにとっても大変勉強になる。学生と一緒になってメモを取った。
そのあとは学科会議を経て、修士論文指導。この日は、近く中国で講演予定という坂野先生の五四運動をめぐるお話を伺った。階層を超えたソシアビリテを形成したこの運動は、現代の中国人にも(よく内容は分からないものの)「いいものだった」というプラスの記憶として受け継がれているという。歴史と記憶の問題だ。

23日(木)は、豊田地区センターで生涯学習の講義を終えた後(本の準備のために秦氏を扱うことにした。秦氏を通して古代社会全体を見渡す内容にしたい)、会議のために出勤。例の如く21:30まで研究室で特講の準備、帰りに神田駅近くの書店で新発売の北方謙三『楊令伝』第9巻を購入。ついに童貫元帥が斃れた。『水滸伝』開始からの長い年月を考えると、主人公の楊令同様に感慨深い。合掌。それはそうと、SMAPの草彅剛の逮捕報道が大いに話題になっている。恐らく麻薬や覚醒剤の常習を疑っての逮捕・家宅捜索で、通常なら保護で済んだところだろう。もちろん酔っぱらって裸で騒ぐなどあってはならないことだが、何か引っかかるものを感じる。

24日(金)は、特講と院ゼミ。院ゼミでは、院生たちの発表準備の時間を稼ぐため、納西族の祭署に関する問題提起を行った。骨卜の分析、殷代や日本の事例との比較も含め、やるべきことはたくさんあるが、なかなか取り組めないのが実状だ。1日が48時間あったらなあ。授業終了後は、院生や他の参加者とお茶を飲みながら歓談。進学希望の4年生I君に、研究者への道がいかに厳しいかをこんこんと説明。当然、こうした話題には修士1年生も関心があるようで、自分のこれまでの学界での立ち回りようを思い出しながら話した。昨今話題の『断る力』とは対照的に、依頼されたことは極力断らずにやってきたこと。それが信頼ある人間関係を紡ぎ(いや、一部には信頼されていないな)、原稿や非常勤の依頼に繋がったこと。おかげさまでというべきか、ぼくは学術雑誌にほとんど投稿したことがないままここまで来てしまった。依頼原稿は、まったく途切れることなく続き、常に3~6つくらいの〆切を抱えて生きている。シンポのパネリストも毎年のように務めている。しかし、こんなことは多分なかなかないだろう。若手の参考にはなるまい。大妻の深澤瞳さんにも苦労話を伺った。中学・高校でも非常勤をしている深澤さんは、ふだんは極めて「文学少女」らしい、清楚で温和しい人なのだが、中学生相手に爆発することもあるのだという。確かに、怒ったらとてつもなく怖い人なのかも知れない。

25日(土)は、自坊の永代経法要。大学の専任になってからはなかなか法務も手伝えないが、今日は休日に当たっていてよかった。朝から本堂の装飾や玄関の掃除などをこなし、午後は法衣を着用して法要に参加した。あいにくの雨模様だったが、100人近い参拝があり、ご法中(同じ組内の諸僧)も20人以上参加してくださった。久しぶりに行事鐘(行事の開始を告げる鐘で、打ち方・打ち数に作法がある。これが鳴っている間に諸僧が入堂し着座する)を担当したが、腕が鈍ったなあ。細かい表現がうまくいかなくなっている。ちょっと練習しないとだめか。
夜は、来週水曜の自主ゼミ(基礎ゼミ)の準備。今度はノートの取り方の説明で、昨今の学生のことをあれこれ考えながらレジュメを作成した。井上先生に教えていただいた、太田あや著『東大合格生のノートはどうして美しいのか?』も参考になった。当日は実践例を紹介し、模擬講義をして、実際にノートを取ってもらう。作業の結果はこちらで添削し、次回までに返却する形式だ。しかし、90分で講義・演習を行うには、ちょっと情報量が多すぎるか。前日にもう少し考えてみよう……そう思ってファイルを保存すると、カーテンの向こうが明るくなってきた。もう夜明け。今日も徹夜であった。ちょっと休んだら、「日本史概説」の質問回答ブログの更新と、依頼原稿の執筆、それからプレゼミ・ゼミの準備もしなきゃな(今週は、学生に代わってぼくが報告するので)。いよいよ新型インフルエンザの問題も深刻化してきたようで、心配は尽きない。
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ネタ切れ

