仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

ストレス

2009-05-24 13:46:16 | 生きる犬韜
今週は、通常の授業のほかに、先週から引き続きの「人間の尊厳の再検討」の2回目、発表者が少ないため自分も輪読に加わっている院ゼミの報告があったので、やはり2時間睡眠の日が続いた。責任者を務めるプロジェクトが難航しているので、大学での空いている時間はその調整に飛び回っているし、その他もろもろ行事もあったので余計である。春学期も半ばに差しかかり、少々ストレスと疲労が溜まってきた感じだ。贅沢な話だが、時折、「普通のお坊さんに戻りたい」と思うこともあった。やらなければならないことがたくさんあると、とうぜん時間的問題から処理できない案件も生じてきて、そのこと自体がまたストレスとなって積み重なってゆくのだ。
はっきりいって、学期が始まると原稿など書く時間はほとんど確保できない。すでに1本の論文、2本の書評の〆切を破ってしまっているが、8月末にさらに1本の論文、1本の書評を提出できなくなることは確実である。10月の秋学期開始の時点でどれだけ脱稿できているだろうか。専任の研究者のなかには、それでも多くの著作を生み出す人々がいるが、どういう1日を送っているのか不思議である。ま、ぼくの時間の使い方が悪いだけかも知れないのだが。
もうすぐ、古代文学会シンポの構想を提出しなければならないが、ゆっくり問題を考える時間が取れない。首都大オープン・ユニバーシティの講座も始まるけれど、6~7月はいま以上に忙しくなることが分かっているので、どうスケジュールをやりくりするかが課題である。とにかく、なんとか頑張らねばなるまい(…また、誰も読みたくない愚痴を書いてしまったなあ)。

それでも授業の準備は、自分の研究に関わってくるので知的刺激はある(要は、もっとゆっくり時間をかけて考えたいということだ)。とくに、院ゼミの『法苑珠林』輪読は重要だ。充分な調査・考察ができなかったのだが、今回は『太平広記』にも収録されている『冥祥記』の逸文、「宋司馬文宣」を扱った。六道篇の鬼神部に入ってきたので、述意部~舎宅部までの概説も併せて行ったのだが、道宣が、やはり注意されるのは仏教的には「餓鬼道」に相当するこの鬼神部へ、中国の鬼神すべてを包括しようとしている点である。すなわち、この部分こそが神仏習合のフィールド、フロントラインとなっているのだ。立論の基本には『阿毘達磨大毘婆沙論』があるが、餓鬼を有威徳と無威徳に分けて、睡虎地『日書』詰篇に出てくるような〓(厂+萬)鬼を後者に、泰山府君などの高位の神格を前者に位置づけ、いずれも輪廻の枠組みのなかに捕捉する。以前にも論文で指摘したことのある、神身離脱説と同様の論理である。「司馬文宣」の物語は、食事を渇望する餓鬼のイメージ(すでに戦国期の〓(厂+萬)鬼に同じイメージがある)に、死すべき者を冥界へ連行する死神のイメージが重なったものだが、餓鬼が前世の悪業を吐露する部分など、神身離脱説とまったく同型なのである(やはりまた、〈説話の可能態〉を強く意識する結果となった)。登場人物でもある霊味寺僧含の主要著作『神不滅論』を立証するような内容となっているのも、慧遠の『三報論』に基づく宮亭湖の廟神解脱譚と類似している。畏怖すべき中村裕一氏の『中国古代の年中行事』が13世紀に想定する東岳大帝の生誕日信仰を、大幅に遡らせうる材料もみつかった。あまり議論が活発化しなかったのが残念だが、やはり院ゼミは勉強になってよい。

来週は、初年次ゼミも豊田地区センターの講義もある。また徹夜続きになりそうだが、なんとか乗り切ろう。

※ 写真は、先日東方書店で買った東洋史の新刊。菊地章太さんは、以前『環境と心性の文化史』へ寄稿していただいたことがあるが、実はまだお目にかかったことがない。「詰」篇から『女青鬼律』への〓(厂+萬)鬼観の変化など考えてみたいな、といろいろ刺激を受けた。『孫子』については、以前『六韜』『三略』『素書』を囓った経験からずっと注目はしている。とくに、兵法は日本史では研究蓄積が薄いので、思想史・文化史の対象としてきちんと扱わねばならないと思っている。しかし、学会発表等で扱って放りっぱなしになっているネタのなんと多いことか。もったいないにもほどがある。でも、最近はシンポで話すことが多くなっているので、無理をしてでも活字化する羽目に陥っている。余裕なくまとめているのが問題だが、勉強したことが必ず活字なるという点ではよいのかも知れない。
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ミツバチから草木成仏まで

