仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

なかなか濃厚な一週間

2013-07-30 14:14:52 | 議論の豹韜
さて。ようやく春学期の授業も終了し、ほぼ夏期休暇の状態になってきた。「サバティカルなんだから関係ないだろ」という声が聞こえてきそうだが、これでもプレゼミは毎週やっていたし、ゼミも集中講義形式できっちりやった。毎月の院ゼミ、生涯学習の講義もあったので、それなりに忙しかったのである。講演や研究会報告も毎月のようにあって、自分が本来意図した研究計画が進捗せず焦燥感が募ったが、最後の1週間はそれなりに充実感のあるものとなった。

まず20日(日)には、金沢大学にて開催のシンポジウム「里山×里海×文学」に参加した。敬愛する環境文学研究者の野田研一さん、結城正美さん、高名な日本古典研究者であるハルオ・シラネさん、そして環境/文化研究会の同志でもある旧知の黒田智さんが報告するとあっては、いくら金沢が遠くても出かけないわけにはゆくまい。各発表はそれぞれ刺激に満ちており、東京から4時間かけて来た甲斐があったと思ったが、扱っている領域が広すぎて、テーマや議論が散漫になってしまっている印象も否めなかった(司会の結城さんが巧みに交通整理をしていたが、大変そうだった)。結果、自然科学・社会科学の領域と、人文科学の領域の興味・関心のありか、目指そうとするベクトルに、大きな亀裂のあることが再確認されたように思う。とくに、里山を未来志向のモデルとしてどう活用するかという議論が前面に出ていたのは、まあ必要だとは思うけれども、「文学」を掲げたシンポジウムとしてどうなのかという疑問が湧いた。上記のベクトルの行き着く先は、けっきょく里山も稲作も頭から肯定する立場で、その歴史的変遷がどのようであったか、王権や国家、社会との関係はどのようであったも問われない。すなわち後ろめたさや負債感がない、葛藤がないのであって、文学の生まれる現場とはほど遠い気がしてならない。主催者側が「開会挨拶」からそちらの方へばかり議論を持ってゆこうとする一方、野田さんが提起された「他者論的転回」(自然環境を他者としてどのように向き合うか)といった視点はほとんど問題にされず、ちょっとフラストレーションが溜まったりした。ちなみに、このシンポでのもうひとつの収穫は、ハルオ・シラネさんの上記の本に、10年前の拙論、「伐採抵抗・伐採儀礼・神殺し」が大きく紹介されていると知ったこと。いかん、ちゃんと勉強せねば。
ところで、上記のシンポジウムが早朝からの開催だったので、金沢には前日の昼過ぎに到着した。初めての訪問だったので、地図を確認しながら金沢城周辺を散策し、泉鏡花記念館や21世紀美術館を観て回った。前者は、「夜叉ヶ池」をテーマにした企画展のポスターが駅やホテルに貼ってあったので、「ちょうどいいときに来た!」とテンションが上がったが、なんとその日は展示替えの真っ最中で公開は翌日からとのこと。今回は涙を呑まざるをえなかった。一方、後者の特別展は「内臓感覚」。絵画から彫刻、映像作品、パフォーマンスに至るまで盛りだくさん。翌日のシンポジウムとも種々関連する内容で、大変に感性を刺激された。チェコアニメ好きのせいか、とくに、ナタリー・ユールベリとハンス・ベリのクレイ・アニメーションが気に入った。なかでも、ほとんど九相図ばりに崩壊した屍へ虫がわき、タヌキやモグラが入り込んで生命に溢れてゆくという「私になる」、殺した海獣の腹を割いて内臓をすべて取り出し、その皮を着ぐるみのように着込んで海へ泳ぎ出す「捕殺」。いずれも、古代神話にありそうなモチーフだ。内臓に対する感覚を自覚することは、なるほど、古代的心性に触れることと繋がりがあるのかもしれない(写真は、金沢駅前通りの奇妙なオブジェ。米俵ですか?)。