2009-04-22 22:41:36 | 生きる犬韜
さて、新学期も波に乗ってきた。委員会仕事ももろもろ始まり、時間的にいっぱいいっぱいの毎日が続く。6月、7月と、忙しさは加速度的に増してゆくので、気を引き締めているところである。とにかく、がんばろう。

今日22日(水)は、「歴史学をめぐる諸問題」のコーディネーターとしての仕事に、学科会議、修士論文演習。合間合間に上智史学関連の事務をこなしていると、昼過ぎに1本の電話がかかってきた。J文学会で秋に仏教のシンポを行うので、パネリストとして参加してもらえないかという要請だった。J文学会は敷居が高いが、声をかけていただけるのは光栄なことだし、お世話になっている人も多いので断れない。日程を確認するとギリギリ空いているので(前後は埋まっている)、ありがたくお引き受けした。これで、古代文学会・物語研究会・J文学会と、古代の主要な文学関係学会すべてでパネリストを務めることになる(日本史研究会でも、史学会でも、歴史学研究会でも発表していないのに。ぼくは何学者なんだ?)。しかし、7月の古代文学会シンポでさえ未だネタが定まらないというのに、今度は何を報告すればいいのだろう。やっぱり観想行か。聞くところによると、司会から何からもの凄くコアなメンバーなので、生半可な内容にはしたくない(できない)。8月にゆっくり考えよう。ただし、秋か来春に、近代的学問の成り立ちをめぐるシンポジウムへ参加しないかという打診も受けている。こちらは近代史学の方法論を批判的に検討する役回りなのだが、依頼原稿のことも考えると、準備にあまり時間的余裕がない。やっぱり仕事引き受けすぎか…。

写真は、最近の通勤・帰宅車中のお供。ディズニーランドのホーンテッドマンションに至る幽霊屋敷の成立史で、なかなか面白い。そういえば、昨年練り上げた紀尾井ホール周辺の幽霊屋敷ネタ、どこかで活字にしたいな。

※ 追伸。上記J文学会のシンポは、発表者S根さん・M尾さん・北條、司会S間さんということになりました。なんだろう、このメンバーは。まるっきり手を抜けないぞ。
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研究室リニューアル

2009-04-20 17:40:49 | 生きる犬韜

リニューアルといっても、単に清掃・整理をして、新しいのれん・手ぬぐいを仕入れ飾っただけなのだが。それでも、ずいぶん明るく、きれいになったように感じる。どうだろうか。
のれんは、浅草のべんがらから仕入れたもの。猫が寝たり起きたり遊んだりしているデザインで、とても気に入っている。材質は麻で、これからの季節は涼しげでよい。
手ぬぐいは、もともとあった3枚と同じく、京都の永楽屋で見つけたもの。春らしい藤と桜の花柄模様と、インパクトのある燕のアップ。すべて昭和初期のデザインで、やはりかっこよい。燕は魔除けにもなりそうである(ちなみに、向かいの本棚には「ねこじゃねこじゃ」を踊る猫の手ぬぐいが垂れていて、睨み合っているという噂もある)。

ところで、魔除けといえば、研究室へ入ってきたロッカーのうえに、五大明王・四天王・金剛力士を鎮座させた。予備軍として、メソポタミアやエジプト神話の神々も控えている。邪なものは退散せよ。
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春のもろもろ