2009-05-17 01:12:43 | 議論の豹韜
さて、今週は忙しかった。何せ、日の出をみなかった日が木曜日だけだ。月・火・水・金・土とほとんど徹夜で、平均2時間しか寝ていない。いつものカリキュラムに加えて、文学部共通科目の輪講「人間の尊厳の再検討」が増え、隔週の自主ゼミ、自坊の仏教文化講座などがあったためで、責任者を務める学内プロジェクトで東奔西走していたせいもあるだろう。ゼミの新歓コンパや上智史学会の例会にも出たし、そんなに忙しいにもかかわらず『レッドクリフ part II』まで観に行った。ふー。よく頑張ったものである。

そうした1週間のうち、何曜だったか、NHK総合の「視点・論点」で青山学院大学の福岡伸一氏を初めてみた。かなり特徴的なひとであったが、言っていることは大変まともであった。その要約はまだホームページにアップされていないが、上に並べたジェイコブセン『ハチはなぜ大量死したのか』の解説、幾つかの著書で同じ主張が繰り返されている。要は、人間の文明が自然界の精妙な動的平衡を侵犯することで、様々な弊害が起きつつあることへの警告である。最近の主要トピックはCCD(蜂群崩壊症候群、Colony Collapse Disorder)であり、花や果実の栽培のために効率的に受粉を行うため、品種改良が重ねられた結果単一のDNAに近づいてきたハチたちの脆弱さ、自然の力を借りることで一見エコロジカルにみえるこうした農業のいびつな現実が語られる。氏がこれと同様の事例として持ち出すのが狂牛病で、本来は草食であるウシたちを、人間が効率性の名のもとに「肉食動物にしてしまった」のが問題の元凶であるという。「この狂牛病をなくすにはどうしたらよいか。ある人が私に語ってくれた。『牛を普通に育てればよい』」。頷けるところの多い主張なのだが、しかし待てよ、この見解はレヴィ=ストロースが狂牛病流行の際に発表した論考と同内容なんじゃないか? 福岡氏の著書の文献リストにはないようだが、違う道をたどって同じ結論(というより表現)に至ったのだろうか(「草食動物であるウシに共食いを強いた」というレヴィ師の舌鋒の方が、さすがに鋭いが)。そのあたりが何となく気になった。

「尊厳」の授業は、インド仏教から日本仏教に至る草木成仏論の概説。昨年、文学部の共同研究で行った報告を見直し、学生用に資料を再構成して臨んだ。仏の加持力が器世間にもたらす影響の論理的帰結として非情成仏を説く中国仏教に対し、日本天台は、草木が自ら発心・修行・成仏するという特異な教説を展開してゆく。その背景には、確かに中国人と日本人の自然観、樹木に対する感覚の相違があるようなのだが、当初、草木発心修行成仏説が日本天台のなかでさえ一般化しなかったことを考えると、そういう単純な括りでは充分な説明を与えることができない。結論としては、木津氏出身で草木成仏論の護持者に祀りあげられてゆく良源を引き合いに出し、樹木伐採という行為との身近さがポイントになるという展望を示したが、もちろん未だきちんと実証しえたとはいいがたい。古代~近世の比叡山周辺で恒常的に伐採が繰り返され、幕末期などほとんどはげ山状態になっていたことは確認できるのだが、草木成仏論・天台本覚論の浸透と里山=草山説などとを絡み合わせてゆくと極めて壮大な話になってくる。中国の仏教聖地の自然環境、資源利用のあり方との厳密な比較も必要だろう。まだまだ研究すべきことは多い。

院ゼミの『法苑珠林』感応縁輪読は東洋史の松浦さんによる発表。『大唐西域記』に出典のある阿修羅窟のエピソードだが、玄奘が帰国した頃の隋唐仏教の混沌とした様子がかなり豊かにみえてきた。毎週新しい発見、知的刺激がある。松浦さんに感謝。