金沢から戻って1週間が経った28日(日)は、東京歴史科学研究会主催の歴史学入門講座で、再び黒田智さんと邂逅、一緒に報告させていただいた。テーマは「水をめぐる感性と心性」で、ぼくの報告タイトルは「環境/言説の問題系」。東アジアに広く定着した洪水伝承を、多様な災害情報を記憶するものとしてどのように読み込むかが論点である。しかし、歳のせいにばかりするのは反則だが、最近本当に集中力を維持することができず、予定していた作業をこなせずに、レジュメは構想した内容の1/3に過ぎないものとなってしまった。発表に使用したのは、土曜の夕方まで作成していたレジュメの第2章に当たる部分で、これではとても間に合わないと判断し、中途の出来だった1章・3章を割愛して全体を構成し直したのだ。そのあと、パワーポイントの作成も含め完徹で作業し、けっきょくすべての準備が完了したのが、もう講演開始直前の11:30という始末。まったく、情けない限りである。しかし、分量的にはA4で18枚ほどになり、80分の報告にちょうど収まるスケール(いや、ちょっと多かったか)ようで、まあ結果オーライというところか。列島地方の事例以外は、今までに触れたことのある文献資料も多かったのだが、準備の過程や報告の過程、そして質疑応答の議論のなかで、ハッと気づかされることが多くあった。やはり、震災を通じていろいろ思考してきたことで、自分の資料や事例の読み方、解釈の仕方が大きく変わってきていることも実感できた。ご準備いただいた東歴研の皆さん、ありがとうございました。そして、年度末の多忙な時期にもかかわらず、先輩や後輩、友人たちが多く駆け付けてくれたのも嬉しかった。皆さん、感謝申し上げます。
それから黒田さん。この1週間余りの間に、黒田さんの報告を2度も聞くことができ、大変なぜいたくを味わった。最初は意識していなかったが、このところ黒田さんが追いかけている大地や水の問題が、自分の追いかけている対象と、本当にたくさんのところでリンクしていることを痛感した。黒田さんが地蔵や七夕を通じてみようとしている風景は、ぼくが洪水言説やオシラサマや伐採抵抗、卜占などを通じて辿り着こうとしている、まさにその場所に広がっているのかもしれない。別々の穴のなかでもがきにもがいて出口に到着してみたら、そこでばったり遭ってしまうこともありうる。そのときお互いの穴のなかの話をすることで、風景はまた違った姿に変貌してゆくことだろう。またがんばらねば(写真は、黒田さんから教えてもらった中国人作家残雪の新刊短編集。聞くからにハマリそうで幾つか入手した。雲南行きまでに読めるかなあ)。
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宝誌という予言メディアと東アジア世界

2013-07-05 18:03:41 | 議論の豹韜
今日は、学内共同研究「東アジアをめぐるネットワークの歴史的・空間的考察」をご一緒している、国際教養学科のオカ・ベティーナ先生とミーティング。いつものことながら、貴重な(高価な)研究成果をご恵賜いただき、サバティカルにもかかわらず、自分の研究の進展していないことが恥ずかしくなる。
ところで、先週の法苑珠林研究会(今年度のみ、院ゼミを研究会形式で行っているもの)では、6/11に寺院縁起研究会(成城大学民俗学研究所の共同研究)で報告した宝誌ネタを、少し史料を補足して発表してみた。中国における宝誌伝の展開を跡づけてみると、後世一般化する「面貌が割れて菩薩の真形が現れる」像容は11~12世紀まで現れず、延暦期に戒明が将来した大安寺宝誌像は、美術史的に通説となっている割面像ではなく、高僧伝に基づく色黒・痩躯で帽子を被り、錫杖を持った表象である可能性が高いというものだ(ただし、唯一の記録である『延暦僧録』には、「志公十一面観世音菩薩真身」とあるので、十一面観音像なのかもしれない。このあたり、『梁高僧伝』にあるような放光菩薩を宝誌と伝承している事例があるのか、中国の作例を博捜して考えてみなければならない)。ほかに宝誌と讖緯との関わり、先行研究でほとんど注目されていない「志公薬方」といった文献にも注目した。参加している院生の多くは仏教史が専門ではないため、あまり生産的な意見交換はできなかったが(それじゃいかんのだけどね)、「宝誌」という梁代に成立した「予言メディア」が、個々の時代の需要に応じ正当化のツールとして使用されてゆくことは明確になった。とくに、佐野誠子さんがいうように、宋朝の成立を正当化する言説として、讖緯説を多く繰り出していた道教に対抗すべく、仏教のなかで宝誌の予言が重要視されてゆく点は重要だろう。日本中世における未来記の流行が宝誌を震源のひとつとしているのは、宋の言説が遼や金によって圧迫され、列島へ波及したからだろう。すなわち、小峯和明氏らが展開している未来記の問題は、やはり極めて東アジア的、東部ユーラシア的な歴史事象といいうるわけだ。オカ先生からは、モンゴル帝国が西アジア、西欧社会に及ぼした影響をネットワーク論で考察する壮大な研究の話を伺ったが、こちらもネットワーク論を駆使して具体的な追究ができそうである。共同研究の成果は2015年に論集化される予定なので、それまでゆっくり考えてゆきたい。
ちなみに、色黒・痩躯の旧宝誌表象は、敦煌や四川など中国各地に彫刻・絵画の形で残っているが、日本では、西往寺像で有名な割面表象しか残っていない。奈良末~平安初期の大安寺宝誌像がそれに当たるとすれば、確実に旧像容も将来されていたわけだが、その後どうなってしまったかは謎である(松本信道さんは、塔が火災に遭った際に失われたと推測している)。しかし最近、宝誌とはまったく別の像でよく似た姿形のものが、中世以降の列島に存在することに気がついた。修験道の役行者像である。やはり、痩躯で頭巾を被り錫杖を持っており、その類似性には目を見張るものがある。両者の関係に言及した研究は存在するのだろうか? 未だ憶測に過ぎないが、少し掘り下げてみる必要はありそうだ。
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韓国における輪廻転生の想像力