2009-04-19 19:10:06 | 生きる犬韜
17日(金)は、午前中、宮内庁楽部で行われた天皇成婚50周年の春季雅楽特別演奏会に参加した(天皇さん一家のための演奏会は午後に行われたようで、報道もされた。午前中は一般向けのもので、予行演習の意味もあるのかも知れない)。チケットは、妻が書陵部→史料編纂所のルートで入手してくれたもの。我々は二人とも天皇制を相対化する立場にあるのだが、雅楽は好きだし、書陵部はともかく楽部に行けることは滅多にないので、ほくほく出かけていったわけである。いつもは通ることのない大手門を入り、簡単な身分確認とセキュリティ・チェックを受けて、江戸城の見事な石垣に感嘆しつつ、これも年季の入った楽部の建物に到着。招待状で招かれたり、抽選で当たったりした一般客でぎゅうぎゅう詰めの会場だが、やはり何かしら趣がある。演題は舞楽の「太平楽」と「八仙」。演奏はやはり最高峰で、最初の一音からその技巧の高さが分かる。「太平楽」は文の舞「萬歳楽」に対する武の舞で、やはり天下太平を祈願し言祝ぐもの。黄金色に輝く甲冑を身につけ、鉾と太刀を持った4人の舞手が務める(ここに写真があるので参照してください)。前列向かって左にあった二の舞手が素晴らしく、無駄のない滑らかな動き、流れるような所作に惚れ惚れした。「八仙」は、帝王の徳に感化された崑崙の仙人が来朝して舞うものという。嘴の先に鈴の付いた鶴の面をかぶり、鯉の刺繍に網のかけられたユニークな袍をまとった舞手が、緩やかに涼しげに務める。目と耳のこのうえないの保養であった。

終了後は、新マルビルの地下で妻と昼食を摂り、ぼくは特講と院ゼミのため大学へ。特講では秦氏の歴史を再検討する予定で、これを契機に年内に本にまとめ、雄山閣への義務を果たさねばならないと思っている。院ゼミの方は、『法苑珠林』を読む会をリニューアルして続行。今期から大妻の深澤瞳さんが加わってくださったので、早速報告もお願いした。

18日(土)は、史学科・上智史学会共催の「新入生歓迎学術講演会・懇親会」。講演は昨年度サバティカルを取られていた児嶋由枝先生で、題目は「ロマネスク美術に見る「マギの礼拝」と神聖ローマ皇帝権」。皇帝の神聖な権威を創出するために『聖書』のモチーフが利用されてゆくというお話で、とくに、最近熊野の文章を書いていたこともあり、聖櫃の礼拝が三博士のそれに準えて行われており、権威の昂揚に繋がったのではないかという推測が興味深かった。熊野にしても伊勢にしても、畿内中心からだと急峻な山地を越えてゆかねばならない位置にある。ゆえに参詣にはそれなりの困難が伴うが、だからこそその達成には相応の霊験が期待される。3月に提出した文章には、「巡礼は、まずその先に聖地の存在することが前提になっているが、むしろ、巡礼行為自体が聖地を出現させるのではないか」というようなことを書いたのだが、どうだろうか。
新入生無料の懇親会では、何人かの1年生と楽しく会話することができた。歴女のテンションには圧倒されるが、方法論懇話会の同志だった三浦宏文さんの教え子や、知人のいる国府台女子の出身者もいて、世間の狭さというか、機縁の不思議さを痛感した。毎年思うことだが、彼らの歴史への情熱を失わせないよう頑張らねばなるまい。
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動き出した、最初の1週間

2009-04-16 11:34:46 | 生きる犬韜
さて、オリキャン終了後からの1週間は、授業準備のための助走期間。原稿の手直しや執筆を続けつつ、研究室の整理・清掃、その他事務仕事をこなした。任に堪えない仕事で苦労した歴博の報告書も完成し、抜き刷りと併せて送られてきたが、ちょっと人にみせるのが恥ずかしい気がする(古代神祇信仰の「通史」を担当した)。もうすぐ、『物語研究』の論文「死者表象をめぐる想像力の臨界」、『王朝文学と交通』の概説「伊勢・熊野への道」、京都造形芸術大学教科書『地域学』の概説「鎮魂という営み」も刊行されるだろう。忙しいなか、この1年もなんとかがんばっていくばくかの業績(といえるか?)を残せた。よかった。