なお、今週は拙稿「伊勢・熊野への道」が収録された竹林舎『王朝文学と交通』が刊行された。しかし、この出版社の本はいつもながら高い。内容は充実しているのだけど。また金曜には、もろさんや後藤真さんの編・執筆になる『情報歴史学入門』(金寿堂出版)も送っていただいた(ちゃんと御礼状書きます)。初年次教育の書物としても面白いので、早速1年生の自主ゼミで紹介したい。もろさんのコラムで、思いがけない形で名前が出て来たときには驚いたけれど。
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今年注目すべきひと

2009-05-09 10:24:03 | 議論の豹韜
昨日、8日(金)は特講と院ゼミ。院ゼミは、今年からマスターに上がった早藤さんの報告で、『法苑珠林』六道篇/阿修羅部の感応縁に入った。インドの阿修羅窟に関する伝説だが、これが山中の神仙境と描かれていて興味深い。恐らくインドや西域では、本来、「他界に赴いて不死を手に入れようとして失敗する」神話として語られていたものなのだろう。その点で日本の黄泉国神話とも比較できるし、要素的にもヨモツヘグイや桃の神聖視がみられ、漢文テクストとして直接的な影響を与えた可能性もある。阿修羅窟も観相行などと関係ありそうなので要チェックだ。そして、最も注目したいのが、物語の典拠である『西国志』という書物と、これを道世に語った王玄策という人物の存在である。王玄策は、3度も天竺へ至ったという唐の使者で、田中芳樹に彼を主人公にした小説があるにも拘わらず、充分研究がなされているとはいいがたい。国会図書館NDL-OPACで検索しても専論がなく、東洋学文献類目では中文が7件ほどヒットする程度である。京大人文研で研究プロジェクトが存在したらしいが、報告書の発刊が待たれるところだ(すでに研究文献目録は公開)。西域との交通をめぐってはいろいろ言及があるはずだが、思想史アプローチはまだまだこれからだろう。一方の『西国志』は玄奘と王玄策の情報から編まれた勅撰の書物で、『法苑珠林』内に何度か引用されているにもかかわらず、やはりほとんど研究がない。玄策が帰国したのは道宣や道世の活躍した時期とちょうど重なり、『西国志』が編纂される麟徳元年(『珠林』には3年とあるが、元年の誤りではないか)は、『集神州三宝感通録』や『道宣律師感通録』が書かれた時期に一致する。彼のもたらした西域情報による空前の天竺ブームが、道宣や道世の活動に影響を与えていることはまず間違いない。
今年、いろいろ調べてみたい人物である。情報をくれた早藤さんに感謝。それから、この日は初めて藤本誠君が顔を出してくれた。忙しいのにありがたいことだ。感応縁の注釈を『上智史学』に発表しようというアイディアも出た。自分の首を絞めるようだが、やはり、ゼミの活動を何らかの形に残しておくというのは重要かも知れない。

帰宅後、夕食を摂りながら、録画しておいた『東京タワー』を観た。いい映画であった。樹木希林もよいが、小林薫のオトンがとくによい。しかし、親というのは切ない存在だ。ぼくの仕事も、ある意味では、ぼくを「ぼく」にしてくれた人たちの存在を何かに刻みつけるためにある。あとどれだけ、刻みつけることができるかな。

※ 写真は、昨年の調査で赴いた、雲南省鶴慶にある仏教・道教の習合した聖地「青玄洞」。湧水点で、龍神やら三皇やら観音やらがわらわら祀られている。チベット族は、青玄洞の奥に入って石を持ち帰り、薬として用いるのだという。阿修羅窟もこんな感じだろうか。上記の阿修羅は、必ずしも多手多面ではないだろうが、そういう異形がひしめいている穴というのは、なんとなくヒルコの古墳を想像させる。阿修羅って、上下逆にするとなんか別の生き物みたいにみえるんだよね。それが塚本晋也版『妖怪ハンター』のヒルコっぽいなと。
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まずは、謝っておこう