2013-07-04 23:23:37 | テレビの龍韜
6月は、5日の龍谷教学会議大会シンポジウムから始まって、11日の寺院縁起研究会例会、23日の上智大学キリスト教文化研究所連続講演会、28日の法苑珠林研究会と、ほぼ毎週講演や研究会報告があり、気持ちの休まらない月だった。しかしまあ、報告の準備を通じて自分のこれまでの考えを整理できたり、新しい検討材料を得られたりしたので、おかげさまで実りの多い月であったことも確かだ。7月末、8月半ばにはまた講演があり、前後に各種学会や研究会の合宿があるほか、8月末には雲南の調査が始まる。その諸準備を考えると、7月後半から2ヶ月はまた余裕のない日々になるだろう。現在も原稿に追われて焦燥感ばかりが募っているが、6月を乗り切り精神的にちょっと余裕ができたので、久しぶりにブログを更新しておくことにしたい。

さて、今回話題にしたいのは、6月までのクール、TBSの地上波で午前中に放送されていた韓国ドラマ、『屋根部屋のプリンス』についてである。韓国ドラマはそれなりに好きで、時代劇を中心によく観ている方だ。「一応は」史実に沿った真面目な作品だけでなく、『イルジメ』や『成均館スキャンダル』など、伝奇色やファンタジー色の濃い作品も楽しんで観ている(日本の大河ドラマなどでもそうだが、ぼくは、歴史ドラマに対し「史実に沿っていない」などと文句を垂れるのは、近代歴史学の生み出した弊害以外の何ものでもないと思っている)。ところで『屋根部屋のプリンス』は、転生とタイムトラベル、そして韓国ドラマお得意のすれ違い、親族の愛憎、隠された血縁関係などが複雑に絡み合う筋立て。内容はまあ他愛ないラブコメなのだが、興味を引くのは、物語の主軸となる〈転生〉の扱い方である。10年以上前、ようやく『シュリ』で韓国映画が一般化した直後に、『シュリ』と同じカン・ジェギュ監督による『銀杏のベッド』というファンタジー映画が公開された。単館ロードショーの映画館に観にいったものの、詳細はほとんど覚えていないのだが、時空を超えて転生し続ける恋人たちとその恋敵との愛憎劇だったと思う。続篇『燃ゆる月』も観にいったが、こちらはさらに過去の古代の物語で、ほとんど神話的な内容だった。この転生へのこだわりには、韓国文化特有の、宗教的もしくは土俗的なリアリティがあるのだろう。日本と何が違うのか。当時からその点を不思議に思ってはいた。『屋根部屋のプリンス』では、朝鮮王朝時代の人々がみな同じ姿で現代に転生していて、しかも同じような人間関係を取り結んでいる。前世の因縁が、現世でもそのままに作用しているといったところだろうか(つまり、「歴史は繰り返す」)。そのため、過去に解けなかった事件の鍵が、転生後の現代で紐解かれてゆくことになる。設定としてちょっと受け容れがたいところもあるのだが、韓国ではすんなり腑に落ちる土壌があるのだろう。日本でもかつて、戦国武将の転生譚である『炎のミラージュ』などがカルト的人気を博したが、概ね前世の因縁との葛藤を経てそれから解放される道を模索するものだったように思う。この相違は、日本のドラマツルギーが欧米化されているということなのだろうか。興味は尽きない。
なお『銀杏のベッド』では、かつての恋人たちが2株の銀杏に転生している。一方は恋敵の妨害で落雷に遭って枯れてしまい、一方もやがて切られてベッドに作りかえられる。恋人どうしのうち男の方は、その前の世では、伽椰琴を奏でる宮廷楽士だった。樹木への転生、落雷、琴、寝台…いまから考えると、この話、樹木伝承を研究する人間には垂涎の要素が詰まっている。このことをFBで呟いてみたところ、近代文学専門のFさんが、萩原朔太郎にも草木との恋愛を幻想する作風があると教えてくれた。早速『月に吠える』などを読み返してみたが、確かに草木の姿を官能的に捉え、口づけや愛撫する表現が散見される。このあたりの近代文学の想像力も、樹木婚姻譚の系譜に組み入れて考察する必要があるかもしれない。
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