11日(土)は、古代文学会の例会に出席。7月の最終回にパネリストを務めることになっている連続シンポジウム「古代文学と場所(トポス)」の第1回である。テーマは「聖地のエクスタシー」で、報告者は山本ひろ子さん、増尾伸一郎さんという豪華さ。山本さんは湯立て神楽の儀礼的分析を中心に、神霊の顕現を幻視するしくみを明らかにし、増尾さんは、直線的変化(黄泉国から地獄/極楽へ)として表現されがちな列島の他界観が、地域によってより多様で豊かであり、重層・交錯しつつ現代に至っていることを示した。山本さんの報告には、いざなぎ流などにも出てくる「イメージのなかで神霊を巡礼させる」話が出て来たが、ぼくは、昨年早稲田のシンポでも報告したとおり、仏教の観相行と同根だと考えている。シャーマンの脱魂、雲南の指路系喪葬(シャーマンが死者を冥界へ送ってゆく)、僧侶の冥界訪問などは、観想の大きな枠組みのなかで結びついている。山本さんは、「巡礼の主体が違うので無関係」と否定されていたが、あれでは議論が広がらない気がする。増尾さんの最近のお仕事は〈現身往生〉がひとつのキーワードになっているが、親鸞の「現生正定聚」もこの方向で再考したい。本地が阿弥陀であるということだけで語られてきた真宗と熊野との繋がりも、まったく別の様相をみせるかも知れない。

東のエデン公式サイト13日(月)から講義が始まった。まだ1週目なので肩慣らしの話が続くが、それなりにフル・スロットルの準備はした。1年生は、人によってずいぶんテンションの相違があるようだが、おしなべて元気である(概説のリアクションで、「日本古代史に関心がある子もいますよ」と書いてくれた学生がいた。ほっと一安心)。水曜の自主ゼミにも、毎年の倍以上の20人近い人数が集まった。みな個性溢れるメンバーなのでそれなりに楽しそうだが、「このテンションについてゆくのはちょっとキツいかも」と、自分の年齢を意識してしまった。プレゼミ生は、まだなんとなく不安を抱えているようだ。初回に欠席した男子がいたので、ちょっと心配である。ゼミ生は、人数が多いこともあって熱気に溢れている。テキストは、結局『霊異記』と『中右記』熊野参詣記事の二本立てでゆくことにした。どんな報告をしてくれるか楽しみである。

さて、帰宅してからの息抜きであるテレビ。ドラマの方はまだラインナップが出揃っていないが、アニメーションの方は、気になっているものを概ねみた。続けてみる価値があるのは、今川泰宏が相変わらず暴走している『真マジンガー 衝撃!Z編』、世界最長のファンタジー『グインサーガ』、池上永一原作の『シャングリ・ラ』、『レッド・クリフ』に便乗してのアニメ化?『蒼天航路』monodoiさんもお薦めの『リストランテ・パラディーゾ』、神山健治の新作『東のエデン』もろさん注目『亡念のザムド』くらいだろうか。『鋼の錬金術師』は、ちょっと物語自体に新鮮味を失ってしまった。さて上記のうち、『グイン・サーガ』は作画の質に粗があり、演出にも未熟さが目立つ。ストーリーの枠組みはしっかりしているわけだから、今後波に乗れるかどうかが問題だろう。『パラディーゾ』は、「こ、困ります…」のセリフに爆笑してしまい、モモに対してよく使っている。三谷幸喜の『王様のレストラン』を想い出す幸福感がある。一番注目しているのは『エデン』と『ザムド』で、作画・演出・物語とも水準が高く、視聴者を突き放してレベルを引き上げてくれるところがよい。大いに期待したい。
そうそう、『歴史評論』の連載「歴史学とサブカルチャー」は、あと1回で終了の約束だったのだが、年内いっぱいまで書くことになった。最後はジブリにしようと思っていたが、あと2回、『蟲師』と『紅い眼鏡』でもやるか。あ、でも『ガンダム』やらなきゃいかんかな。
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日本古代史クライシス