2009-05-05 03:49:21 | 生きる犬韜
真夜中から夜明けにかけて仕事をしていると、時々、今している作業が永久に終わらないんじゃないかと弱気になることがある。あれもやらねば、これもやらねばと考えていると、だんだん気が遠くなってくるのだ。それでも、一方では「どれを先にやる必要があり、どれを後回しにできるか」と冷静に判断して、その時点で甘えられるところに甘え、甘えられないところに義理を果たしている。まったく、ある意味では非常にいやらしい。しかし、ぼくにもキャパシティの限界があるので、そこは勘弁していただきたい。
現在いちばん後回しになっているのは、ゼミのホームページのリニューアル作業と、上智史学会のホームページのコンプリート作業である。後者はあまり甘えられないので、学生会員かRAに移管すべきかも知れない。前者はやり始めれば1日で終わりそうなのだが、その時間を確保する精神的余裕がないのだ。つまり、現役ゼミ生と、とくに卒業生に最も甘えてしまっているわけである(教員としては最低か?)。許せ。
原稿では、書評3本が後回しになっている。夏休みにすべて終わらせるつもりではいるが、現時点で勤務校の仕事により8月がほとんど潰れてしまうことが判明しており、他にも8月末〆切の論集の原稿があるので、もはや遂行は難しい雲行きになってきている。秦氏の書き下ろしの本も、骨格自体は作り始めているのだが、やはり1日数行でも書き進めていかないと上梓の日は来そうもない。7月、11月と、さらに12月にもシンポが入ってきそうなので、秋学期もかなりキツいスケジュールだ。数日前に、「依頼を受けたことは極力断らずにやってきた」と恰好のいいことを書いたが、その結果がこの為体である。

というわけで、関係の皆さん、今後いろいろご迷惑をおかけすることと思いますが、どうか予めご容赦ください。新緑の銀杏でもご覧になって、お怒りをお鎮めくださいませ。

ところで、前回も言及した2日(土)の古代文学会シンポの件。岡部さんがぼくの質問に触れてくださっているが、やはり神聖性の出所が問題である。コトバですべてを表すことができないのは承知のうえだが、その言明は、言語論的転回の議論を何らかの形で乗り越えたものでなければ意味がない(例えばそれは、言語論的的転回は問題設定自体が間違っていたのだ、という見解でもいいわけだ。説得的なら)。話が少々横道へそれるが、近年のモノ=実体へ注目する人文学の傾向は、そのあたりの思索がどうも安易な気がしてならない。以前に『国文学 解釈と教材の研究』の論文でも指摘したように、言語の外部性をブラックボックスへ丸投げした印象が強いのだ。みんな、そんなに実体論だったのか? 世界を関係の網の目として認識しているんじゃないのか? テクストとか表象とかいう言葉を使いながら、今さら言語や認識論を介在させずにモノを語るのはよしてほしい。今回のシンポの報告も、やはりこのあたりから始めなければならないか。厄介だな。
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新作出ました。が…

2009-05-02 23:01:33 | 議論の豹韜
さて、ようやく昨年度下半期に書いた(もしくは校正した)原稿が活字になり出した。まずは「古代の神仏信仰」(『国立歴史民俗博物館研究報告』148)。何年もかかった共同研究「神仏信仰に関する通史的研究」に寄稿したもので、末尾にも書いてあるとおり、任に堪えない「古代神祇信仰の通史」を引き受けてしまい悪戦苦闘した論文である。歴史叙述のうち最もポピュラーでありながら、そのくせ最も恣意的で物語的傾向の強いのが通史だ。そのあり方についてはかつて方法論懇話会で議論したことがあるが、自分なりの方法論を構築する前に、もう2つも通史を書いてしまった(1作目は、「渡来人と宗教文化の形成」)。理論的枠組みがまったくできておらず、恥ずかしい限りである。乞うご批判。
もうひとつは、物語研究会のシンポジウム「亡霊とエクリチュール」で行った報告の論文化、「死者表象における想像力の臨界―祭祀を求める者は誰か―」(『物語研究』9)。無謀にも、古代中国の睡虎地日書「詰」篇を主要資料に、究極の他者である死者に対し、我々は回収でも排除でもない態度をとりうるのかを論じたもの(結局、工藤元男さんや池澤優さんの研究におんぶにだっこになってしまったが)。ぼくはモノケンの会員ではないが、雑誌『物語研究』の成果や、所属するラディカルな論者の方々にはずいぶんと影響を受けてきた。それだけにシンポに呼んでいただいたときは嬉しく、また恐ろしかったが、学恩を少しでもお返しできたかどうか不安でならない。しかも残念なことに、この論文、幾つかミスプリがある。なぜか校正が初校しか行われず、その際にかなりの訂正を行ったまま責了になってしまったために、こちらのアカが正確に反映されていないのである。また、英文要旨に至っては初校さえなく、急いでざっと書いたままのメモ的なものになってしまった(よってずいぶん直していただいたようなのだが、恐らくその際に訂正案として付していただいたのであろう単語が、()に括られて文中に挿入されているのである。これは体裁としてどうなのだろう? FAXかメールででも訊いていただければよかったのに)。確か1月には提出したのだから、何とか再校、せめて初校がちゃんと直っているかどうかだけでも確認させてほしかった。でも、もともとの〆切が11月だったからなあ。自業自得か(訂正はこちらにアップします)。こちらも乞うご批判。そうそう、何か文句をつけているようで大変申し訳ないのだが、この第9号、一柳さん・樋口さん・西野さん・ぼくの参加したミニ・シンポジウムがどんなものであったか、まったく記録がないのだ(西野さんの文章の注に簡単な言及あり)。コーディネーターである高木信さんの趣旨説明も載っていない。何か編集上の混乱があったのだろうか。特集名の「古典(学/知/教育)」とはまったく毛色の違った論文が並んでいるので、シンポの存在を知らない人には何のことか分からないと思うのだが。