2009-04-08 13:53:10 | 生きる犬韜
今年も真田堀の桜が満開になった。5日(日)の朝、新入生オリエンテーションキャンプに参加するために早朝四ッ谷に出てくると、風もない真田堀の道に森閑と桜が佇んでおり、時間が止まったかのような錯覚を覚えた。
さて、今年のオリキャンを支えるヘルパーさんたちはかなりしっかりしていて、こちらがほとんど指示を出す必要もなく、極めてスムーズに滞りなく日程を消化することができた。感謝である(帰りのバスのなか、ヘルパーの女子にかなりのアニメ・フリークを発見したのも面白かった)。しかし個人的にへこんだのは、日本史・東洋史・西洋史のゼミを説明する段階で、日本古代史をやりたいという学生が一人もいなかったこと。毎年少なくなってきているなあという印象はあったのだが、皆無というのは初めてだった。現実主義的問題から近現代史を選ぶという傾向は年々強まっているし、「レキジョ」をはじめとしてサブカルの世界も近世史が席巻しているので、古代の魅力をアピールするファクターが社会から消えつつあるのだろうか。史料編纂所で働いている妻から聞いたところによると、東大でも、今年駒場から進学してきた学生で古代史を選択したものはゼロだったという。どうやら上智だけの情況ではないようである。

7日(火)は、幾つか事務仕事を片付けるために出勤。今年も1年生の担任なので、時折履修登録のことで新入生が相談に来る(「東洋史と西洋史どちらを勉強するか迷っているんですが、第二外国語はどうしたらいいでしょう」みたいな質問ばかりなので、ちょっとテンションが下がる…)。そのうち、新旧のゼミ長や4年生が今年のゼミの運営や卒論のことで相談に来て、研究室はほとんどサークルの部室状態になってしまった。そこで、昨年度の卒業生でコーエーにシナリオライターとして就職したM君の話が出て、古代史をサブカル的に活性化するためにゲームの企画を立て、M君に提出しようなどという妄想話になる。タイトルはもちろん「平安無双」。遷都から治承寿永までの平安京を舞台に複数のシナリオを組み、古今無双の強者たちが活躍する。登場キャラクターは一般受けを考慮して、君主系として桓武天皇・一条天皇・後白河法皇、呪術師系として空海・空也・源信・安倍晴明、武士系として坂上田村麻呂・源頼光・源義家・平清盛・源義経、軍師(政治家)系として藤原良房・藤原実資・藤原道長・大江匡房、女性キャラとして中宮彰子・清少納言・紫式部・和泉式部、化物系として早良親王・菅原道真・平将門・酒呑童子、アマテラスとスサノオが隠しキャラ。これらが有名事件(応天門の変・承平天慶の乱・保元平治の乱など)や伝説(大江山の鬼退治など)をモチーフにした特定のシナリオにおいて、対立し合い、協力し合いながら闘ってゆく。例えば桓武が主人公のシナリオ「平安遷都決戦」では、槌音響く遷都以前の平安京が舞台。早良親王の祟りによって生み出された亡霊、遷都反対派の武力工作部隊らの妨害を排除しつつ、それらに恐怖した役民が逃亡するのを防いで造京を完成させる。桓武の必殺技は「軍事と造作」で、これを発動すると蝦夷征討軍から戦勝の報告がもたらされ、役民の造作意欲が向上して一定時間工事のスピードが上がる。ある程度造作が進むと早良自身の御霊が出現し大打撃を受けるが、蝦夷を征討した坂上田村麻呂が凱旋して味方に加わり、協力して御霊を鎮圧できれば遷都成功となる。あくまでファンタジーとして、多少の史実改変があっても構わないだろう(史学科教員の言葉として正しいのか?)。呪術師系の必殺技なんて妄想が爆発状態になるし(空也は口から6体の阿弥陀仏を吐いて自分を守護させる、源信は聖衆を召喚して敵を強制的に往生させてしまう)、将門の東国平定などの番外編、女性キャラの後宮における競演なども楽しい(モモは、対抗勢力の妨害を排除して自分の仕える后妃のもとへ天皇を連れてゆき、皇子を懐妊させるというシナリオがよいといっていた)。
まあ購買層のことを考えると現実的ではないが、いずれ戦国系はネタが切れるだろうから、未だ安倍晴明ブームの残り火がある現在、やっておくべきことがあるのではないだろうか(そういえば、かなりグロいが一種の名作ともいえる晴明ゲーム、『九怨』※1はどれくらい売れたのだろう?)。もうすぐ平城遷都1300年だし、せんとくんを隠しキャラにして、「平城無双」もできるかも(平安以上に売れないだろうな)。