ところで。今日2日(土)は、古代文学会連続シンポジウムの第2回目。新川登亀男さんと山下久夫さんの報告で、未だ自分の報告の構想がまったくまとまらないこともあり、議論の流れを掴み知的刺激を受けるために参加した。モノや空間への新たな意味づけによる世界表象の再編が扱われていたが、やはり、聖地なるものの神聖性がどのようにして出現するのかが腑に落ちない。宗教学の大命題でもあり容易に解答が得られる問題ではないが、そのあたりは、やはり自分自身で取り組まねばならないのだろう。会場では、久しぶりにenjunさんとも話ができたのでよかった(4年ぶり?)。増尾さんとは、ぼくらの議論がJ代文学会でウケるわけないよ、と首を傾げた。うーむ。

※ 上記『物語研究』掲載論文の訂正部分
p.21-l.23 「…為桑丈…」の「為」は旧字体
p.30注(34) 「「日本霊異記」」→「『日本霊異記』」
p.30注(36) 「属鬼」→「〓(雁垂+萬)鬼」、「「死生学研究」」→「『死生学研究』」
p.31注(50) 「「死生学研究」」→「『死生学研究』」
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GWって、原稿書けって意味ですか?

2009-05-02 03:06:22 | 生きる犬韜
世間一般では29日(水)からGWに突入したようだが、ぼくはようやく明日から始まる感じである。文科省が資格等々の関係で15回授業の徹底を始めたおかげで、1学期のうち何回かの祝日は授業実施日になってしまう。そういうわけで、29日にはきちんと授業があり、5限の自主ゼミまできっちりやった。1年生のやる気も(今のところ)非常に高く、何人かは終了後にもちゃんとメールを書いてきてくれるので、こちらもちゃんと対応しなければという気になる。やはりぼくは、学生と付き合うのが楽しい性分なのだ。ゼミ終了後は、ヘルパーたちとオリキャンの反省会&慰労会を開催。なぜかひとしきり恋愛話ばかりをして、美味しい和風料理をたらふく食べて帰宅した。モモは5/4(月)まで秋田へ帰省しているので、外で食べられて都合もよかった。

30日(木)は出勤せず、書類書きと特講の準備。連日のごとくほぼ徹夜の作業だったが、1日(金)は早朝からいろいろ騒がしかった。まず、横浜市の高校生が豚インフルエンザに感染した疑いありとの報道が流れ、ついでM大に勤める次兄から、「うちでは首都圏に感染者が確認された場合、全学休講を検討する」とのメールが。岡部隆志さんのブログでも、共立が「公共機関に感染者が出た場合全学休講する」つもりであることが書かれている。結局先の高校生は通常の季節性インフルエンザだったようだが、いろいろきな臭い雰囲気になってきた。この日は特講のほか、担任としての仕事や上智史学会の事務処理で忙殺。23:30頃に帰宅して、楽しみにしていた『木枯らし紋次郎』を録画し忘れたことに気付いた。踏んだり蹴ったりである。

明日からのGWは、とにかく最後通牒を突きつけられている原稿の仕上げに全精力を注がねばならない。このところ、休みというとPCに向かってばかりだ。長期休暇も含めて、純粋に観光目的で旅行したことなど、2006年以来ないんじゃないか。日帰りでレジャーなんてのも記憶にないぞ。サバティカルを貰えるまで、この状態が続くのかなあ。
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