※1 『九怨』は、安倍晴明と芦屋道満の壮絶淫靡な戦いを、太秦の「蚕の社」を舞台に描いたホラー・アドベンチャー。晴明は冷徹無比な女性として描かれる。もはや生産していないようで、amazonにはコンプリートガイドの写真しかなかった(間違いでした。まだ売っているようです。もろさんの指摘で訂正)。プレイしたい人は私まで。

ところで、先日〆切のあった「歴史学とサブカルチャー」第5回では、「オオカミが変えてゆく歴史叙述」と題して『神なるオオカミ』の問題を扱った(5月10日発売の『歴史評論』に掲載)。そこでも言及し、このブログでも時々語っているジャック・ロンドンの名作『白い牙』。先月、光文社から待望の新訳が刊行された。必見です。左は、昆明の空港で手に入れた『神なるオオカミ』の原書『狼図騰(オオカミ・トーテム)』。
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新学期スタート、のもろもろ

2009-04-04 01:41:54 | 生きる犬韜
1日(水)、早くも新学期が始まった。わが史学科では、今年、ちょうど70名の新入生を迎えた。昨年に続いて学科集会の司会を担当、ひとりひとりの氏名を読み上げていったが、やはり工夫を凝らした名前が多い(実は、毎年の、ちょっとした楽しみのひとつになっている)。今年は、1年生の担任、史学科の学内事務(『上智史学』の編集担当など)はそのままだが、全学の委員はかなり減った。なかでも最も重たいものが二つ残っているのだが、まあ昨年よりは時間が持てるかも知れない。…などとちょっと楽観視していたら、突如1年生の自主ゼミを担当するようご下命を受け、そのカリキュラムの作成に追われることになった。まあ、ちょうど初年次教育検討委員会でも文学部共通のカリキュラム案を作成中ではあるので、連動して考えれば一石二鳥である。7・5コマになるが何とかなるだろうと思っていると、その後、「北條先生の負担が重すぎるのでは」と同僚の先生方から声が挙がったとかで、分担制で進められる雰囲気になってきた。なんともありがたい職場である。

2日(木)は、昼から出勤して事務処理の後、夜は有楽町に出て映画をみてきた。前にも紹介した『ハルフウェイ』である。もう上映期間終了間近であったため、観客はほとんどいない状態。少し心配だったが安心して鑑賞できた。やはり岩井俊二節爆発の演出で、芝居っ気がほとんどない(ある意味では俳優がお互いの出方を探っているようなところもあって、緊張感も垣間見える)。受験・卒業を控えた高校生のありふれた日常、ありふれた悩みを、キラキラと描き出していた。ふだんはキャラの立っている大沢たかおや成宮寛貴も、自然な演技で好印象。それにしてもこの世界では、学校の先生=大人がちゃんと生徒=子供に信頼され、未来を生きてゆくために有効なサジェスチョンを与えている(それも暑苦しくなく、あくまで自然にである)。見習わなければいけないところだ。ぼくもまだまだ〈ハルフウェイ〉である。

校務の余った時間、自宅では、論文執筆と送られてくる校正の処理に追われている。左の本は、昨年雲南の調査でお世話になった遠藤耕太郎さんの新刊『古代の歌』。雲南の少数民族の歌垣から古代の歌の始原、ありようを考察した大部な書物である。イ族の葬儀の様子を記録したDVDは圧巻。死者忌避を考えるうえでも極めて重要だ。
13日(月)の授業開始までにどれだけ研究ができるかな。何人もの先生方が、それまで休暇を取ってどこぞへお出かけになるらしい。ぼくは2月に出張で京都へ行ったきりなので、まったくうらやましい限りだ。GWには温泉にでも行こうか(行けるか?)。
それから話は変わるが、テレビやネットでも報道されているミツバチの大量死、大量失踪の問題が気になる。純粋社会にもストレスがあるらしい。とくに、ビニールハウス内などの特殊環境で活動させられる場合は、かなりの肉体的・精神的負荷がかかるという。その負荷とは、個体に対するものなのか、社会に対するものなのか。なんとなく、正月にNHKで特集放送していた、「人類が種の保存のために選び取った男女の交渉の方法ゆえに、競争力を失った男性が滅びてゆく」というテーゼを思い出した。
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